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仕事のことをつらつらと

急に思い立って、お仕事のことなどをテーマに書いてみます。

私の仕事は自営業で、分かりやすくいうとWebデザイナーです。より具体的にはデザインとコーディング、それにインターネットまわりの雑用全般(お客さまの相談ごとのお手伝い)。アカウント名にも使っている「EPX studio」というのは、趣味で絵や音楽を作るときのひとりサークルのサークル名でもあり、Web仕事の正式な屋号でもあります。法人化していないので、そのあたりの境界ははっきりとは決めていません。

勤務形態としてはフリーランスですが、以前は会社に所属してサラリマン…タイピング肉体労働者…をしていたこともあります。そのあたりの経緯も追って書いていきましょう。

業務内容としては、いまのところ全体の6割くらいがHTML/CSSコーディングで、残りがいわゆるディレクション(構成書作りや案件進行)とデザイン。サーバーやシステム関係を除いた、主にフロントエンドと呼ばれるような領域の仕事ですね。最近は決まったクライアントや紹介で案件相談をいただくケースがほとんどで、表立った営業活動をしていないので分かりにくいのですが、基本的にいつでもお仕事は募集中です。

Webデザイナーは通常は"裏方"で、名前が出るような仕事はしません(まあ、なかにはロックスターのような方もいます)。そして、たいていの仕事と同じように守秘義務というものもあるので、こんなサイト作りましたみたいに公にできる実績は多くありません。ひとつ挙げるなら「ニンジャ収穫祭」さん。

http://ninkaku.com/

めちゃくちゃ技術があるわけでも、突出したデザイン力があるわけでもない平凡な私ですが、価格も高くなくそこそこの仕事はできると評価していただいているのか、リピート顧客が多くなんとかやっていけているという感じです。

仕事に対する考えかた

…と、まるでFacebookに書くような余所行きの営業じみた内容を書き連ねてもつまらないので、このあたりからnoteらしく、ざっくばらんに書きます。

私は仕事に対して意識が高い人がとっても苦手で、仕事のために生きてます!みたいなタイプでは全然ありません。ていうか真逆です。どうもWeb系フリーランスはそういう方が目立ちやすいからか、自宅でもカフェでもコワーキングスペースでも、休みなく働いているイメージがあるようです。

いや…普通に休んでますね…。

営業時間は10時から19時までで、土日祝は完全にお休みです。万一対応が発生する場合は別料金。お客さまにはそのように説明して、ご理解いただけないところとは取引をしません(というかココがニーズにマッチしない人・会社とは一緒に仕事できるはずもないので、向こうからスーッと離れていく)。

人の時間は有限で、好きなときに好きなことをしないとあっという間に死んでしまう。なので、好きなように生きるのが最優先。でも遊んで暮らすわけにもいかないから、ほどほどに働き、それ以上は生きるための時間に充てる。

で、私にとって生きることとは「生きるためにお金を稼ぐこと」を意味するものでは断じてなくて、絵を書いたり文章を書いたり音楽を作ったりすることと同義なので(私からこれらを取り上げたら死んでいるのと同じことだ)、そのための時間と空間が絶対に侵されない働きかたをしたいと考えています。

とはいえ、仕事をないがしろにしているわけではないのです。嫌々やっているわけでもない。自分なりにインターネットを少しでも居心地の良いところに、正しい方向に向かうことに協力したいと思っているし、私の技術や経験が誰かの助けになるなら、そのためにできることは(妥当と思われる条件でなら)します。要はバランスを守りたいんですよね。

普通の人のようには働けない

この価値観は、なんか降って湧いたわけではなく、おそらく自分の経歴によるところが大きいように思います。私には、子供のころから「将来どうしてもなりたい職業」というのがこれといってありませんでした。強いて言えばゲームが好きだったので、ゲームを作る人になりたいなというくらい。これはまあ、今思えばケーキが好きだからケーキ屋さんになりたいみたいなやつです。

絵を描いたり曲を作ったりはしていたけど、なぜだかそれを仕事にしたいとは思わなかった。今でも思いません。もちろん、四六時中好きなことができればいいなというのはあるけれど、仕事にしてしまうと(かえって)好きなことはできないというのは、既に学生当時にはなんとなくイメージできていました。

進路とは何も関係なく、古代ローマ史に興味があるからという理由で大学は西洋史学を専攻。いざ卒業となってからが困りました。いちおう形だけの就職活動はしようかと思い、SCE、ナムコ、セガの3社だけを受けた。このうちセガだけ作品選考が通り、一次面接で酒井さん(当時めちゃくちゃハマっていたドリームキャスト『ファンタシースターオンライン』のデザイナー)と話ができたのはいい思い出です。落ちたけれど…。

卒業してしばらくはプラプラしていました。24歳のころは実家から2駅のところにあるスーパーでパンや牛乳の品出しのバイトをしていて、それなりに楽しくやっていた。何をやっても売れない落ち目のスーパーで働いている人たちというのは、今振り返っても、サラリマンなんかよりはるかに人間くさくておもしろかった。好きな職場でしたが、このままでは自分を見失うような気がして1年足らずで辞めました。

25歳のとき、Find Job!でWeb制作会社のHTMLコーダーの募集に応募し、バイトで潜り込むことに成功。高校のころから自作の絵や曲をWebサイト(ホームページ)で公開していたために、ひと通りのHTMLは書けたものの、それが仕事になるとはこの時まで思ってもみなかった。この会社は西新宿にある300名規模の制作会社で、業界ではそこそこ名の通った会社でした。

この会社はいい人ばかりで、しかも我流でやってきて中途半端だった自分を一から鍛えてもらって本当に感謝しかないのですが…3年近く働いたあるとき、ふと「朝から晩まで一日の大半を高層ビルの一室に拘束されていること」の意味がよく分からなくなってきてしまい、辞めました。別に精神的に追い詰められていたというわけでもないと思うんだけど、非人間的な生活の虚無感のようなものをぼんやり感じていた。辞めてすぐ航空券をとって、10日間くらいオーストラリアへあてのない一人旅へ行きました。どう生きるかというか、生きたいかを考え直すきっかけになった。

しばらくまたプラプラして、29歳のとき、前職よりもはるかに規模の小さい、創業して1年くらいのWeb制作会社に正社員で入ります。はじめ別のこぎれいな会社に応募したところ、姉妹会社だといって南青山のオンボロ雑居ビルに案内されたときは騙された!と思ったものです。ここでの仕事はWebディレクターで、完全内勤で電話応対も満足にできなかった前職と違い、客先への営業も打ち合わせも、見積もりも契約も請求も何でもやり、毎日が刺激的で相当鍛えられた。

かつてのような虚無感はなかった反面、ここでの働きかたはめちゃくちゃハードでした。何日も会社に泊まり、そのまま深夜に本番公開作業をするというので取引先へ行くと、3社の担当者がみんな同い年でみんな徹夜明けみたいなおもしろいこともあった。理不尽なことも、勉強になったこともあった。

2年未満で辞め、30歳のときにフリーランスとして開業します。これも別にすごい決意があったとかではなくて、実務的なことがひと通りできるようになったので、別に満員電車に揺られて身を粉にして働かずとも、フリーでもいけるんじゃない?という楽観的な見通しによるものでした。

そんなこんなで今に至ります。

こうして振り返ると、私はつくづく働くのに向いていないなあと思います。20代は明らかに働いていない時期のほうが長いし、フリーを除けばひとつところに3年以上勤めたこともない…。

とはいえ、人間関係で揉めたりというようなことはあまりなく、教わったことはまあまあ無難にこなすほうなので、たぶんすごく頑張れば普通にサラリーマンもできるのです。満員電車それ自体もチョー辛いけど心を殺せば別に平気。でも、そうじゃない選択肢がある限りはそうしない。それってやっぱ、普通の人のように働けるとは言えないのかもしれません。

今も全然、うまくいっているかどうかは分からないです。Webデザインが仕事として成立するという状態が今後何十年も変わらずに続くとは正直思っていないし、そのときはそのときで。だいたい、"老後"をイメ―ジする生きかたをしてきていない。好きなことを好きなときにやるために「今」何を仕事にするべきかというのは、私にとってはスーパーで牛乳を出していた日々からどれだけ経っても、常にそこにある問いです。

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