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【レミゼ】(民衆の歌)なぜ、「戦う者の歌が聴こえるか?」より "Do you hear the people sing?" の方がグッとくるのか?

コロナ禍で、ミュージカル レ・ミゼラブルの「民衆の歌」が人々の心を励ましていました。

私も先日、友人と「岩谷時子さんの訳詞、マジで神だよね」と、岩谷先生が耳にしたら眉をひそめそうな日本語で、かの名曲の訳詞の素晴らしさを讃えていました(LINEで)。

「直訳じゃないのに、英語で表現しようとしていることを的確に伝えてくれている!素晴らしすぎる!!(握りこぶし)」
「日本人の我々にとったら、英語の歌詞より日本語訳詞の方がやっぱり美しくて胸に響きますなぁ!(涙)」

二人とも、あ〜だこ〜だと、なけなしの語彙力を駆使しながら興奮を伝え合っていたのですが、ふと、

「でも、英語の "Do you hear the people sing?" は、シンプルだけど、かなりグッとくるよね。」

という話になったのです。


「民衆の歌」の歌い出しの第一声。
日本語版では「戦う者の歌が聴こえるか?」という歌詞で、私はアンジョルラス役の吉野圭吾さんの歌声が大好きです。

でもなんとなく、ここは”Do you hear the people sing?" の方が胸にグッと来るような・・・。

なんでだろう。


こういうとき、理由を分析したくなるのです。

が、その理由はすぐにわかりました。

「やっぱ、"you" が使えるのは英語の強みだよね。」

と。

「君にも聴こえるか」と聴き手を当事者に巻き込むことができる。

日本語版でも、エピローグに同じメロディで「皆聴こえるか、ドラムの響きが」と歌う部分があります。
これは聴き手に呼びかけ、手を差し伸べている。
確かに、「戦う者の・・・」よりもグッとくる気がする。
(エピローグだからというのは抜きにしても)

そうか〜、とこの時は納得、というか「うちらスゲーことに気づいたね!」と興奮して終わりました。


ですがその後、犬の散歩中に「でも、戦う者の〜は、吉野圭吾さんの歌声がとても素敵なのに、なんでそんなに何も感じないんだろう・・・」と改めて疑問が頭をもたげてきました。

だって、最終的に「聴こえるか?」と問うているではないか。
「皆聴こえるか」と何が違うのだ。

気ままに動き回る犬を目で追いながら、悶々としていたそのとき!
私は閃きました(ピコン)💡

「音じゃね?」

"Do you hear the people sing?" は、音が上に上がっていく中で聴衆に語りかけてる。
「皆聴こえるか」も同じ。

「戦う者の歌が聴こえるか」の場合、この音に対応する部分は「戦う者の」。
語りかけ部分の「歌が聴こえるか」は下がる。

専門的なことはわかりませんが、音は、下がっていくよりも上がっていく方が、歌い手も聴き手も気持ちが盛り上がるのでは。
ほとんどのミュージカルソングは、あの皇后も、あの天才作曲家も、あの天才科学者も、ぐわ〜!と音を上げて歌い終わるではないか!

私たちの耳は、音がぐぉーんと上がっていくところで感動し、下がっていくところは聴き流しているのでは?
英語版の歌い出しの"Do you hear the people sing?" は、いきなり胸をグッと掴まれる気がする。
日本語版のエピローグに出てくる「皆聴こえるか」、「列に入れよ」では、コーラスが入っているのもあって、もう拍手しながら「ブラボー!涙(パチパチパチパチ)」状態。
その後の「ドラムの響きが」「我らの味方に」(英語の歌詞は思い出せない。angry menとか言ってた気がするな〜程度)は、半分朦朧とした意識の中に聴こえてくるだけかもしれない。

そうすると「戦う者の 歌が聴こえるか」よりも"Do you hear the people sing?" の方が心揺さぶられるのも納得。

ふむふむ。


ただ、これがまた憎いところですが、「戦う者の」は歌い出しなんですよね。

伴奏も静かだし、歌い手さんも、シンとした中で「耳を澄まして。ほら、聴こえる?」と言いたげ。
ここで「皆聴こえるか」と歌い出しても、唐突すぎて「は?」・・・とはならないにしても、ちょっと戸惑うかもしれない。
何が聴こえるのか分からなくて、胸がふわふわして、少し居心地、耳心地が悪い気がします。
ここでは「闘う者の歌が聴こえるか」の方が、耳に優しい。

それに続けて「鼓動が 『あの』 ドラムと響き合えば」と、少し遠くに意識を向けさせるような詞になっているのも、少しずつ少しずつ、彼らと同じ目線に引っ張っていかれているように思う。

日本語は、英語と違って一つの音に乗せられる言葉の数が少ない。
だから、英語版の歌い出しと同じ効果(一節でグッと心を掴む)は出せないかもしれないけれど、「じっくりと聴衆の意識を集めていく」という方向で成功している気がしました。

曲の世界に誘うには、この歌い出しの歌詞が最高なんだわ・・・

と気付き、更に岩谷時子さんへの尊敬の念が深まったのでした。



余談ですが、個人的には「民衆の歌」よりも「One day more」の方がコロナ禍の状況には合っているのではないか?とも思い、一人で歌ってみた。

「今日も1日を生き延びた〜」
「巡り会えたのに〜 ようやく会えたのに〜」
「今日も一人よ〜」
「嵐の日まで あともう1日〜」(これは吉野さんの歌声が好きだから書いただけ)

うん、それっぽい。


しかし!

テナルディエ夫妻が登場した途端に、物騒になるんですよね!

ここには書きませんが、「こりゃダメだ〜」って頭を抱えました。

余談の余談ですが、日本語版の

 明日は旅立つ 明日は裁きの日

 明日には分かる神の御心が

 朝が 

 明日が 

 来れば

は、世界遺産レベルの素晴らしさだと思います!!!(T_T)(興奮して涙が出てきた)。

2003年版のCD(山口祐一郎バージョン)がオススメなのですが、もう中古でしか売ってないみたいですね(そして高い)。
吉野さんのアンジョルラス、生で観たかったなぁ。


#ミュージカル #レ・ミゼラブル #民衆の歌 #2003年東宝版 #アンジョルラス #吉野圭吾さん  


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