もったいないおにいさん

コロナの影響で不要不急の外出を控える風潮が強くなり、家で惰眠を貪っていた結果昼夜逆転してしまった。

夜遅くにごはんやお菓子、その他諸々を買いにスーパーに向かう。こんな時でも営業をやめられないのが食料品店の使命というかなんというか、雪まで降っているこんな日曜日に働かざるを得ないのは可哀想だと上から目線な感想を抱く。

普段はすぐなくなってしまう美味しそうな冷凍食品もこんな状況下では有り余っているようで、冷凍ギョーザと冷凍チャーハンをなんとなくカゴに入れ、なんとなく半額商品が気になってお惣菜コーナーに向かう。

だいたいこんな時間だとお惣菜はほぼ売り切れてしまうタイミングなのだが今日は明らかに様子が違った。バカみたいに商品が売れ残り、お惣菜たちが今か今かと、捨てられるのは嫌だと言わんばかりに半額のシールを見せつけてくるのだ。かねてから食べ残しや食品が廃棄される姿を目にするのが苦手な私は思わず心を打たれてしまい、雨の中電柱の横に捨てられている子犬を抱きしめるような、Fateの衛宮切嗣が崩壊した街で奇跡的に生存していた士郎を助けるような気持ちで、全てを救えないのは承知で弁当を2つ、焼き鳥盛り合わせを2つカゴに入れたのだ。

冷凍食品に比べそういった食品ははるかに儚い命だ。そもそも命があるという前提がちゃんちゃらおかしいのだが、物を大切にするという意味で許してほしい。

もったいないばあさんという絵本がある。幼少期の頃誰しもが一度は読んだことがあるだろう。彼女は孫の物を安易に捨てる行為に対して「もったいないもったいない」と口酸っぱく言い、ただ文句を言うのではなくお婆ちゃんの知恵袋を披露し、物を大切にする価値を同時に教えてくれる。それを読んだ感受性の高い子供たちはしばらくのあいだ心にそれぞれのお婆ちゃんが居続けたことだろう。

客がいつも通り来るはずもないのになぜ、大量に期限の短い惣菜を作ってしまうのか、毎日廃棄される食品を見ていると戦争で敵国の人間を殺すことに慣れて人の命の重さを忘れてしまう兵士のように心が死んでしまうのか、そんなことを考えながら自分が救わなくても誰かが拾ってくれるだろう冷凍ギョーザたちを元のシェルターに戻した。そうだ、大人になった自分の心にもあのばあさんがまだ生き残っているかもしれない。そんな自分勝手な妄想を拡げながら、寒空の下、両手にスーパーの袋を抱え帰路につく男の話。

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