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わたしにとっての人との関わり合いのほんとのトコ。

人間関係ってなんだ?
昨日のわたしはコレで一色だった。

人間関係って、ほんとうに難しい。

わたしにとってのそれは、いつも瞬間瞬間で、関わる人も流動的だし、明日会うこともあればもう会わなかったってことも当たり前。

世間に存在しているらしい
仲間とみなされる条件を満たすとか
それによって暗黙にある縛りを守るとか
一緒に過ごす時間の長さとか
共有してる情報の多い少ないとか
会ってる頻度の多い少ないとか
こうしてくれたから良くしてあげるとか
話が合うとか合わないとか

そゆうことがわたしの世界にはずっとなくて
それによって現実理解に苦しんだけど
人と関わるほんとのとこって、そゆうことやないんやもん

会った、今、その瞬間に
当たり前に相手を尊重してるから、なんの建前もなくて、だからお互いがほんとうの自分でめいっぱい本気で向きあってる。
それが関わり合うってことだよなあと、わたしの世界では思うのよね。相手の思考や言動に対して否定も肯定もない感じ。その違いさえ楽しめる感じ。

だからたとえば
久しぶりに誰かと会ったとして、こっちは当たり前のよにオープンマインドで向き合ったら、相手から建前対応の空気を感じとれちゃった時、勝手にすんごい寂しい気持ちになっちゃう自分がいたりする。

そんなん
今の状況も世界も人それぞれで、自分とおんなじ価値観や状況な訳ないやん、って自分に言い聞かせながらも、すんごい寂しい気持ちになる。くそぅ。なんなんわたし未熟者め。

わたしって、実は尊重されてなかったんだとか、信頼されてなかったんやとか、そもそも相手にとって友人やなかったのかとか、なんかようわからんけどとにかくこの人はわたしとは関わりたくはなさそうねとか、自己否定に走りがち。

あとはうーん、なんやろう〜
なんか、そこの底をみてくと、無条件に繋がれない寂しさ、一体じゃない寂しさ、魂でやりとりしてない寂しさ、みたいな感覚があるんよね。

この感覚が一体なんなのか、まだいまいち分からない。当たり前のことなのだろうけど、この世界では、「みんな全員とは分かり合えない」ってコトが存在する事実に、悲しみと寂しさをその都度感じている、そんな感じ。

友人と認められる暗黙ルールを踏んでなければ、繋がってゆけない、いや、フレンドリーに話しかけることも許されないのかいな〜とかもう色んなルールに白眼になってしまい、いつも頭はぐるぐるぐるぐるまわってゆく。

あ〜ほんとめんどくさいわ〜
ただみんなと平等に自由に関わり合いたいだけなのになあ〜がほんとのとこの気持ちで。

関わり合う瞬間が大事だって思うからこそ、自分が不調な時は、そこにめいっぱいのエネルギー注げないのが申し訳なくて誰かに会うのを控えて生きてきたけど、そんな時でも安心して誰かと会える世界がみたい。というのもほんとのとこ。
ああ〜今日のあなたは、なんだか辛いのね。なんだかぼーっとしてるのね。オッケーオッケー👌それでも大丈夫だよ〜、あはははみたいな。

それぞれが自分の傷とか刷り込みとか、
そゆのをぜんぶとっぱらえて、ほんとのとこで自立ができた時、そんな世界がみられるんじゃないかって静かに勝手に思い描いてる。

まるで思春期みたいなテーマだけど
わたしには、何についても原点にたちかえる習性があって、だいたいのとこ脳内カオスで大変だけど、それもわたしらしく可愛いヤツだと思うことにしよう。

今日はとにかく
脳内カオスだ。
もうちょっとじっくり自分と対話しよう。
よしよし、おちつけおちつけ
わたし。




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