【Tiffanyに恋をした】私と時計の物語

大学生の時、初めて彼女に買った高価なプレゼント、ティファニーのオープンハート。鮮やかなブルーに可愛いサテンの白いリボン。ティファニーブルーと呼ばれる鮮やかな色彩は、今も昔も女性の憧れです。それ以来、何度ティファニーのショップを訪れ、ティファニーブルーの箱を胸に大切な人の笑顔を思い描きながら銀座の街を何度歩いた事か。

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ティファニーブランド創設者のチャールズ・ルイス・ティファニーは、”ティファニーの商品はどれも気高くあらねばならない”という信念から真実や高潔さのシンボルであるブルーをブランドカラーとして採用しました。ティファニーブルーと呼ばれる鮮やかな色彩は、1953年ティファニー・ブロードウェイ本店の入り口にギリシア神話の巨人アトラースに支えられた大時計(“New York Minute”)が設置されニューヨーカーと時を刻み始めたその日、ティファニーブルーはカンパニーカラーとして初お披露目された歴史的な日になりました。

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2015年2月10日、ティファニーは突然オリジナルの時計をプレス向けに発表しました。アンダーズ東京で開催されたイベントにGQで記事を書かせていただいていた縁でご招待頂いたのですが、そこは時計業界の重鎮が集まっており私としては場違い感が拭えない究極に心細い状況でした。そこでズブ素人の私に優しく色々解説していただいたのが時計業界プロ中のプロであり、エリックゼミにアドバイザーとしてサポートしていただいているウォッチスペシャリスト大江丈治さんでした。

『ティファニーはかつてスイス、ジュネーブにも工場を持ち最高品質のポケットウオッチを製造していたんですよ。』
『ジュネーブ最古の最高級マニファクチュールであるパテック・フィリップの一部はティファニーと全く同じものだった時期があるんです。
*マニュファクチュールとは、ムーブメント(時計の駆動装置)から自社一貫製造する時計メーカーを指す業界用語を意味するんですよ。 』
興奮気味に説明してくれる大江さん。この方は、本当に時計を愛しているんだなあと思ったのを覚えています。

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なるほど、ジュエリーブランドというイメージのティファニーが実は時計の分野で伝統と高い技術を持ったマニュファクチュールだったということを初めて知りました。鼻息を荒げる大江さんに圧倒されながら“New York Minute”に迎えられ、アンダーズ東京の会場に入り、そこでティファニーのコーポレートカラーとは違う雰囲気のブルーをまとった新作CT60と出会ったのです。

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CT60の深いマリンブルーは、伝統的なティファニーブルーとはひと味違い、一瞬で恋に落ちた私は即決で購入を決めました。

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3ヶ月後、GQとティファニーの共催で”CT60”を記念したGQ×TIFFANYスペシャルパーティが都内で開催されました。その日は、”私のCT60”との初対面。パーティー開始前には何と世界のティファニー時計部門のトップであるTiffany&Co swiss Watch SAのニコラ・アンドレッティ社長から直接手渡しでCT60の納品式をしていただいたのです。このCT60クログラフ・ブルーダイアルこそ”国納品第1号”、つまり私が日本でのファーストオーナーとなりました。ブルーダイアルは仕上げ工程が難しく、生産に想像以上の手間が掛かかり全く注文が追いついていないとのことでした。

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パーティーではGQ鈴木編集長とティファニー・ジャパン斎田副社長に挟まれ、改めてCT60のファーストオーナーとなる責任の重さを心地よく感じていました。

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5年経った今、当時外資系コンサルティング会社の役員だった私は、大学教授になりました。学生達と話すたびに、CT60に恥じない成長をしているのかと自問自答を繰り返しています。はい、もちろん今でもCT60に恋してます。

Peace out,

エリック


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