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【映画】ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

5月31日、公開初日の映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(原題:Godzilla: King of the Monsters)』を立川シネマシティの「極上爆音上映」で観てきました。え、まだ観てない? 観て!?

以下は、観ている前提での感想記事です。とはいえ、既にめっちゃ詳しい方の素晴らしい記事がたっくさんあるので、あくまで怪獣映画全然詳しくない人が個人的な覚え書きとして残しておくようなものです。つまりいつもの映画レビュー記事と同じですね。

わたしと怪獣映画、そしてゴジラ

大人になるまでというか、つい最近まで映画鑑賞という趣味がなかった自分にとって、ほとんど初めての衝撃が『パシフィック・リム』(2013)でした。ご存じの通り巨大ロボットと巨大怪獣が圧倒的に美しい画面のなかで殴り合いをする映画で、わたしは本作で映画館でしかできない「体験」があることを知りました。家の小さいテレビで鑑賞するのではなくて、映画館の大画面と音響で観るからこそ得られる体験。

そしてもっと言うと、わたしには幼少時から怪獣・特撮趣味もなかった。全然興味なくて、全然知らなくて、それでもそういうタイプの人もぶん殴ってくるみたいな圧倒的なパワーが『パシリム』にはあって…以来、自分にとって映画館で観る映画とは各々一度きりの「ライブ」と同義になった。特に怪獣映画のわかりやすいスケールのデカさはその象徴たる存在で、この手の作品を観るなら極力リアルタイムで、映画館で観たいと思うようになった。

初めて観たゴジラは2014年に地元の映画館の企画で観た『ゴジラ』(1954)。ちょうど60周年を記念したデジタルリマスター版で、そこで、ゴジラ映画の本質とは、自然災害に立ち向かうのだとか宇宙人と闘うみたいな、単なるディザスター・ムービーではないのだと知りました。わたしは初代ゴジラを「芹沢博士が決断する話」と捉えた。そのときの感想はこの記事に残しています。

次いでギャレス・エドワーズ監督の『ゴジラ』(2014)を観て、『シン・ゴジラ』(2016)を観て、『キングコング 髑髏島の巨神』(2017)も観て、といった具合。でまあ、『コング』がああいうフリだったので、もちろん今回のレジェンダリー制作のハリウッド版ゴジラ最新作も楽しみにしていました。

その一方…古いゴジラは、「初代」を除いてひとつも履修していない。それこそ子供のころ、モスラやメカゴジラはテレビで観たような記憶はある。けど内容はまったく覚えていないし、馴染みもない。モスラの歌? をほんのり知っているだけ! キングギドラに至っては、今回がまったくの初対面、そういう状況でした。

"動く宗教絵画"

で観たんですけど、これ全然古いゴジラを知らなくても問題ない。過去作品の文脈に即していないということではなくて、そのまったくの逆……引くほどマニアックな熱量に、ただただ圧倒されるのだ。例えるなら、ものすごく精巧に作られた教会建築のなかで、徹底的に描き込まれた宗教絵画を見せられているような。本作には信仰を持たない者にさえも有無を言わせぬ映像の力があり、そこではゴジラがまさしく「神」同然の存在として描かれていたのです。われわれ人類はゴジラの前にひれ伏すしかない…!

いくつか拝読したなかで、特にこの感想を楽しく読みました。オマージュのネタ元リストがあったりして助かるんだけど、何よりやっぱ、自分のような初心者のみならず、こういうシリーズのゴジラ大好きな人にもちゃんと刺さる作品なんだなと思って。

で、この記事にも書かれている通り、KotMのテーマって別に環境保護でも反核でもなく、ましてや家族の絆なんてものでも全然なくって、それはただひとつ「ゴジラは怪獣の王である」ということだけなのだ! 本当にそれしか言っていなくて、描かれるドラマなんかも、要するにこのひとつのメッセージを高らかに掲げるための骨組みに過ぎないのです。

これは何かというと、信仰告白であって、キリスト教のミサでいうところの

"Credo in unum deum"(私は唯一なる神を信じます)

に他ならないと思うんですよね。だからこそ、ラストカットのあとにタイトルがドーン出てクソデカ文字で「GODZILLA, THE KING OF MONSTERS」って言われちゃうと、アッハイってなる。思い返すともう、潔いまでに最初から最後までそれしか言ってなくて、きっとそれこそが言いたいことなのだ。でその直後、ダメ押しのようにして例のGodzilla: himselfだから……信仰の強さに頷くしかなくなってしまう。久々、あんな映画館の席にもたれたね。

人間たち

今回、人間サイドの描写がいわゆる一般人ではなくて、研究者に限定されていたのも特異で良かった。彼らがみんな、揃いも揃って狂っている! 前回はプロレスでいうレフェリー的立ち位置にいて、あくまで傍観者であった渡辺謙演じる芹沢博士も、今回はグイグイ行く。で、その彼すらも引くほどのインセイン博士が「正義は悪と知ったのだ!」みたいなことを言ってくる。

ただ、キャラクターに共感できないからそれがお話のグルーヴを削いでいるかというとそんなことはなくて、彼らに共感しようがしまいが、とにかく息つく暇もないほど怪獣が出ては大暴れしてくれて、それによって物語はどんどん転がっていく。しまいには、主人公のぶっ飛んだ父母に対しては観客がず~っと思っていることを後部座席からモブおじさんがピシャッと一言で言ってくれるシーンがあって、最高にスカッとする。わたしはあのセリフ、立ち上がってイエーと叫んで拍手したくなった。

芹沢博士にまつわるシチュエーションはどれも良くて、前述のように初代ゴジラを「芹沢博士が決断する話」と評価していたわたしには、とりわけあの決断の場面が刺さった。それに続くあの、重い足取りでピラミッド状の神殿の階段を上がっていくシーン…。ああやって見せられると、要は人身御供ですよね。古代の神に捧げる生贄なのだ。なんだけど、当の芹沢博士にはその悲壮感はあんまりなくて、推しの握手会に行ったオタクそのもので、友よとか言っちゃってるし、静かな狂人っぽさが滲み出ていて良かった。

王を讃えよ

にしてもこんな映画って、やっぱり、映画館で観てこそだなと思いました。それは単純にデカい画面でデカい怪獣がボカスカ殴り合っているからだけじゃなくて、美術の教科書に載ってる何センチかのカットで見るか、オリジナルを教会の何十メートルある天井画で見るかみたいな違いで、きっと人間の感覚器あたりの情報量の違いなんですね。説得力が違う。

まあこれを観てもなお、宗教として相容れないみたいな人ももちろんいるはずだし、ゴジラファンのなかにも解釈違いという人もいるかもしれないし。それでも、かつて日本限定のローカル宗教であったゴジラというコンテンツが、こういった形で現代的にアップデートされたうえで、ミームに新たな普遍性を付与されて広まっていくというのは素晴らしいことだなと思う。ラブやリスペクトには強い伝播力があって、本作はそういうものを信じて作っているのが分かる。少なくとも、わたしには確かに届きました。

ゴ! ジ! ラ! ハッ! ソイヤソイヤッ!

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