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生活保護が嫌いな医療従事者達へ

少し前に、医師がTwitterに

「胸部大動脈瘤破裂の身寄りのない80代男性。生活保護。救命率は限りなく0に近かったが、緊急手術。止血できず、人工心肺のままICU帰室し、術後2日目に死亡。恐らく数千万円は掛っただろう。国民全体の医療費を個々の医師が考えなければ国が破綻すると痛感した症例だった」

と書いたことが話題になりました。

この医師は「日本の医療財政・資源が有限であるのに、どのように分配するかの議論の欠如」「救命率が低い患者への緩和治療適応の是非」「身寄りがない人の治療方針決定の難しさ」の3点についての問題提起だと補足しており、確かに医療費は有限という賛同の一方、「生活保護」だから医療の差し控えが許されるという考えに読み取れるという批判も受けています。
私自身は本人がどのような意図でこれを書いたにせよ、この発信を生活保護受給者自身が見た時に、「生活保護受給している自分は医療を受ける価値がないのだ」と感じ、医療機関受診を躊躇う可能性が高い面において、医師の発信として非常に無責任だと考えます。

その前には、看護師向けのwebマガジンで、「生活保護受給者の医療費を知っていますか?―過剰受診・不正請求問題」と称し、「生保患者の権利意識が高すぎる!」「毎日のように来て、態度が横柄」「湿布を大量にもらって仲間に配ってる」「肝疾患なのにいつも酒臭い」といった看護師の発言を「生の声」として紹介した記事が掲載されています。


近年、医療従事者が生活保護受給者に対して否定的な主張を行う姿をよく目にします。そしてそれは大抵「税金で生活しているくせに」「働かないくせに」といった、社会の中での生産性の面からです。
私自身、新卒で入職した病院で、先輩看護師が「生活保護受給している奴はパチンコばっかりしている」「元気なくせに生活保護受給してる」「生活保護の患者は面倒くさい」といった話を毎日のようにしていることに驚いたし、それが職場の中だけの単なる愚痴であればまだ良いのですが、SNSを通して発信してしまう医療従事者の多さは、見過ごせないレベルになってきています。

確かに私自身病院で働いていて、コンプライアンス不良や対応の難しかった、いわゆる我儘な患者が生活保護受給者だったケースは何度も経験しています。しかしそれを理由に国内に214万人いる生活保護受給者を一律で批判することは、あまりに軽率だと感じます。

なぜ医療従事者は生活保護をこうも叩きたがるのか。本気で「生活保護を受給している人間は生産性がないから医療を受けるな」と思っているのか。生活保護受給者と密に関わる機会の多い勤務医と病棟看護師に焦点を当て、生活保護に対して医療従事者がネガティブなイメージを持つ理由を検討していきます。


医療従事者は生活保護の背景を知らない

医療従事者が生活保護を叩く理由は大きく分けて2つあると考えています。

まずひとつめは、医療従事者自身が社会保障や福祉、依存症など、生活保護に対する最低限の知識を持っていないことです。

「肝疾患のくせにいつも酒臭い」や「生活保護のくせにパチンコばかりしている」といった意見がありますが、酒ばかり飲むのはアルコール依存症、パチンコばかりするのはギャンブル依存症です(※1)。依存症はドーパミンの放出をはじめとする「やめたくてもやめられない状態」であり、人としてだらしないかどうかは関係ありません。アメリカやヨーロッパでは、薬物依存に対するハームリダクション(※2)など、「依存症は刑罰ではなく治療の対象」という認識が浸透しつつありますが、日本では身体の専門家であるはずの医療従事者ですら、依存症に対する正確な認識を身に着ける機会はあまり無いように思います。

また、生活保護をはじめとする貧困状態には家庭環境や教育機会の差が大きく影響し、貧困は世代間で連鎖する傾向があると研究で指摘されています(※3)。簡単に言えば、「お金を稼ぐ努力ができる人間は、生まれつき努力する、あるいは金を稼げるようになるための環境が整っているけれど、そうでない人もいるしそれは本人のせいではない」ということですが、その事実も知らなければ「生活保護になるのは努力しなかった自分が悪い」と片づけられがちです。特に医師、看護師は身体の専門家ではありますが、人間を取り巻く社会的な背景については大抵素人ですから、自身を取り巻く自己責任論を他者に押し付ける可能性が高いことは明白でしょう。

さらに、上記看護師向けメディアでは「生活保護受給者は必要もないのに病院を受診する」と、生活保護費の中で住宅扶助や生活扶助と比較して医療扶助が高いことや、国保の患者と比較した医療費の高さをデータとして出していますが、そもそも生活保護受給者の8割は高齢者世帯もしくは傷病・障害者世帯ですから(※4)、医療費が高くなるのは当たり前です。

「私達は高い税金を払っているのに不公平だ」という意見に関しては、起業家のふろむだ氏のブログに税金に関する大変分かりやすい記事が載っているのでぜひ読んでいただければと思います。

看護学部で生活保護について教わる機会はありませんでしたし、医学部のシラバスに「社会学」もしくは「社会保障」といった授業が記載されている大学出身の医師10名程(千葉大学、筑波大学、自治医科大学、順天堂大学、大阪大学他)に訊いても、いずれも「多少は習ったかもしれないけどあまり覚えていない」とのことでした。生活保護をめぐる背景やデータの読み方を教わることなく、生活保護の表面だけを見ることは、医療従事者が生活保護受給者に対してネガティブなイメージを持つ理由として大きく影響していると考えられます。


他者の背景を考えられないくらいに医療現場は追い詰まっている

医療従事者が生活保護を叩くもうひとつの理由は、医療現場そのものの疲弊にあると私は考えます。

多くの病院では、医師、看護師共に長時間労働と過重労働でひどく疲弊しています(※5)。
病棟看護師でいえば、今すぐ痰を吸引しないと窒息死する可能性がある患者の痰を吸引しようとしたら別の病室の認知症患者の離床センサーのアラームが鳴り今すぐ駆け付けないと転倒事故が起きるが、さらに別の病室では痛みを訴える癌患者が鎮痛剤を希望している、というような状況に毎日のように置かれること、さらに夜勤によって生活リズムが不規則になることが、どれだけのストレスになるか、想像に難くないでしょう。

その中で、禁止されているお菓子をこっそり持ち込んで食べていたり、認知症でもないのに点滴を自己抜去していたり、医療スタッフを怒鳴りつけたり殴りつけたりする患者に対して、怒りを持つなという方が難しい。そしてそれが生活保護受給者だった場合、生活保護に関する知識を持たない医療従事者ほど「生活保護だからこういうことをするんだ」という認識になってしまうように思います。


私は何年か前に、生活保護の、白血病の患者を看取りました。元々自営業で、経営が上手くいかずに生活保護を受給し始めた経緯を持つ人でした。ナースコールがとても多く、看護師と、「めまいがするんだ」「貧血だからね」、「腰が痛い」「針刺した(マルク)後だからね」、「なんでこんなに熱出てるの?」「今検査してるでしょ」と、同じやり取りを何度でも繰り返す、看護師としてはわかりやすく「手のかかる」患者でした。数分おきのナースコールに私は疲れ果てていて、正直「これだから生活保護は」と思っていました。

ナースステーションの横の面談室で彼は、白血病が進行して手の施しようがないという説明をひとりで受けていました。

そして病室に戻った彼の最初の一言は「俺、何かそんなに悪いことしたのかな」でした。

私は二の句が継げませんでした。彼が病気を何かの罰だと考えていたことに、ではありません。心のどこかで、「生活保護受けて暮らしてたのに今更」と思っていた自分に気付いたからです。目の前の人の命に優劣をつけていた自分の、その浅はかさを前に立ちすくむしかなくて、どうしたら良いのか分からなかったのです。
結局、亡くなった彼の顔との向き合い方は、最後まで分かりませんでした。生活保護を受ける彼は「悪い」のか、人生の中でミスをしてそれ以上頑張れなくなることは「死んでも不平不満を言うな」ということになってしまうのか。そんな環境の中で私はこれから何十年も頑張り切れるのか、何を犠牲にしてでも頑張り続けなければ、私も「別に死んでもいい」人になってしまうのか。

コンプライアンス不良やコミュニケーションの困難さには患者当人が積み重ねてきた人生の背景があり、本来表面的なやり取りだけで相手の人格を決めることはできないはずですが、そんな「理論的な理想」なんて掲げていられないくらいに私達は疲弊していて、知識も余裕もない中で「生活保護」という、なんとなく「努力しなかった人たち」のような気がしてしまう記号は、分かりやすい怒りの対象となり得ます。

それは多くの生活保護受給者とは全く関係なく、我々の知識の浅さと短絡的な思考の成れの果てなのは重々承知してはいるし、勿論それが患者の不利益に繋がるなんて絶対にあってはならないことだとは分かっているのですが、それでも思ってしまうことはある。そして「こんな奴らのことなんて」と、逆に言えば「私達はいつまででも頑張れるんだ」と思いながら提供する医療では、いつか私達医療従事者の心身に限界が来るのではないかと、私は思います。


包括的な制度だからこそ正しい認識を

知人の勤務医は、生活保護受給者への医療従事者の目線に関して、
「生活保護受給者のごく一部に、どうしようもない性格で社会不適応であるがゆえに働くこともできず、病院に来てはクレーマーのような態度を繰り返す、こちらのモチベーションを根こそぎ奪っていく人がいて、少数だが複数いる上に同じような経過を辿っていく。医療従事者は超精鋭とでもいうべきそういった特殊な生活保護受給者の相手ばかりしているうちに、生活保護受給者に対する偏見が形成され、生活保護叩きに至る」
と話しています。その上で、
「医師は彼等彼女等を受け入れ治療することを強いられる。彼等彼女等をつまはじきにしてきた社会からそれを要請される。生活保護の知識がなければ、生活保護受給者とはあまねく性格のゆがんだつまはじき者だというイメージが植え付けられかねない」

と語っていました。生活保護が、誰が見ても分かりやすくやむを得ない事情の人から、一見して理解し辛い、自己責任論で片付けられそうな人まで包括的に取り扱っている制度だということをよく表していると思います。

今でも私自身に、あらゆる偏見や優生思想がないとは言えません。内面化されていた規範や思想に気付く度に反省し、自分の思考の軸すら疑わしくなることは多々ありますし、偏見とは、それくらい私達の無意識に入り込んでいるものです。そして他者への偏見は「ああなっちゃだめだ、こうなってもだめだ」と自分自身の在り方を極端に狭めるとも思います。

他人の命に関わる仕事を選んだのだから、余計な傷付きを生まない努力を続けることは、医療従事者の仕事の一部ではないか。そしてそれが私達医療従事者自身にとって、短絡的でない豊かな議論の素地や全人的な制度の策定に繋がっていくのではないか。あらゆるデータやその背景を論理的に読むためにも、他人も自分も傷付けることなく日々を過ごしていくためにも、自分を追い詰めるモノの正体を丁寧にほぐしていく作業は、とてもとても重要なことだと私は考えています。


参考

※1 餓死にもつながる生活保護停止ー生活保護受給者のギャンブル行為を感情論で判断してはいけないーhttps://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20160331-00056034/

※2 小林桜児(2018),依存症治療は今、ハームリダクションに切り替わっています.精神看護,21(6),548-554.

※3 家庭の経済格差と子どもの認知能力・非認知能力格差の関係分析-2.5 万人のビッグデータから見えてきたもの-https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/ending_child_poverty/img/5.pdf

堀夕葵(2014).子どもの貧困問題と貧困の連鎖の解決に向けて,香川大学 経済政策研究,10(11),27-49

※4 厚生労働省 生活保護制度の現状について
 https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000164401.pdf

※5 鈴木庄亮(2017).勤務医は心身とも疲弊している―健康チェック票THIの結果から.産業衛生学雑誌,59(4),107-118.

日本医療労働組合連合会(2014).看護職員の労働実態調査「報告書」.医療労働.

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