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上司だって自分のことを一番気にかける(Emily in Parisより) 

エミリーパリへ行く("Emily in Paris")のシーズン3エピソード1で、こんなセリフがあった "Sylvie only cares about one thing, Sylvie." 直訳すると「シルヴィーは、1つのことにしか興味がない。シルヴィーだ」とでもなるだろうか。 元々自分が所属していたアメリカの会社に戻るか、当初は関連会社のような形だったが諍いにより解散し 新会社を立ち上げようとしているボスと同僚の元で働くか、どちらにもノーが言えず、両方に嘘の顔をして

    • 論述はできても、言語化はできない

      自分の心に浮かぶことを、言語化することが苦手だと、気づいたのは最近だった。 元々弁が立つとか、口が達者とか言われるタイプの人間だった。仕事の場でも、説明が上手だとかわかりやすいと言われる場面もあり、実際にそれを表で使う場面も多い。 しかし、何か自分の外にあるものについて語ることと、自分の心に浮かぶことを表現することは違う、ということが最近になってわかってきた。 これまでは、がむしゃらに目の前のミッションを進め、動かし、成果を上げて評価されてきた。走り抜けた先には、多くの働き

      • 「花椒」と思うか「麻婆豆腐」と思うか

        金曜の夜は、予定があればパーっと楽しむのだが、予定がないと抜け殻のようになって何もする気が起きない。1週間分の疲れとは、目に見えない鎧だ 仕事をなんとか終えて、やっと自分のことに気を向けられるようになった時、空腹に気づく。疲れていても、何かは食べたい。というよりせっかくの金曜日だし、明日の朝も早くないから、美味しいものを食べて飲んでリフレッシュしたい。 このままソファに寝そべって、宅配でも頼むとするか アプリを開いて探し始めてみるが、どれも帯に短し襷に長しでしっくりこない

        • 「教育分野に携わりたい」ってなんだろう

          教育分野に関わりたい、そうずっと思ってきた 根っこには、自分が高校時代までを過ごした地元と、大学で目の当たりにした東京との機会格差という衝撃がある。 地元だったら褒められていたことが、東京だったら当たり前。大学入学で満足している人なんていなくて、私がセンター街の歩き方を覚える頃には、すでにインターンを始めたり、ダブルスクールに通ったり。今に始まったことではなく、18年間の差が既についているんだと愕然とした記憶。 どこからかその時の記憶を、当時はやっていた「教育格差」「機会

        上司だって自分のことを一番気にかける(Emily in Parisより) 

          近すぎる人間関係に潰される人たち

          大学進学をきっかけに、18歳で実家を出て東京に来た。何か夢があったわけでも、使命に燃えていたわけでもないけれど、なんとなく生まれた地を離れてみたかった。 地元が好きだったか、と聞かれると返答に困る。気楽な友達もいるし、大好きな家族もいる。だけどすごく居心地がよかったわけではない。どちらかというと、すれ違ったら挨拶はするけれど、実際お隣さんがどんな仕事をしていて、というか何人家族なのかすらよく知らない、いまの生活の方が、なんだか息がしやすい気がしている。 大学時代から、地元

          近すぎる人間関係に潰される人たち

          「話題にあげる」と「生まれの格差」是正に繋がる?

          NYTimesでこんな記事に出会った Seeding Accounts for Kindergartners and Hoping to Grow College Graduates 幼稚園児に口座を作り、大卒者になるよう期待する ある自治体で、幼稚園児に「大学進学用の貯金口座」が開設され、初めからお金が振り込まれている、というものだった。金額は100ドル 日本でもそうだが、アメリカの大学の学費は特に高く、年間で寮費など含め2万ドル〜5万ドル程度はかかるのが普通だ。10

          「話題にあげる」と「生まれの格差」是正に繋がる?

          塩工場のおじさんを見て、「綺麗な」仕事を恥じた

          必死でやっている時は、何か大きなものを動かしている実感があった。 何日間か離れてみたとき、それがすごく小さな世界での話だったことに気がついてしまった。 私はある企業で、スタッフ職についている。新規事業開発に関わることが多く、試行錯誤しながら案件を前進させてきた。自覚はなかったけれど、それなりに評価もしてもらえるようになっていた。悪口を言い合えるような、気の合う同僚にも恵まれている。 ただ、年次の若い社会人にはよくあることなのだろうが、私もご多分に漏れず、自分がやる意味や

          塩工場のおじさんを見て、「綺麗な」仕事を恥じた

          幸せでなきゃいけない苦しさ

          「結婚おめでとう!」と言ってもらうたび、心が苦しくなる。 幸せなことなのだけど、祝ってもらえるのはありがたいことなのだけど、だからこそ絶対に幸せでいなきゃいけないし、妻としてあるべき姿でい続けなきゃいけないという気持ちが、ズンと心にぶら下がってくる。 人生が100年あるとしたら、まだ前半25%がすぎたところなのに、もう残り75%を共に過ごす人を決める。間違っているとは思わないけど、絶対に正しい自信ももてない。だって5年前の私と今日の私ですら、ひっくり返るくらい視点が違って

          幸せでなきゃいけない苦しさ

          結婚を人生の意味付けに使う気がして

          自分の人生の目標は何なのか。何を成し遂げるために今頑張っているのか。 もっと若い頃には、裏打ちもないその場限りの言葉でしのいでいた気がする。だけれど今は、軽々しく答えることができない。 いま答えるとするなら「まだ言葉にはできない。心動かされることをやり続ける。その先に見えるかもしれないし、一生探し続けるかもしれない。」といった感じ。 答えのない課題を考え続けることはしんどい。早く結論を出してしまいたいし、ゴールを設定して最短距離でそこに向かいたいと思ってしまう。 そん

          結婚を人生の意味付けに使う気がして

          Weworkと高等教育--教育ログvol.1

          #今日読んだ記事 WeWork Recently Sold Its Education Businesses. Now It’s Turning to Education for Business. #一行でまとめると WeWorkはキャンパスにいけない学生向けに、オフィス環境の提供を検討している #箇条書きで要約 ・WeWorkは未就学児教育とコーディング教育の事業を売却した ・オフィス事業での空室を大学教育に利用しようとしている ・大学側はコロナ影響で通常のキャンパ

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          大いなる正義の前の、数字遊び

          「成長したい」「貢献できる人になりたい、そのために経験を積みたい」そんな思いをもって、仕事をはじめた。 もちろんふと立ち止まって振り返れば、半年前や1年前の自分よりできることもわかることも増えている。だけど1日や1週間の視点に落とすと、なんだか「あっちを立てながら、こっちを立てて」のバランス取りゲームに日がな興じているような錯覚を覚える。 世の中の水準に比べれば十分な給料をもらい、身に危険が迫るような働きかたを強制されることもない。精神的に堪えることもあるが、動けなくなる

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          愛は「気がつけばそこにあるもの」なのか

          愛はきっと奪うでも、与えるでもなくて 気がつけばそこにあるもの パートナーとの週末ドライブも後半戦、帰り道の高速を飛ばしている時、ふとこの歌詞が流れてきた。何度も聴いたこの歌だけれど、なんだか今回は特別に耳に残った。 私とパートナーとは付き合って3年になり、また一緒に暮らし始めてもう1年以上が経つ。同棲を開始する前、周囲から言われていたような喧嘩もすれ違いもなくやってきた。「いつ話を聞いても仲が良さそうだからいいね」なんて言われたことさえある。 四六時中彼のことを考えて

          愛は「気がつけばそこにあるもの」なのか

          アピール下手の生きる道

          物知りも賢いも、褒め言葉だと思えたのは小学生までだった。社会に揉まれて生きるいま、知識があっても頭の回転がよくても、うまく生き抜けるわけでないことなんて、わかりすぎるほど思い知らされてきた。 完全に中立で客観的な指標で判断されたころは、たくさん知識があり、頭の回転が早いことで得をしていた。でも社会では、不完全な人間同士が、複雑な力学に影響されながら、絶えず判断を行なっている。 客観的に見れば人間は不完全性から免れないのだが、組織のヒエラルキーに押し込められたり、慣習に染ま

          アピール下手の生きる道

          地元に残る人たちが、幸せに見えるとき

          私は高校生まで片田舎で過ごし、大学入学とともに上京した。それからはずっと東京住まい。 1年に1度帰る地元は、「ホーム」から次第に「もう1つの世界」になってきた。客観的に見つめる対象になってきた。 普段からInstagramなどで生活を覗き見はしているが、実際に話す機会はなかなかない。そんなとき、コロナの影響もあり、オンラインで再開できることになった。(StayHomeは、近くにいる人との距離は遠ざけたが、遠くにいる人との距離はむしろ近づけてくれたと思う。) いざはじまっ

          地元に残る人たちが、幸せに見えるとき

          気づけば、社会課題への思いが薄れてきた

          新卒1年目のころ、「私には解決したい社会課題がある、だから30歳までに社会起業家となり課題を解決する。会社勤めは、そのためのスキルを磨くためだ」と豪語していた。 自分は社会課題を見て見ぬ振りができない、自分に力をつけたら、真っ先に課題を解決するんだ、そのために早く成長するんだ。つい最近まで、そう息巻いていた。 しかし最近ふと気づいた。いま、あの情熱が、なんだか冷めている。 前なら、社会起業家たちの著書を読んでは感銘を受け、関係するTEDを観ては、またその人物の著書やブロ

          気づけば、社会課題への思いが薄れてきた

          まわりまわって、私は腰掛け?

          疲れがたまってくると、だんだん集中力が持たなくなる。頭になんとなくもやがかかったような、もっと深いところが見えているのに、そこに潜っていけないような。 自分のまわりには頑張っている人がたくさんいて、「もう疲れた」と思った時に、彼らからのチャットやメールやoutlookの予定表や、はたまた仕事外でのSNS投稿を見て、カンフル剤を注入されたような気分になる。 そんなエナジードリンクで2度くらいは立ち上がれるのだけど、3度目くらいからはもう、体がいうことを聞かなくなってくる。ぼ

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