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【映画】スリー・ビルボード

24日、立川シネマシティで『スリー・ビルボード』(原題"Three Billboards Outside Ebbing, Missouri")を観てきました。きっかけは、YouTubeでよく見ているCBSのコメディニュース番組『レイト・ショー・ウィズ・スティーブン・コルベア』のトークゲストにサム・ロックウェルが出ていたこと。ハリウッドの俳優とか全然詳しくないけれど、『ギャラクシー・クエスト』のガイや『月に囚われた男』の主人公役の強烈なインパクトがあって覚えていました。

Sam Rockwell's 'Three Billboards' Character Was A Hateful Person - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ueKz6bbHQcI

なんでもアカデミーの助演男優賞に初めてノミネートされたとのことで、その作品が本作。予告を観てみたら、確かにちょっと気になる感じ。

正直、このトレイラーではお話が何がどうなるのかまったく分からないですよね。私も分からなかった。なのでWikipediaの作品ページのあらすじを見に行ってみると、ストーリーがほぼ全部書いてあって、途中まで読んだ時点で「ヤバイ、ネタバレされたくない感じのやつだ」と思って早めに観に行くことにしました。

意外にも、結果としてはネタバレどうこういうタイプの映画では(そんなに)なかったのですが…とはいえ、あれこれ転がされてお話がどこに着地するか分からない楽しみは確実にあるので、一応Wikipediaのあらすじには気をつけてください。今見たらオチまで全部書いてありました。
なので、ここではそのあたりのスポイラー要素については伏せます。

クライム・サスペンス…ではない!

まずタイトルの『スリー・ビルボード』ですが、これはニュアンスとしては、原題のまま『ミズーリ州エビング郊外の3つの看板』でも良かったかもしれません。そうするとハリウッド大作ではない、単館映画みたいなこじんまりした作品の印象になってしまうけれど、現にそういう作品だったので!

冒頭部分のあらすじとしてはこうです。ある日、アメリカ中部のド田舎の町エビング(架空の町だ)の郊外に打ち捨てられた3つの巨大な看板に、ある人物によって広告が貼り出され、そこには真っ赤な背景に黒字でこう書いてある。

"RAPED WHILE DYING"(犯され殺された)

"AND STILL NO ARRESTS?"(なのにまだ犯人は逮捕されない)

"HOW COME, CHIEF WILLOUGHBY?"(どうして、ウィロビー署長?)

広告を出稿したのは、未解決のレイプ殺人事件で7ヶ月前に愛娘を失った母親のミルドレッド。これ以上ないくらいシンプルな、しかしあまりにも強い言葉でエビング警察署のウィロビー署長を名指しで糾弾する内容に、小さな田舎町は動揺する。

件のウィロビー署長は地元の名士として住民に慕われる人物で、事件が未解決のままなのは別に彼が特段に無能なゆえではない…少なくともそのように描かれている…のです。しかし、ミルドレッドは周囲からの広告取り下げの説得にも断固として応じない。やがてこれが波紋となり、エビングの住人たちは賛否両論のなかでそれぞれに行動を起こす、というお話。

ひとつ言えるのは、本作は、いわゆる犯罪捜査もののクライム・サスペンスではないということです。未解決事件の犯人が実は誰かとか、激しいアクションがあって最後にアッと驚くどんでん返しがあるとか、そういう映画では全然ない。なので、そういうものを期待していくと、狐につままれたような顔で劇場を出ることになると思います。

人間の業を肯定する

じゃあどういう映画なのかというと…うまく表現するのがなかなか難しい。ストーリーが難しいわけではないのです。とても分かりやすい。すごく陳腐な表現になってしまうけど、ひとことで言うならヒューマン・ドラマ。

悲劇でもあり、喜劇でもあり、人間の美しさとどうしようもないダメさを、そのまま描いている。そしてまた、こんなに凄惨な事件を扱っているにも関わらず、声を出して笑ってしまう箇所がいくつもあります。で、この感じ、何かに似ているなあと思ったら、ああ落語だなあということに思い至りました。

落語とは人間の業の肯定である、と言ったのは立川談志ですが、『スリー・ビルボード』で描いているのはまさにそれ。私も別に落語に詳しくないけど、「落語にありそうな話」なのです。やり場のない怒りに我を忘れたミルドレッド、事件後に19歳の女の子と出て行った元夫のDV男、ひとり槍玉に上がった末期ガンの警察署長、何をやってもダメなマザコンの人種差別警官、その警官に目の敵にされる広告会社の若社長、常識人だがそれゆえに愛に飢えた小男、などなど。

作中の人物にはみんなそれぞれに欠陥があり、だからこそ罪を犯してしまう。ミルドレッドが看板を掲げた経緯と同じように、時にその行動は大胆かつ決断的で、激しい暴力を伴うこともある。そしてそれには、必ず良からぬ因果がつきまとうことになります。

罪と赦し

件の3つの看板は、普段は隠されている住民たちの赤裸々な悪意を浮かび上がらせるきっかけを作ってしまう。言ってしまえば、こういうことってまあ、昨今のネット炎上の例なんかを見ても別に珍しいケースではないわけですよね。

しかしその罪は、実は「赦し」とワンセットになっているというのが本作の主張です。しかも神が赦すのではなく、人が人を赦すのです。

この作品で奇妙に思うのは、「誰も裁かれない」ということ。法的にはどう考えても犯罪であることが(警察署が舞台のひとつであるにも関わらず)ビシバシ行われるのだけど、何一つそれを法律で裁くということをしない。それはなぜかと言うと、この作品が描いている「人が人の罪を赦す」ということとは、まったく別のレイヤーの話だからだと思うのです。

事件はどんどん泥沼化していって、途中から、この話がどこに着地するのかまったく分からなくなる。解決するのかな、と思ったら、しない。それはまるで映画的ではなく、人生ってこんなものだよねという諦念にも似た泥臭いリアリティがあり、それでも、ああこの映画ここで終わってもいいかな…という瞬間がふっと訪れて、そこでちゃんと終わります。

変にシニカルな冷めた視点では全然なくて、希望のある終わりかたでした。観終わったあとの感じとしては、喜怒哀楽のどれでもない。この映画でめちゃめちゃ泣くのもなんかズレていると思うし、かといってこの作品の機微が全然分からん、みたいな人とは私はたぶん映画の話をできないな…という感じもある。正直なところ、誰にでも薦めたくなるタイプの映画ではないです。

にしても、無能な人種差別警官ディクソンを演じるサム・ロックウェルが最高でした。本当に印象に残る演技をするね。これから観るという方は、この愛嬌のある腰抜けが真の男になれるかどうかに注目してみるのもいいかもしれません。

映画『スリー・ビルボード』
http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

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