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いいね!と思う人と悪いね!と思う人は同じ数いる説

1.「自信がないんです」
2.「怖いんです」
3.「実力がまだないんです」

どうして自身の作品ををアピールしないのですか?と美大生に聞いたときの返答は、だいたいこの3つです。今日は「称賛と批判」についての授業です。

「さてみなさん。1.自信がないことと、2.怖いことは批判されることへの恐怖ですね。ここでひとつ確認をしたいのですが、この考えのベースには、自分の努力次第で批判より称賛を得られるという考えを持っていませんか?

例えば、10人に何かしらのアプローチをかけて、はじめはあなたに批判的な人が6人、肯定的な人が4人だったとしましょう。そこから自分の実力を上げる、もしくはコミュニケーションの仕方を変えた場合、批判的な人が2人に減り、肯定的な人が8人に増えるようなイメージではありませんか?」

「だいたいそんな感じですが、アプローチをかけた人全員に反応してもらえるとも思っていません」と学生。

「いい目のつけどころですね。確かにそうです。無関心な人も大勢いますね。そもそもなのですが、僕は肯定的な人と否定的な人の割合は、努力とは無縁でずっと同じ比率であると考えています」

「えええ〜!?努力は無駄ということですか?」

「いえ。努力は全くをもって無駄ではありません。その努力は、肯定的な人の割合を増やすのではなく、肯定的な人、否定的な人をひっくるめた、全体の数を増やすことにあります。そうすることで、結果として肯定してくれる人の数を増やすという考えです。

ここに、正規分布図というものがあります。正規分布とは簡単にいうと、世界で起こる、いろいろな事象の確率をシンプルに表したものです。

偏差値とかもそうですね。何事も平均の数がいちばん多く、プラスであれマイナスであれ平均から遠くなると数が少なくなるというものです。

しかも、それがプラスマイナスほぼ同じ値であるというものです。要は、これが示すものって、好きも嫌いも同じ数あるって概念ですね」

「ほー」と学生。

「そして、このグラフをどう切っていくかなんですが、社会学者のエヴェリット・ロジャースさんという方が1962年に発表したイノベーションの普及プロセスというものがあります。これは、新しいアイデアが世間に広まっていく過程において、広めていく人のグループを5つのカテゴリーに分けたものなんですね。

簡単にいうと何かの事象に対してすぐ反応する高感度な人から、すぐには反応しなかったり鈍感な人までのグループ分けのことです。例えば新しいiPhoneが出ると、発売日に徹夜してまで並んで買う人と、全く関心を示さない人がいつもいると思いますが、そんなイメージです。

そこで、そのグループの比率を「超高感度2.5%」「高感度13.5%」「どちらかというと高感度34%」「どちらかというと低感度34%」「低感度16%」と分けたんですね。

数字を足してもう少しざっくり解釈すると「好き!16%、ふつう/どちらでもない68%、関心がない/嫌い!16%」みたいな分布になりますね。

ここに僕の持論を加えると、高感度の中でも「超高感度2.5%」「高感度13.5%」が分かれているのと同じように、マイナスの16%の中にも「超低感度2.5%」「低感度13.5%」が分かれて存在しているのでは?と考えています。

そしてこの「超低感度2.5%」の層は、置き換えるとアンチと呼ばれる人や、ヘイトの意見を言うような人たちと言い換えることもできるのではないかとも考えます。ちなみに、あくまでもここでの「感度が低い」は、事象への共感値が低いという意味で、決して感度が高い/低い=正しい/間違いという意味ではありません。

例えばYouTubeで海外有名アーティストのミュージックビデオの評価を見ていても、視聴数に対してだいたい平均して全体の1.6%(超高感度2.5%+高感度13.5%=16%の1/10)がいいね!(高評価)をしていて、全体の0.25%(超低感度2.5%の1/10)が悪いね!(低評価)を付けている印象です。コアファンでもアンチファンでもその中の10人にひとりが実際にネット等に反応する人なのかな?とも考察できます。※アンチをアンチファンと表記したのは、何らかの理由であれ能動的に反応するということは、ある意味気になっているから追っかけてまで批判するのかな?という考えから「アンチファン」としています。

さらにもうひとつ僕の大好きな別の研究があるのですが、「働きアリの法則」と名付けられた研究があります。

これは働きアリの研究者が発見したもので、働きアリはどのグループにおいても、2割がとてもよく働くアリ、6割が普通に働くアリ、残り2割がサボるアリらしいのですね。

そこで、このサボる2割のアリをそのグループから除外してみると、どうなると思いますか?

なんと引き続き様子を観察していると、2割のとてもよく働くアリ、6割の普通に働くアリの中で、またよく働くアリ、普通に働くアリ、サボるアリが2:6:2の割合で発生するというのです。

これは世の中の犯罪が永遠に無くならないのと同じで、アリに限らず全生物学的な仕組みとして努力とかルールなどとは関係なく、組織はそのような仕組みとなるのではないかと僕は考えています。

さて、ここでさきほどのイノベーションの普及プロセスの16%/68%/16%の数値と、働きアリの法則20%/60%/20%を比べてみると、とても近似値だなーと考えるわけです。

要は世の中、意識の高い人2割、普通の人6割、意識の低い人2割が存在し、それは情報発信者の努力や見せ方の工夫など関係なくその割合は変わらないものであるということです。

そして、これは人や作品の評価にも当てはまるのではないかという仮説です。

冒頭での「肯定的な人と否定的な人の割合は同じ」というところに話を戻すと、みなさんの現時点でのスキルや見せ方の演出、または自身で考えるじぶんの熟成度などとは関係なく、一定の割合でみなさん、もしくはみなさんの作品を好きな人、普通の人、嫌いな人がいると考えられます。

みなさんが頑張ってスキルアップすることで相対的にみなさん自身や、その作品は多くの人に見られることには繋がるとは思いますが、それに接してくれた人の中でのファンの割合を変えることは不可能じゃないかという説が立てられます。

だから、最初にあった3.実力がまだないんですも、実力がついたと自負しようがしまいが、いつ発表しようと対外的な評価には、あまり関係がないのではないでしょうか?

いっぱい解説しましたが、まとめると「自信がないんです」「怖いんです」「実力がまだないんです」は、評価を恐れても意味がないこと。皆さんのスキルや知名度に関係なく、ファンはいますし、アンチもいます。

作品を作っている人で最も良くないのは作者以外誰も作者のこと知らないこと。もちろん、純粋な作家活動として自分の思考、思想の単なるアウトプットとして作品を作っている人は別ですが、作家の大多数は他者との関係における作品を制作しています。それはデザイン的な思考としては至極当たり前です。

そんな中で、みんなからいい評価のみを得ようという考えは理想論であって、現実には好き/嫌いひっくるめて評価されるということです。

だから、好きって言ってくれる人が10人現れたら、耳には届かないけど10人嫌いって思われてるんだな、または逆に、1人でも辛辣な意見をしてくる人がいたならば、目にはしないけど1人すごいファンもいるんだなと思いながら、自身や自身の作品を世に出していったほうが、精神衛生上いいのではないかな?と考えるわけです。

「気負うなってことですね」
とホっとした顔の男子学生。

「そういうことです」





Text : 熊野森人 (@eredie2)
Illustration : ぎだ (@gida_gida)


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