「障害」を「持つ」?「障害」が「ある」?

私は「先天性」の「聴覚障害」が「ある」。

時々、聴覚障害の知人がSNSのプロフィール欄に「聴覚障害持ち」と載せている。

別に、聴覚障害のことを公表しているのは構わないのだ。むしろそうした方が見る人にとっても分かりやすいだろう。

私が引っかかるのは「聴覚障害」を「持つ」と言う表現である。

聴覚障害に限らず、「障害」は持つものなのか?

そのSNSに載せている人は、望んで「障害」を「持って」生まれてきたのか?

障害者の人権云々は置いといて、「耳聞こえなくなりたい!」「目見えなくなりたい!」「車椅子になりたい!」と望んでいる人は殆どいないだろう。

「持つ」という動詞は「自分の意思で手にして、自分の意思で手放すことができる」というニュアンスが含まれている様に感じる。

「ある」は、「自分の意思とは関係なく存在する」というニュアンスかな。

それなら「障害」が「ある」の表現の方がしっくりくるのではないか。

お店や乗り物の掲示物などに「障害をお持ちの方〜」なんて書いてあるのを見てしまうと「丁寧語にしたってダメなんだよ。」とケチつけたくなるのである。

蛇足だが、私は、言われたり明記されたりしたことがあるだけでも、「聞こえない人」「聾の人」「感音性難聴」「聞こえにくい人」「補聴器の人」「聴覚障害者」「聴覚に不自由のある方」「聴覚障害のある人」など本当に色々な言い方がある。

「聞こえない人」と言われると、「まあ、確かに補聴器着けなかったら聞こえないんだけどね、あっでもね、飛行機の音は聞こえるんだよ。んで、補聴器着けたら、音声は聴こえるけど言葉として認識は出来ないんだよね、だから聞こえないと言っても全く聞こえない訳じゃあないよ。だから、聞こえない人という言い方が正しいかどうkah...」と説明したくなるのだ。

「聾の人」と言われると、「うーん、聾って漢字はカッコいいけど、私聾学校には通ってないしなあ・・・、手話もそこまで使ってないしなあ・・・、うーん、でも手話を使う聞こえない人たちは自分たちのことを聾って言ってて、手話をたまに使う私のことも聾って言ってくるから、そうなのかな?合わせた方が良いのかな?」ってなる。

こんな風に、一つの言い方には当てはまらない私。非常にやりにくい。

色々言われて、心の中で突っ込みまくった結果、もう自分の障害のことを他人に話す時は「聴覚障害があるんです」と言おう!と心に決めたのである。

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