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まつりをつくりたい

この記事はUT-virtual Advent Calendar 2018の23日目の記事です.
(ついでに最近投稿していなかったFacebookにも投稿できるような記事にしたい??)

私は今回”まつり”について書きます.最近自分の関心のあることが「自分の感覚器官で捉えられないこと」です.それを実現するには自分以外の人に会うことが1つきっかけになると思います.自分の意志ではなくある種,偶然的に他者(特に自分と感覚器官などのパラメータが異なる人)と出会う場をつくるとしたら,私はまつりが最適ではないかと考えました.

目次

1.きっかけ
2.まつりとイベントの違い
3.参考例①:地域のまつり
4.参考例②:アイドルファンのコール
5.参考例③:未来の運動会プロジェクト
6.さいごに

1.きっかけ

ここで簡単に自己紹介をさせてください.私は日本大学法学部新聞学科4年(2019年9月卒業予定)のトドロキけんとです.サークルはインカレサークルのUT-virtualに所属し,VRに関することに触れています.VRに関するとある会社で(エンジニアではないですが)インターンもさせてもらっています.

大学ではマスコミュニケーション論やメディア論などを学んでいます.そこで現代の問題の1つとして「フィルターバブル(※)」があげられています.フィルターバブルを乗り越える必要があるかどうかには議論があるものの,私は乗り越えた方がよいと考えます.それは多様性を高めるチャンスを失うからです.とは言ってもフィルターを取り除くことは,今の社会状況考えて難しいと思います.なのでフィルターバブルの内側にいても,その外へのアクセスの方法を知っていることが大切だと私は考えます.その方法として,まつりがあるのではと考えました

※ 「コクーン化」,「エコーチェンバ化」や「クラスタ化」,「小宇宙化」などとも呼ばれる.筆者はこれらともほぼ同義と理解している.

またとある授業の企画で,今年の夏に秋田に数日間フィールドワーク的な小合宿に行きました.そこで見たまつりや秋田に住む学生や先生たちと一緒に過ごしていく中で,自分に地元(東京のベッドタウン出身)といえるような場所(つながりを含め)などがないことを痛感しました.小合宿の最後に数日間の活動をまとめるプレゼンをするのですが,その中で「トドロキに故郷を」というワードが出るくらいに,自分の居場所に関するアイデンティティのなさを感じました.プレゼンを作る過程の話し合いで,私が一番盛り上がったと感じているのが「新しいまつり作りたい」という話をしていたときです.まつりには地域コミュニティの形成や,居場所を作る効果などもあるなと思い,今回改めて当時の思いを形に残したいと思い書いています.

(秋田県小坂町で撮影した写真)

今回の流れとしては,
私の考える”まつり”の定義について考えたのちに,私が最近面白いと思ったまつりをいくつかあげどんなまつりを作りたいか考えます.

2.まつりとイベントの違い

長らくレポートなどを書いていない私は失念していたのですが,テーマを決めて書き始めようとしたとき,まつりの定義を定めないといけません.友人に「まつりとイベントの違いって何?」と聞かれ私は自分の感覚で答えてましたが,彼とはイメージが異なりはっとさせられました.

文献など詳しく調べることができていないので,結局ガバガバなのですがはお許しください(詳しい方がいたらご指摘いただけると幸いです).

まつりは広辞苑では「1.まつること、祭祀。祭礼。2.記念・祝賀・宣伝のために催す集団的行事。祭典。3.特に、京都賀茂神社の祭。葵祭。(第2版補訂版より)」と定義されています.聖性や,非日常のものとされています.今日では聖性が失われているものや,まつりなのかイベントなのか判別しにくいものが増えています.私が友人のイベントとまつりは何が違うのかとという質問に答えるならば「主催者がゴールまで設計しているのがイベント,最後まで設計していないのがまつり」だと思います.まつりは時がたつにつれ変化することがありますが,中心があり全体を管理しつつ変化を及ぼしていないと思います(本当か?).それに比べてイベントと呼ばれるものは全体を管理する人がいると思います.イベントが普通のコンテンツであったとしたら,まつりはUGC(User Generated Contents)だと思います.

今回私はまつりと一般に呼ばれてきたものから,大切だと思う部分を抽出し,まつりを再定義したいと思います.
基本的には従来のまつりと同じなのですが,聖性に関しては一度除きたいと思います.それ以外では,「(参加することに)ゆるい強制力をもつ(まつりで集まる要素,例えば遅延など,に自分が含まれるとき,参加せざるをえない)」「はじめにルールをつくり,それを制限(コード)して一定の影響力をもつ」「ゴールまで設計されていない」という部分を抽出します.以下では一つずつ例を出しつつ詳しく説明していきたいです.

参考:
祭とイベントとの違い - 新・お祭り入門
「フェスティバル」「カーニバル」「祭り」の違いとは?詳しく説明するとこうなる
(最終アクセス:2018年12月23日)

3.参考例①:地域のまつり

最初の参考例として,地域のまつりを挙げます.私が見聞きしたまつりから具体名を避けつつ.地域のまつりで感じたことを記したいです.その後,最近知った群馬県前橋市で行われている伝統風まつり「駅家ノ木馬祭(うまやのもくばまつり)」について記したいです.

とある五穀豊穣や安産祈願を願って行われるまつりについてです.このまつりが始まった当初から安産祈願を願って行われていなかったそうです.しかしまつりを行っていく中で,安産祈願の要素も加えられていったそうです.またこのまつりは一度途絶えたそうですが,数年前に有志の人たちによって復活しました.その有志の人々にとって,まつりは小さいころからやってきたもので,自分たちがもう一度やりたい思いが強かったそうです.市役所で美術関連のキュレータなどをやっている方にお話を聞いたときに印象的だったのは,「アカデミックの側がまつりに意味を見出し過ぎて,参加者に逆説的にまつりをやる理由などを意識させないでほしい.取扱いには気を付けてほしい」と言われたことです.誤解を恐れずに言うと,本人たちは伝統を残そうなどの大義名分でまつりを行っているのではなく,本人たちが願望でやっているのだと感じました.実際に参加されている方にお話を聞いたときには,おまつりの後にある直来という宴会のようなもののためにまつり参加しているとおっしゃっている方もおられました.

このまつりについても他の地域のまつりについても,地域共同体で強制的にまつりに参加せざるおえないことが多いと思います.東京で生まれ育った私にはそれが少しうらやましく思えました.私は地元のまつりがいつ行われているか知りません.主体的に参加したこと(演目を行ったり,神輿を担いだり)もありません.しかし私の見た地域のまつりでは参加者も観客も全員知り合いみたいな状況でした.もちろんそういう状況でずっと暮らしていくことには,苦労があるとは思います.しかし地域というたまたま生まれた場所が同じだけの偶然性の高い繋がりを,1つもつことが出来ているのはうらやましいと思いました.

ここで私が1つポイントに挙げたいのが「ゆるい強制力」です.話を聞いている中で多かったのが,小学生や中学生などは地域のまつりには半強制的に参加させられていることです.私たち(大人)は嫌なことがあると大抵の場合,やらないという選択肢をすることが出来ます.それは上で記したフィルタの中にこもるのと同義です.常にフィルタの外に出ることを意識するのではなく,たまの機会に外に目を向けるのもいいではと思います.また外の人に引っ張ってもらいたい人(一般にめんどくさい人)は,学生時代はぶーたれつつ参加することが出来ましたが,社会に出るとそれが出来ないので,その層が参加できるのも価値があるのではと思います(?!).

次に紹介する「駅家ノ木馬祭(うまやのもくばまつり)」はアーティストの白川昌生さんが作った,江戸から明治はじめにかけての前橋のまちを舞台にした物語、『駅家ノ木馬祭』をもとに、その中に出てくる失われたまつりを現代に再現するというアートプロジェクトです.物語は実際の人物や出来事が出ててくるフィクションで,このまつり自体も本来は存在していません.ですが白川氏らにより,まつりが作り上げられ毎年前橋で実際にまつりとして行われているそうです.一見伝統的なまつりに見えますが,ここには伝統も聖性もありません.奏でられる音楽などは現代風のもの(ロックやポップスなど)もあるそうで従来のまつりの部分を残しながら,現代のまつりにアップデート(元々なかったのでアップデートではないが)したものといえます.このまつりがハブになり新たなコミュニティ(まつり目当てに来る人や新たなつながりなど)が生まれているとしたら,まつりをつくるというまつりをしているとも言えるのかもしれません.そして残ったまつりもまつりとして存在し続けているというのがエモいです.

4.参考例②:アイドルファンのコール

次に参考にしたいのがアイドルファンのコールです.最近面白いと思ったコールでロケット団口上というものがあります.これはわーすた『最上級パラドックス』で打たれるコールです(わーすたはライブの撮影が基本可能なのでYouTubeでコール有の動画が無限に出てきます).間奏と落ちサビ前で行うコールにロケット団口上が含まれています.

なんだかんだと聞かれたら
答えてあげるが世の情け
世界の平和を守るため
わーすた!わーすた!World Standard!
(↑ロケット団口上)
あー!(クラップ×2)まだ行かなーい!
あー!(クラップ×2)まだ行かなーい!
いつ行くの?今でしょー!
あー!(クラップ×2)ジャージャー!
タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!ダイバー!バイバー!ジャージャー!
ひーろーかーわ!どうぞー!

コールの中身をみて気付いた方もいると思いますが,ポケモンのロケット団が登場するときに口上からとったコールです.
このコールがなぜ”まつり”だと思ったかというと,初めにこのコールを考えた方はいろいろと創意工夫をされたと思います.その後このコールが定着してくると,ほとんどの人はこのコールについて意識せずに盲目的にコールしているのではないでしょうか.もちろん「あぁポケモン懐かしい」と思う人もいるかもしれませんが,そこからアレンジをすることはないですし,することは難しいと思います.初めの人がつくり,その後皆が盲目的についてくる構造がまつり(特に従来の意味での)ぽいなと思いました.

参考:
わーすたの『最上級ぱらどっくす』をコール解説!ロケット団口上って?
(最終アクセス:2018年12月23日)

アイドルファンのコールに関してはもう1つ言及したいコールがあります.それは「ナカダカナシカ」コールです.これは乃木坂46『おいでシャンプー』で落ちサビ前に打たれるコールです(コールはライブに行くか,どうにかして観てください(察して)).

ダメダメダメ!
ナカダカナシカ!ナカダカナシカ!
オレノナーカーダーカナシカ!
ナカダカナシカ!ナカダカナシカ!

このコールの特徴は,曲がリリースされてすぐに広まったコールではなくしばらくしてから定着したコールである点です.コールに出てくる中田花奈さんは乃木坂46のメンバーです.彼女のファンを中心にリリース直後からこのコールは行われていたそうです.しかし彼女のファン以外には定着しておらず,ライブ映像などでコールを確認することはできません.2014年のツアー(アンダーライブ)頃から徐々に広がり,2015年の彼女の誕生日に行われたライブで中田花奈生誕委員から,このコールをしようと企画が行われたそうです.会場の最寄りの駅に広告なども出したりしたとのこと.そのような努力が実り現在では,彼女のファン以外にも定着してきました.コールをライブ会場や,ライブ映像で確認することが出来ます.

これを参考例として挙げたのは,私がまつりは作りこまれたものではないと考えているからです.アレンジ可能性があるというのはまつりの要素として大切な要素だと考えたので例として挙げました.また先のロケット団口上の例と同じで中心人物以外は,このコールをただ気持ちいから言っているといるという点で従来のまつり的な要素も含んでいるなと思いました.

参考:
「ナカダカナシカ」とは?意味や由来&いつからコールを入れているかを調査!【おいでシャンプー/乃木坂46】
本人の煽りで、初成功?『ナカダカナシカ』コール、『乃木坂46 アンダーライブ全国ツアー~東北シリーズ~』
(最終アクセス:2018年12月23日)

これらのコールは曲の間限られた時間(コード)でどの言葉を当てはまる芸当で,現在はやっているアバター文化やパーティクルライブ(芸)などにも共通しているのかなと思いました.ですがアバターやパーティクルライブではアレンジのしやすさがあります.アイドルファンのコールでは皆で同じことを言う(やる)楽しさがありますが,アバター文化などではコードの中で個性を出す楽しさがあると言えます.

コールにしてもアバター文化にしても

5.参考例③:未来の運動会プロジェクト

最後に参考例として挙げたいのが,「未来の運動会プロジェクト」です.参加者が競技をハッカソンで考え,考えた競技で運動会を行います.参加者のことをデベロッパーとプレイヤーを掛け合わせて「デベロップレイヤー」と呼びます.ハッカソンにはテクノロジーの専門家やいわゆる一般の学生など様々なバックボーンの人々が参加します.さまざまな人が一緒になって考えることで,新しい競技を生み出し実装します.

YCAMで開催したときの動画

未来の運動会プロジェクトは主催者がゴールまで設計していません.すべてが参加者に任されているのです.もちろん初めのルールつくりはするものの,そのコンテンツを生み出すのは参加者で非常に良い仕組みだなと思いました.

6.さいごに

最近とある授業で,河合菜摘さんという方のお話を聞きました.彼女は鳥取,京都,東京の3拠点で暮らしながら,漆を使った修復の仕事などを行っています.漆の修復には金継ぎという修復があります.バラバラになってしまったお皿などを漆で修復し,漆の上に金粉をまぶし装飾する技法があります.割れ目が金色になるので,意図しなかった模様が修復後に現れます.割るときに金継ぎをしようと思って割る人はいませんし,割れ目を予測することも難しいです.なのでその模様はとてもエモみが深いです.金継ぎはもともと陶磁器などを修復する技法ですが,彼女はそれを応用し壊れたガラスのコップでなどにも修復を行っています.私はこの授業を受けるまで,最初の状態が一番きれいなものが嫌いだったものの,その乗り越え方がわかりませんでした.金継ぎを知ったことで,壊れても修復することで愛着が増すことがあると分かりました.あえて壊すことを推奨しているわけではないですが,壊れてしまっても直すことが出来ることを私に教えてくれました.またただ直すだけではなく,チャームにしてあげることで,愛着が増す.このサイクルは,私が”まつり”をつくるときの何かヒントになるでは感じました.

具体的にまつりを提案するところまでいっていればアドカレぽかった(ぽいを知らない)のかもしれません.ですが最終的にどんなまつりをつくればいいのかまでまとめられていません.UTVの春フェスで何か1つ答えのようなものが出せればいいのかなと思います.

(本当はもっと余裕をもって,推敲を重ねた文章を出したかったです.もしここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら,ありがとうございます.感想やご意見もらえると嬉しいです.)


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