平家の女性観

平家の女性観 -出家する女性・自殺した女性を中心に-

 軍旗という作品のジャンルは、戦乱に関する記述が中心となるために、多くは男性の登場によって描かれる。故に『平家物語』においても、女性の登場数は限られている。しかし、彼女らは時として、心理描写までもがこと細かく描かれる事がある。特に小宰相の入水シーンでは、その内面が長きにわたって書かれていた。軍旗において、何故女性が描かれるのか。それは、女性には重要な役割が持たされているからだ。よって、女性には共通の人物造形が見られる。華を添える効果や、亡くなっていく平家の鎮魂をするなどの特徴である。
 さて、女性の多くは、「事件後や死別後に出家している。出家は死者の菩薩を弔う、あるいは出家をして極楽浄土を願うものである。(1)」それによって女性は、全てを救っていくという鎮魂の役割を果たす。しかし、『平家物語』において全ての女性が出家した訳ではない。死去や入水、離脱した女性もいるのである。彼女らの特徴に、「身分が低いこと(2)」が挙げられた。その理由として、濱千代氏は、「低い身分が妨げとなり,男性たちから関係を切られたケースで、 女性たちは次の一歩を踏み出せずに死去している」と述べている。それは事実なのだろう。しかし、本当にそれだけだろうか。平安末期の社会情勢として、末法思想の影響が大きい。それを考慮に入れると、話はもっと深いように思う。末法思想とは、釈迦死後2000年を経ると仏法が衰え、荒れた末法の世になると言われるものである。これが丁度その頃の時代であり、予言通りの世の中になっていた。また、当時の仏教は「国家仏教・鎮護国家のものとして存在価値が強調されており、民衆の救済は薄弱であった。(3)」そして、たとえ個人を救済したとしても、その救済条件が民衆には実行不可能なものであったのだ。こうした世の中で、身分の低い人間が生きていくのは辛い。愛していた男から関係を切られ、その辛い思いすら神は救ってくれず、世の中は荒れ果てている。そんな中で、どうして生きていけようか。だから、出家した女性は高い身分の者しかいないのではなかろうかと想像できる。
 一方、入水した女性については、身分が分からない。一人は乳母であるから、身分はある程度あった可能性がある。他2人については詳細すら分かっていないが、時子は清盛の継室である。清盛の継室は身分が低かったというし時子も低い身分であった可能性がある。いずれにせよ、神が救ってくれぬ世の中で、余りにも悲劇的な死を受け止めきれなかったのかもしれない。世界はもう終末を迎えると思われていたのだから。ならばいっそ、死後の精神世界で共にいようとしたのかもしれない。
 しかし、出家や入水の動機に、もう一つ理由を感じる。それは、待つしかない身である故か、『平家物語』では「女の身なれども」、「わが身は女」と言った、身と女を関連付けた語句の表出が多く、ジェンダー的な表現が多く用いられているためだ。そこに待つ事の辛さが表れているが、一方で「逆に社会通念にとらわれず行動する(4)」女性の強さが表出しており、物語に一層悲壮が増している。女性にとって、女の身を捨てる出家や入水は決意だったとも取れるのだ。「当時は女性の自殺はあまり多くなかった(4)」なかで、愛する物が死にゆき、自分だけが生き残る現状に対し、自ら死を選び、運命を共にした選択は、覚悟とも言える。だから、「貞女」と評されるのだろう。とても悲劇的な世界であるからこそ、女性の美しさが際立ち華を添えたのかもしれない。特に、徳子と時子は、あえて存在感を抑えて登場するため、壇の浦での入水のシーンなどが一層際立ったと考えられる。男を中心とした『平家物語』において、締めくくりなどの重要な局面であえて女性を出すことで、物語に締まりが出るのである。
 こうした『平家物語』の女性の姿は、実際には多く語られていない。何故ならば、本来『平家物語』は「体験の持つ個人的な側面よりも、没落の人間ドラマとして普遍的な意味づけのようにより関心が寄せられている(5)」からである。また、軍記は、戦いの経験者が当時まだ生きている事が多いのが特徴であり、作者も男性であったであろう事が窺える。ともすれば、『平家物語』の女性像は、男性から見た女性、あるいは理想的な姿だったのではなかろうか。そうした視点から書かれた女性であるからこそ、「全てを救っていく様」が儚くも美しいものとなったのだと感じる。
 仮に、愛する人を失った女性の生々しい姿を見るのであれば『建礼門院右京大夫集』という作品で見られる。この作品は、女性の『平家物語』と称されるように、作者の右京大夫は資盛の死後、呆然喪失となっている。にもかかわらず、死ぬ事も出家も叶わぬままに生き、見るのも痛々しい様変わりをしているのだ。一人の女性の内面が露わになることで、より女性に現実感が出ている。逆に言えば『平家物語』における女性は、そうしたドロドロとした側面が映されず、現実味に欠ける事が多いということになるが、非現実的な存在だからこそ、或いは想像の余地が多くあるために、人間的な側面から離れ、美しい作品として形成されたのだろう。客観視され、心理描写をほとんど書かないからこそ、また、局面でのみ描かれるからこそ、『平家物語』の女性は、華や鎮魂といった役割が果たせたのである。



参考文献
(1)櫻井 陽子  『建礼門院右京大夫集』から『平家物語』へ 2010年12月 中世文学

(2)濱千代 いづみ著 『平家物語』の女性描写のしかた (2015年2月) 岐阜聖徳学園大学紀要. 教育学部編 

(3) 城福雅伸『日本における仏教信仰の展開構造の再検討 : 特に平安末期から鎌倉初期における問題を中心として』 1999年10月  岐阜聖徳学園大学経済情報学会 

(4)佐藤 勢紀子 軍記物語に見る女性観の変容—「女の身」をめぐって— (2012年-月) 日本語ジェンダー学会 

(5)『学び直す日本史中・近世編』 著者: 日本博学倶楽部 (2011年3月)
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(6)梶原 正昭  建礼門院右京大夫集と平家物語 (王朝の女--<思ひ>と<ことば>と<特集>) -- (女たちの表現世界--男の文学との対比に見る) (1975-12) 国文学 解釈と教材の研究

(7)久保田 淳  建礼門院右京大夫 (平家物語とその時代(特集)) -- (転期を生きた人々) (1972-02) 国文学 解釈と教材の研究

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