14.悲惨な学校生活②

先生はびっくりして『どうして!?』と叫び、クラスのみんなも一斉に振り向いて私を見ました。

私がその後の言葉に詰まってしまうと、先生はそこで思い出してハッとして、
『…そうだったね。実はERIEさんはエホバの証人で、神様から禁止されているので生徒会立候補できないんですって。』
とみんなに告げました。

『エホバの証人』という立場が理由ではなかったと思うけれど、私は特に小学生時代は担任の先生に恵まれないというかことごとく相性が悪くて、
特にこの小学5年生の担任の先生は人の気持ちを考えようとしないのかという言動を平気でする人で、この時も私をクラスでつるし上げたいのかと思ったほどでした。

毎年先生にだけは自分がエホバの証人であることを証言していましたが、
クラスのみんなには純粋な子ども特有のおかしな目で見られたくなくてずっと隠していたのに、一気にクラス全体に私の正体という真実が行き渡ってしまって本当に恥ずかしかったきもちでいっぱいでした。

そこからどうやって誰に立候補者が決まったのかなんて記憶が抜けていて、
そのあとの掃除の時間にクラスのある男の子が私にたった一言『大変だね。』と話しかけてきたのが次の記憶です。

おかしな宗教をしている私を馬鹿にした風ではなく、いたたまれない顔をしていた私を見兼ねてなにか声をかけた方がいいかな、と思って話しかけてくれたと信じたいです。

小学高学年になると放課後の部活動に入ることが学校内で義務付けられますが、
元々エホバの証人は大学以上の高等教育を推奨しなかったし(もっと言うと義務教育でない高校すら行くことを許されなかった人もいます)、
社会人となっても正社員で仕事に時間を使うより、その時間をエホバへの奉仕の時間に使うことを推奨され、

開拓者を目指す人はみんな短時間のアルバイトやパートで生計を立てるというのが暗黙の基本でしたので、
そのルールの流れで運動部や吹奏楽部になると土日が試合や練習に取られ集会も奉仕も疎かになるからダメと言われ、
私は中学卒業まで週一活動程度の文化系の部活にしか入れなかったし、高校は部活動を義務付けられなかったのでずっと帰宅部扱いでした。

他にも校歌は歌えませんので、音楽の授業や卒業式の練習は口パクでごまかしていましたし(本当は口パクもだめだけれど、声を出さなければぎりぎりOKラインだと自分に言い聞かせていました)、

給食のちまきや節分豆やひなあられは食べたふりをして中身をティッシュに包んでごみ箱に捨てましたし、
毎日給食で手を合わせるのも、机の下に手を隠して手を合わせるふりをしていましたし(1度日直にバレてかなりしつこく手を合わせろと言われ、心臓がばくばくしながらも机の下で手を合わせる振りを通しきりました)、

いつのまにかごまかしたり辻褄を合わせたり隠しごととするのがうまい人間になってしまいました。

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