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7月、命の選別に改めてNOを。

大西つねき氏の命の選別発言について再び。

"命の選別発言"とは

2020年7月3日、当時れいわ新選組に所属していた大西つねき氏が、自身のYouTubeチャンネルのライブ配信内で「どこまで高齢者をちょっとでも長生きさせるために子どもたち、若者たちの時間を使うのかっていうことは、真剣に議論する必要があると思います。(略)命の選別をしないとだめだと思いますよ、はっきり言いますけど。なぜかというとその選択が政治なんですよ。(略)順番として、選択するんであれば、もちろん高齢の方からいってもらうしかない。」
と発言し、炎上、批判が殺到した。


発言後のこれまでのわたしたちの反応

まず、オトナイのブログに夫との緊急の対談記事を投稿

約半年後のnote

その後、忘れないために7月にまた何か書こうと思いつつ(今の今まで7月に投稿できてると勘違いしていた)、記者会見を書き起こし、その内容を指摘するnoteを今年の1月に。

そうだ、書き起こしとその内容への指摘をまとめる時間が全然作れなかったんだった、夏の悲しくてさみしい別れが、秋のあまりにもショックな出来事につながってしまったことを思い出す。しばらく立ち直れなかったからな…移住の決め手にもなったし…。と、これはまた別のおはなし。


7月は…

7月と言えば「命の選別発言」くらいの認識になりつつある。

相模原市の津久井やまゆり園障害者殺傷事件が起こった月。
大西つねき氏が植松氏と同じ思想だとオトナイ対談でも語ったが、謝罪を撤回した記者会見で述べた内容からも、この認識が変わることはない。(何度も言うが、謝罪を撤回ってなんなの)
あの時、大西氏を支持する人たちは、炎上の発端となったYouTube動画での発言を「覚悟」の上で言ったのだと述べた。
介護者の時間を奪う者。チューブに繋がれて意思表示できないまま生きている者。そういう人たちに「先にいってもらう」と言うこと、「刃物を突き立てる」こと。同一人物の言動であると言われてもなんら違和感がない。
植松氏がハンマーでガラスを突き破って侵入する瞬間の「覚悟」と大西氏のそれが同じと言っても過言ではないことを、支持者たちはよく考えた方が良い。

大西つねき氏を支持する人たちへ

以前関わりのあった大西氏の支持者から、私の批判的態度が「怖い」などと言われているらしい。
どうぞ、怖がってください。
広島の僻地でひとり、怒りに震えるだけの私があなたたちに一体なにができると言うのか。
理屈に沿って大西をまともに擁護することもできない、しようとしない不勉強な人たちよ、批判者を怖がることでいつまでも逃げ続ければいい。

前回大西氏について述べたnoteの最後に書いたことをもう一度。

「大西つねきを支持者を喜ばせるだけの政治家にするな。支持者こそが監視し、時に叱咤し、押し上げていく存在であるべきなのだ。」

こんな言葉はもう彼らには届かないだろうけれど...。
命が選別されることのない時代になるまで、この7月の出来事を伝え続けたい。

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