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【ゲーム】Detroit: Become Human

先日、PS4のハードと同時に購入した『Detroit: Become Human』をクリアしました。近未来のデトロイトを舞台に、「自我を獲得したアンドロイド」にまつわる社会的・倫理的な諸問題を3人のキャラクターの視点で描いた、シリアスなアドベンチャー/アクションゲーム。おもしろかった!

小さな決断を積み重ねる

ストーリーは、現実と地続きの思考実験に近いタイプのSFでした。映画や小説などのジャンルにおいて、同様のトピックを扱った優れた先行作品が無数にあるなかで、すでに行われているような議論や「お決まりのシチュエーション」は満遍なく網羅しています。なので、逆に言うとテーマが斬新みたいなことではないのです。みんなが慣れ親しんだ話。

全体は大まかに31の小エピソードに分かれていて、連続ドラマのようにして進行する。プレイヤーは、話のなかでさまざまなヒントを自分の力で見つけて分岐をアンロックしていくと同時に、あらゆる箇所で決断を迫られる。ひとつひとつは本当にささいな、例えるなら「コーヒーにするか、紅茶にするか」みたいな小さな決断なんだけど、それがやがて世界を左右するものに繋がっていく。
キャラクターが行う日常動作のひとつひとつをボタンとレバーでプレイヤーに体験させ、そのうえ小さな選択の積み重ねで、あたかもそのプレイヤーだけが紡いだ物語のように感じさせる。ゲームというインタラクティブなメディアの枠組みに落とし込む巧みさにまず感心します。

その決断というのも、よくあるちょっとしたサブストーリー分岐のようなものではなく、ときには3人いる主人公やその仲間たちの生死を左右するようなものだったりする。たとえそれによって主要な誰かが死んだとしても、それがストーリー上の必然であったかのようにお話は続く。

だからこそ、ひとつひとつの決断が重い。話に入り込んでいるときほど、「ゲームだから別にどっちでもいいや…」とはならない。で、そういうときに限って制限時間バーがみるみる減っていくし、演出として選択肢がブルブル震えだすのだ。ドキドキするよ!

人生でこんなに○と×で迷ったことはないかもしれない
(スポイラーのためモザイクをかけています)

「やはり人間は愚かだ滅ぼそう」

主人公のコナー、カーラ、マーカスはそれぞれ人間に使役する従順なアンドロイドで、ストーリーの序盤では、彼らを取り巻く2038年のデトロイトの日常が丹念に描写されます。高度なAIを搭載し、外見上は人間とまったく同じように見えるアンドロイドが、労働力として安価に購入できる世界。

ほぉ~と感心する設定が随所にあって、例えばこれはアンドロイド用の時間貸し一時駐機所。個人所有するアンドロイドを、出先で不要なときにスリープモードにして停めておける場所が街中に普通にあるのだ。ほかにも、店頭販売されるアンドロイドのショーケースがあったり、バスに乗ればアンドロイド用の隔離乗車スペースがあったりする。明らかに往時の人種隔離政策をモデルにした、攻めている設定がけっこうある。

それをストーリー上で更に強調するのが、人間のアンドロイドに対する「差別」の苛烈さです。優秀なアンドロイドの登場によって職を追われた人間たちは、ホームレスになったり、街頭デモを行ったりもしているんだけど、そうでなくともほとんどの人間はアンドロイドを機械でありモノとして捉えており、当然ながら彼らに基本的人権を認めていない。

主人公のアンドロイド3人も、初めはそれを無感情に受け入れるロボットに過ぎないのですが、ある時点で境目を超えて自我を獲得する(ここの演出が本当に素晴らしい!)。自我獲得アンドロイドは変異体(Deviant)と呼ばれ、AIの不具合であり、排除対象と見做されてしまう。主人公のひとりであるコナーは、自身もアンドロイドでありながら変異体が起こした殺人事件を追う捜査官。これなんかはまさに『ブレードランナー』的なモチーフですね。

ちなみに、変異体化するトリガーになるのが、いずれも「激しい怒り」であるあたり、『ニンジャスレイヤー』のオイランドロイド観と完全に一致していて興奮しました。ほかにも忍殺と共通するモチーフは多かった。

さて一方で、本作で描かれる人間は不完全で愚か…つまり間違いを起こすものとして定義されています。娘を虐待するDV男や、有名な画家の父親にたかるヤク中息子、そしてアンドロイド捜査官であるコナーと度々対立する酒浸りの偏屈な警部補ハンク。彼らにもそれぞれそうなった理由があるのだけども、いずれにせよ物語上アンドロイドに肩入れしているプレイヤーにとっては「どうしてそこまで」と思えるほどのダメさなのだ。人間は愚かだ…。

プレイヤーはアンドロイドのキャラクターを操作しながら、彼らの視点から、人間とどう向き合うべきかを常に考えることになる。

人間とアンドロイドの狭間で

それにしても、最近のゲームっていうか、PS4の表現力って本当にすごいんですね。キャラクターの描写力も、モーションキャプチャーによる動きのリアルさも実写そのもので、しばらくこういうタイプの最新ゲームから遠ざかっていた自分としてはなかなかの技術ショックでした。俳優さんの演技とCGキャラクターが完全に一体化していて、ぎこちなさが全然ないんですよ。

思うに、生身の人間とアンドロイドの境界が限りなく薄くなったら…という世界を描写するにあたって、カクカク動いてたら興ざめなわけだし、このCGの生々しさはストーリーの説得力を増すことに大きく寄与している。もうここまで来たら人間といったいどう違うの? みたいな。

なんでもない警察官のNPCお姉さんですら妙にリアル

外見が人間とまったく同じで自我を持ったアンドロイドは、どこまでが機械なのか。映画『エクス・マキナ』(2015)の配信が今月からNetflixで始まるそうですが(Netflixで「エクス・マキナ (Ex Machina)」が配信開始!9月18日より)、テクノロジーの発展により必ず直面する倫理的な問題として、これは現実世界の延長線上にあるシリアスな問題なのだというような捉えかたが本作と似ています。決断を迫られるときは今でなくても、いずれは来る。

本作が複雑に分岐するマルチプルなストーリーを用意しているというのは、そこに筋の通った作者(脚本のデヴィッド・ケイジと開発したフランスのQuantic Dream)の思想がないということを意味しません。むしろけっこう明確にある。そこに共感できるかどうかの違いはあるかもしれない。

こういったトピックに関心がある人にとって『Detroit: Become Human』は、今後参照されるべき作品のひとつになるのは間違いないと思います。ゲームとしてもそんなに難しくなく、ひとつのシナリオを最後まで見るだけなら連ドラ1シーズン分くらいのボリュームなので、おすすめしやすいです。

さて、ここから先、ネタバレを解禁してもうちょっと続けます。


(ネタバレ)わたしの物語の場合

ていうかほんと、優柔不断な自分には辛い局面が多かった。一度決断しても、再考を促すようなダイアログが出たりするでしょ。急かされて、ウワーッみたいになって失敗した箇所が何度かありました。

本当はこれ、失敗してもリトライしないで、初回は一度通してプレイしたほうがいいんだと思います。思うんだけど、やっぱある程度期待しているほうにお話が動いてくれないとヤダみたいなところがあって…カーラがバスのチケットを拾う場面で、正直に返したばっかりに処刑されたとこは辛すぎてリトライしてしまいました。

あとは、エデンクラブのポールダンスアンドロイドが良すぎてスクリーンショットをパシャパシャ撮ってたら、時間切れでミッション強制終了になったとこもやり直しました。あんなの好きなだけ見てたいじゃん!

しかし最大の後悔は、さっきも貼ったマーカスの決断シーンで、武力闘争を選んでしまったところです。あれとかも、ただ平和と戦争の2つの選択肢を提示されたら平和ルートを選ぶと思うんだけど、その前にキャピタルパークの平和的デモで無力感を味わっているわけじゃないですか(わたしのお話ではなった)。ストラトフォードタワではサイモンが犠牲になっているし…(わたしのお話ではなった)。シナリオの積み重ねで、絶対に選びたくないけど、もうこの選択肢しかないか…みたいにプレイヤーを極限状態に追い込んでくるのがめちゃくちゃ巧いですよね。

アクションシーンのQTEはそんなに難しくなくて良かった。時間制限がシビアな場面もあんまりないし。ただ、わたしはいわゆる左右盲というやつで、咄嗟にL1を押せみたいなことを言われても、Lは左で左は…こっち? みたいな謎の翻訳が発生してしまうところがあった。コナーの推理モードやマーカスの未来予測モードはおもしろかったです。

にしても、定番シチュエーションのフルコースなのがとにかく最高。絵を描くアンドロイド! スクラップヤードからの再起! アンドロイド同士のジェンダーを超えた恋愛! 人間だと思っていたら実は! みたいな。見たいものを高解像度で見せてくれる、ということをちゃんとやっていて、このテーマだからこそこのゲームにハマれた的なところは正直あります。

全部のルートを見るために何周もプレイするかというと…それもけっこう重いので多分やらないけど、カムスキーやアマンダ、それにRA9(これがまた自分のハンドルネームとなんだか似ててモヤモヤした…)を巡る考察記事などを読んでいると、あれこれとバックグラウンドに思いを馳せてしまう感じは分かりますね。世界観とキャラクターに大変魅力のある作品でした。


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