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【映画】ペンギン・ハイウェイ

9月1日、公開3週目の映画『ペンギン・ハイウェイ』を立川シネマシティで観た。例によって、タイムライン上での評判が良く、noteにもいくつかレビューが上がり始めて気になりだしたので観るパターン。Twitterは好みが合いそうな方だけをフォローしていく方針のため、わたしにとってはTL自体がある種のフィルターとして機能しており、頻繁に流れてくる時点でそれはもうきっとある程度わたし向けのやつなのだ。

同名の原作小説は未読。これまでに森見登美彦原作の映像作品は、TVアニメ『四畳半神話体系』のみ観ており、とりわけ親しんでいるというほどでもないものの、『四畳半』はとても楽しめた。いわゆるインテリナード特有の鬱屈した世界観を、独特の言語感覚とユーモアで綴る作風、というくらいの認識でした。

「概念のお姉さん」

おもしろかった。とにかく、「概念」として存在するお姉さんの描写が完璧なのです。ここでいう概念とはつまり、こんなお姉さんは現実にはいないし、主人公のアオヤマくんみたいな小4はいない。もっと言うと、ウチダ君みたいなパーフェクトサイドキック親友も、ハマモトさんみたいな自動的に好意を持ってくれる超絶かわいいクラスメイトもいるわけないのです。リアルでは全然ない! だけど、この物語においては、キャラクターはこうあってほしいという概念として機能してればよく、それはもう、なんの脈絡もなく町にペンギンが溢れるということと同程度に記号的であっていいと思うのですよね。寓話だから。

そのような寓話として本作が描きたかったものが何かというと、結局、物心つくかどうかという年代の少年が抱える、あるいはかつて少年だった我々が抱えていたはずの「世界の未知に立ち向かった日々」のことなのだと思います。どれだけキャラクターが記号的概念であろうとも、このテーマにはある種の普遍性がある。アオヤマ君にとっての世界の未知とは、ペンギンであり、<海>であり、なによりもお姉さん。お姉さんに対する感情を表現する手段をまだ持たないアオヤマ君は、その感情が一体何なのかということを理解しようとする。で、最終的にそれに答えを出すまでを描いています。

世界の未知と向き合う

実際、アオヤマ君くらいの年頃の自分の記憶を振り返ると、たしかに「なぜ?」「どうして?」を両親に対して連発していました。もちろんアオヤマ君ほど賢く研究熱心ではなかったものの(あんな小4いやだよね!)、宇宙や恐竜や電車の図鑑ばかり読んでいたし、ぼんやりと迫る死の概念を恐怖していた。あのころの私は、たしかに毎日新鮮な世界の未知に立ち向かっていた。今となってはそんな日々はずっと遠くに行ってしまい、新鮮な感覚としてはすっかり忘れてしまっていたけれども、そういうものが再び肌にピリピリくる(ような気がする)くらいには喚起させてくれる。

だから、致死量のおねショタ概念として提示されるお姉さんとの関係性も、決して性的なものではないのです。アオヤマ君は恋愛の概念を理解していない…少なくとも、知識としては理解していても、感情として分かっていない(もしくは、理性で制御できないなにかを理性で抑えつけている)。だから、既に異性を好きになる感情を分かり始めているウチダ君やハマモトさんやスズキ君では、この物語の主役にはなれないのです。

ただ、一定の普遍性があるとはいえ、「アオヤマ君にとっての世界の未知との向き合いかた」は、わたしには分かるけれども、この文脈を共有している観客ってわりと限られているのではないかと思ってしまう。例えば、ハマモトさんのような女の子の視点だとまた違うだろうし、男の子でもスズキ君のようなタイプの子が大人になってこの映画を観て共感できるとは思えない…。その意味で、森見さんが他作品でも示しているインテリナード特有の世界観みたいなものは、やはり本作にあっても同じなんじゃないかなあと思うわけです。刺さらない人は多いのかもしれない。

そのほか、良かったところ

独特でおもしろいと思うのは、この作品はキャラクターも語り口もこんなにも理屈っぽいのに、肝心なところを理屈で語らないところですね。お姉さんが何者なのか、ペンギンとは何なのか、みたいなことを原理として説明できるものとして示していないというか、SF的考察の余地を残さずに、ファンタジーとして語っている。これはたぶん正解で、お姉さんのSF的ディテールがもっと細かかったらテーマがブレてしまうし、単純になんかやだよね。

あと、音楽がものすごくよかったです。背景美術の美しさと重なるような、生音が際立つオーガニックな優しい音楽で、かと言って演出過剰なノスタルジーとも違って、素直にいいなあと思いました。宇多田ヒカルのエンディングテーマもハマっていて、アオヤマ君のモノローグの余韻をずうっと引き延ばしてくれるような曲。

声の演技も素晴らしかった。肝心のお姉さんを演じた蒼井優さんの声が、だいぶハスキーで低い声で、声変わりしていないアオヤマ君にとってはあまりにも遠く大人っぽい存在として響いてきて良かった。ティピカル親友概念として登場したウチダ君もめちゃくちゃかわいかったですね。『四畳半』の小津からすべての邪気を取り除いたようなキャラ! 小津からすべての邪気を取り除くと"無"になるかと思ったら、釘宮声の小4男子になりましたね。

大人たちの存在感は、控えめながら印象に残るものだった。アオヤマ君のお母さんも妹も普通っぽいのに、お父さんは凝った教育方針もさることながら職業すらも謎なので、わたしのなかでは殺し屋ということになっています。(冗談だよ)

アオヤマ君の健やかな成長を願わずにはいられない

なんだかこういった、美しいものとカワイイものしかいない世界って『よつばと!』を思い出します。あれもまた、よつばちゃんが日々世界の未知と相対するところを描いた作品なので、共通するところがあるように思う。年上の異性のミステリアスな聖性を描いたものとしては、『だがしかし』のほたるさんのことなどもちょっと連想しました。いずれの主人公も年齢はだいぶ異なるし、本作は性的に目覚めていない小4男子であることが何よりも大きいわけだけれども。

なんにせよ、大人になってしまったわたしとしては、アオヤマ君の健やかな成長を願わずにはいられない。これからもいろんな未知と出会い、成長していくのだ。たとえ将来ボンクラ京大生になるとしても…。

ちなみにこの映画、興味のある方は、できれば劇場公開中の今のうちに観に行かれたほうがいいと思います。なぜなら本作の舞台は、「まもなく終わってしまう儚い夏」であるからこそのところがある。たぶん冬とかに配信が始まってから観ても、いまほどはシンクロしてのめり込めないかもしれません。わたしはこれ、すごくおもしろかったです。


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