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【映画】デス・プルーフ(極上音響上映)

17日、立川シネマシティでクエンティン・タランティーノ監督の『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)の極上音響上映を観てきた。めちゃくちゃに音が良く、頭がバカになるくらい楽しんだ。とにかくわたしが今日急いで書いておきたいのは、この作品の「極上音響上映」は今週金曜日まで毎晩やっており、立川へ行ける所に住んでいてなおかつ時間がとれるなら、万難を排して観に行ってほしいということです。

そもそもこの企画は、1月から始まった「タランティーノ/ロドリゲス【極上音響】映画祭」の一環で、ほぼ一週ごとに違う作品を立川シネマシティお馴染みのサウンドシステムと特別な音響セッティングで上映するというもの。本作のほか『パルプ・フィクション』や『デスペラード』、そしてもちろんロドリゲス監督の新作『アリータ:バトル・エンジェル』も。

『デス・プルーフ』は2007年の作品で、『グラインドハウス』と題された連作のうちのひとつ。B級映画をテーマとし、フィルム特有の汚しや繋ぎ部分のノイズを敢えて取り込んでみたり、何より粗い作風から生まれる独特のグルーヴを是とするパンク・アティチュードを前面に押し出した作品。

ただ、この映画がすごいのは、B級の皮を被った「ガチ」であるところ! 正直言って、この脚本で演技がダサかったりカースタントがショボかったり、あるいは音楽がカッコ悪かったりしたら全てが台無しなんだけど、そうじゃないのだ。ガチであり、リアルであるからこその興奮なのだ。

ちなみにこの子はそんなに活躍しない

あらすじ:スタントマン・マイクはその名の通り元スタントマンのサイコキラー。自慢の"対死仕様"(death-proof)の愛車で、狙いをつけたホットなベイブを次々に手にかける。ある事件の後、彼が次なるターゲットとしたのは、休暇を楽しむ映画業界の女の子たち。しかし彼女らのうち2人の正体は筋金入りのスタントウーマン、それもサイコキラーをも上回る常識外れの狂気の持ち主で…!

この作品では、虚構と現実が意図してクローズアップして描かれている。冒頭の女の子たちのうちジャングル・ジュリアは看板に描かれるほどの地元人気DJで、そんなショーアップされた世界の女の子のどうしようもない(ダラダラした)リアルがこれでもかと描写される。一方、変態男スタントマン・マイクはスタントという虚構の世界に生きた人間で、そしてまたスタントマンのシリアルキラーという、いかにもフィクショナルな存在として次々と現実の女の子を毒牙にかけていく。

その変態男に立ちはだかるのが、スタントマンを殺すスタントマン、ゾーイとその仲間たち! しかも彼女は、バーでクダをまく「元」スタントマンではなく、現役のスタントマン。もっと言えば、ゾーイ・ベルは「彼女自身(herself)」としてこの映画に出演する本物のスタントウーマンなのだ(『キル・ビル』でユマ・サーマンのスタントを担当していたらしい)。

でね、この構造なにかと同じと思ったら『ニンジャスレイヤー』なんですよ。常人を恐怖に陥れる架空存在としてのニンジャは実在した…やりたい放題する彼の前に現れるのが、ニンジャのなかで語られる架空存在、ニンジャを殺すニンジャ、ニンジャスレイヤーなのです。

実際、わたしがこの映画に初めて出会ったのはニンジャスレイヤー翻訳チームのダイハードテイルズが主宰する「逆噴射映画祭」というオンライン映画実況企画においてなのでした。2017年12月のこと。

わたしはそれまで比較的よくできた、お行儀のいい大作を中心に映画を観てきたので、初めてこの映画を観て(そしてあの衝撃的なエンディングに至るファイナル・シーケンスを観て)、なんだこの映画は…なんだこの映画は! と腰を抜かしたものです。だって、頭の大事なところのネジが4、5本ぶっ飛んでないと、こんな…こんないびつで最高の映画出てこないでしょ。

でもこう、何度か見ていると、タランティーノ映画の代名詞のように言われるあの意味のないようなダラッダラした会話も、実のところそれなりに意味があるなあと思うのです。あのバタフライのラップ・ダンス要る? と言われれば、要るのだ! あそこはジャングル・ジュリアのことを知らないふりして、ラップ・ダンスに至るプロトコル…謎めいた詩の暗唱の一字一句まで記憶しているスタントマン・マイクの気持ち悪さだし。後半の女の子たちのゾーイが穴に落ちたの落ちないのとか、銃を持ってるの持ってないのとかいう他愛のない会話も全部伏線だし。改めて振り返ると(驚いたことに)けっこう無駄がないんですよ。なによりこの…酒とハッパによる酩酊状態のユルい会話でキマってからの爆走カースタントじゃないですか。緩急のテンションコントロールが最高なんですよね。

じゃあ、一体なにがこの映画のトーンをB級たらしめているのかと考えてみると、私が思うにそれは、「道徳的正しさ」にファック・オフというスタンスなのだ。後半の女の子たちの大暴れは、復讐であって復讐劇じゃない。彼女らはスタントマン・マイクが殺人鬼であることを知らないし、そもそも乗ってる車が盗品みたいなものだし、公道でむちゃくちゃやってるし、そしてスタントマン・マイクをあれほどの暴力をもって断罪する権利などない。ないけど、やると決めたからやるのだ!

だからこそ、余裕綽々で「アディオス!」とか言ってるクソ野郎の肩をまったく予期しないところから銃で撃ち抜くところが最高なのだし、草むらから爆笑しながら出てきたゾーイがちょっと待ってとか言いながらナチュラルに鉄パイプを物色するところが最高なのだし、痛みで子供のように泣き叫ぶスタントマン・マイクに決断的体当たりエントリーをカマす白のダッジ・チャレンジャーが最高なのだ。

その意味で、メタ的に言ってしまえばエンターテイメントにおいて道徳的正しさなど全くもってファック・オフだし、刹那的快楽を求めて何が悪い、というあっけらかんとした態度…それこそがタランティーノが称えるB級映画的な美徳だと思うのです。

付け加えると、今回も立川シネマシティさんの「極上音響上映」、最高でした。『アクアマン』や『ファースト・マン』などの話題の新作映画が200席以下の小スクリーンでの上映なのに対して、『デス・プルーフ』を最大の400席スクリーンでやるシネコン、狂気でしょう。しかも35mmフィルム上映で、時間になったら予告も映画泥棒もなしで即、本編なんですよ。この機会を逃すと次はいつか分からないので、好きな人は絶対押さえてほしい。

にしてもこの映画で最高なところ、やっぱTHE ENDですよね。あんなかっこいい終わりかた…切れ味抜群でズバッと終わる映画体験、ほかに知らないかもしれない。あのカタルシス一体なんでしょうね。キメる映画だよ。

それでもなお思うんですけど、あのカカト落としはオーバーキルじゃない!?

Netflixでも好きなだけ観れるぞ

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