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築地本願寺 春馬くんとの距離感

東京での滞在中、時間がありましたので予定にはありませんでしたが
思い立って築地本願寺に行くことにしました。

それは“行けば腑に落ちる何かがあるかもしれない”という、淡い期待でした。

でも、本堂を目の前にして
「納骨という言葉を受け入れられない」というのが正直な思いでした。

結局手も合わせられませんでした。

しばらく後ろの方で座っていました。
「皆、ここで誰を想っているのだろうか?」と思いを馳せて
ただただ心穏やかに時間を過ごすことができました。

「築地本願寺に来てお参りして何かが変わるかもしれない。」
と思っていましたが何も変わらず、
「私は受け入れることが出来なかった。」
ということは来たお陰でわかりました。

私はずっと“事がなかったように”言い聞かせてきました。
要は、推しに向き合うことをしませんでした。

受け入れることが良い、悪い。
受け入れられないことが良い、悪いではなく
「どう思っても愛だ」と今、書きながら考えています。
根底に推しへの愛があれば、それでいい。
これからも変わらず好きでいい、と私はそう思います。



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