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百田尚樹よ、国士ならば尖閣、竹島とともに辺野古も守りなさい。

えらいてんちょうと申します。さまざまな筆名を使ってきましたが、本名は矢内 東紀(Yauchi Haruki)と申します。27歳のユーチューバーです。最近本を出しました。皆様におかれましては、以後お見知り置きを。

私は百田尚樹先生をはじめとする右派論客の皆さんに不満を持っております。先生方は、尖閣諸島、竹島、北方領土の問題については声を大にして日本の国土を守るよう仰るのに、辺野古基地移設問題については寧ろ、その土地を護り、その土地とともに死んでいこうという方々を蔑ろにしているように感じられるからです。

無論わたしは、いわゆるリベラルが大嫌いです。選挙で勝ったときだけ民意を掲げ、これが「沖縄の」民意であるかのごとく喧伝し、かといって選挙で負けている宮古島や石垣島で住民投票を拒否した際には「法律上の義務がある」
と主張するなど、選挙で勝ったがゆえに基地を建設する国とそれに反抗する県、何が違うのでしょうか。

リベラルの皆さんは日常的にこういったダブルスタンダードを用います。最低時給1500円にしろと主張される方の事務所の時給が900円代で、攻撃されているゾゾタウン側は平均を大きく上回る給与を出していたり、貧困の連鎖を断ち切り教育を充実をさせることをうたうわりに、総理や大臣の漢字の間違いを嗤うにいたっては、差別としか思えず、貧困に喘ぐ人々の代弁者とはとても思えません。(わたしは生活保護支援のボランティアを長くしておりましたが、こういったまとまった文章を読めるひとはほとんどいませんでした。漢字のレベルも高くありません。総理や財務大臣を嗤うということは、貧困に喘ぐ当事者を嗤うに等しいことになぜ気づかないのでしょうか。)

話を戻します。リベラルに対してそのダブルスタンダードに嫌気がさしすぎているのと同様、百田尚樹先生ら右派論客が辺野古の基地移設を見逃すのが、先生らに対しての嫌気に変わりそうで、本当に嫌なのです。先生たちは、国土を護り、列島を愛する国士ではなかったのですか。

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「私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間かん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。」

2年前に出された陛下のお気持ちを拝見、拝読して、私は泣きました。陛下は見ておられる、私は「共同体を地道に支える市井の人々」でありたい。

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私は国際法に明るくありませんし、百田尚樹先生のように歴史にも明るくありません。このように無知な者は、歴史や領土問題について発言すべきではないのかもしれません。しかし、地域の共同体を支える市井の人間の一人として、勇気を出してこの発信をする次第です。

土地は誰のものなのか。

鳩山由紀夫元首相が「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」といって大炎上したことがありました。私は、領土問題を抱える一国の総理大臣の発言としては断固間違いだと思いますが、これはある種の正しさをもっております。

様々な生物が地球上に棲息しており、人間以外の動物は土地の所有権を主張しません。私が前住んでいた家の大家さんは中国人の方でした。

では領土とはなんなのか、土地は誰のものなのか。法的な所有権を抜きにして、本質的に考えます。

あえていうならば、「地域の共同体を支える市井の人々」のものなのではないでしょうか。地域に土着し、市場から魚や果物を買い入れ、地域の人々に売る、長く続く個人商店。
パソコンが壊れて困っている地域の高齢者のもとに、一番最初に駆けつける電気店。
朝、だれかが捨てた分別されていないゴミを、ゴミ収集車が来る前に分別している、民生委員の方。
落ち葉を拾い集め、タバコの吸い殻を拾い集める町内会の方。

「好きなことでいきていく」「嫌になったら移動すればいい」という、インターネットを中心にしたトレンドの中、家族をつくり、子孫をつくり、土着し、近所の皆さんと挨拶をする、名もなき市井の人々。

彼らこそが土地の所有者だと思います。彼らの地道な活動があってこそ、我々はいつどこに移動しても好きなことで生きていけるわけです。

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竹島や尖閣諸島、北方領土、あるいは辺野古で、地域の共同体を地道に支える市井の人々はだれなのでしょうか。本当にわかりません。

2年前、妻と、生まれたばかりの、やっとミルク以外に興味を示すようになった息子と、辺野古・キャンプシュワブに行きました。名護から県道を行き、沖縄高専を通り過ぎて、ゲートに辿り着きました。

ゲートでは、アメリカ軍の車が行き来していましたが、座り込みをしている反対派活動家はわずか1名しかおりませんでした。その1名の方とお話をして、わずかなカンパをわたし、ステッカーをいただきました。「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」とありました。反対集会のときは数十名から数百名の人が集まるそうですが、普段は誰もいないときもあるとよことです。沖縄高専の先には一切店はなく、座り込み拠点にはトイレすらありませんでした。

座り込みをしている反対派のみなさんが、「共同体を地道に支える市井の人々」には、残念ながら見えませんでした。むしろ、共同体を地道に支える市井の人々がいなくなったところに、うまくアメリカの基地ができていっているように見えました

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長くなりました。この文章を書き始めた動機は、はっきりいって百田先生にあやかって本を売りたいということです。助平心です。

私の本など売れるはずがありません。インターネット芸人の処女作です。ですから、普段から本屋という場所で働き、本という文化を護ってきた書店員の皆様にご挨拶をして全国回っております。そのときに、百田先生の本が異常に売れていることを知り、皆さん国を守りたいんだと思いました。

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私の本は、起業の本と銘打っておりますが、国を守る本です。国を守るとはどういうことなのかといえば、郷里で地道に共同体を支えるというのとです。

辺野古を守りたければ、辺野古に経済をつくり、地域の共同体をつくる必要があります。そこに「よそ者」は、すぐには入ることができません。地域の共同体はそのように支えられます。そして、そこに住み込み、一緒に掃除をすることによって始めて、その地域の人になれるわけです。

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長くなりましたのでまとめます。

・保守論客は、尖閣、竹島、北方領土のほかに、辺野古も守れ。左派論客は、辺野古も守りたければ、尖閣、竹島、北方領土も守れ。

・そのためには、天皇陛下のおっしゃる、「地域の共同体を地道に支える市井の人々」になれ。

・俺の本「しょぼい起業で生きていく」は、「地域の共同体を地道に支える市井の人々」とはどのようなものかを書いた本なので、よかったら読んでみてね。

以上です。お付き合い頂きありがとうございます。

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