パリ1日1話〜 5 映画館の話〜

 ノスタルジックな話をするときりがないのですが、むかしから映画が好きで、特に学生のときには熱に浮かされたように映画を観ていました。ヌーヴェル・ヴァーグを中心とするフランス映画には、恥ずかしい話、完全にかぶれていたと言っても過言ではありません。文化系の人間にありがちな、悩みがちで、夢見がちで、むずかしいことを考えがちで、無力であることに気づきつつもそれでもなにか革命的なことが起こせるという誤解のもと、毎日スタンプラリーを制覇するかのように映画館に通いました。

 大学にいた期間が普通のひとより長かったのもあり、お金をためてパリに長期で来ては映画を観ました。東京でも観ましたが、パリで観ると心の底から安心できる気がしていました。明るい、魅力ある観光名所あふれるパリで、日がな一日暗い映画館と湿っぽい古本屋にいるなんて、よく考えればもったいないことなのですが。大学を離れ、まったく真逆ともいえる広告の世界に入ると、現実のめまぐるしさに映画を観ることも、その喜びも忘れてしまいました。残念ながら、それほど好きでなかったのかもしれません。

 いまはありがたいことに、またパリにいることができ、“どうやら好きだったらしい”映画館にしばしば通っています。パリには映画館が多くあります。大きな町にも小さな町にも、劇場の規模の差こそあれ映画館があります。ハリウッドものなどをかける大手チェーンの映画館、ひっそりと芸術映画の上映を続ける小さな映画館など選択肢は豊富で、暇さえあれば映画好きにはパリはまさに天国でしょう。

 おもしろいのは、料金が映画館によってぜんぜん違うこと。Gaumant Pathé(ゴーモン・パテ)やUGC(ウージェーセ)といったシネコンなら通常料金で12ユーロ程度。独立系の映画館なら、たとえばLe Cinéma des cinéastes (映画人のための映画館、という意味)は9.5ユーロ、Cinéma Studio 28は9ユーロと、けっこう違います。シネコンで上映している作品が観られる映画館でも、少し郊外に行けば通常料金で6.5ユーロだったりと基準がいまいち不明です。

うれしいのは、朝いちばんの上映は、たいがいどこの映画館も安くなって、だいたい5〜7ユーロで観ることができること。でも、微妙に自分の観たい作品が朝いちになかったり、上映が行きにくい9時台だったりするので、どうにか安く映画を観られるスケジュールを組むのに四苦八苦するのです。

 大手のシネコンではアプリでチケット予約ができたりしますが、多くの映画館ではそんなシステムもチケット自販機もなく、入り口で映画の名前と枚数を言って買うことになります。フランス語の発音がいまいちなわたしには、すこし負担です。数年前、ロマン・ポランスキーの"La Vénus à la fourrure"(邦題『毛皮のヴィーナス』)を観に行ったとき、最後のfourrure(フルール)がうまく言えなくて、受付のお兄ちゃんに何度か言い直しさせられたのは、恥ずかしくもありがたい思い出です。

 フランスでは映画の公開日が毎週水曜日と決まっていて、同じ映画館でも目まぐるしく上映作品が変わります。ちょっとうかうかしていると、次の週にはもうやっていない、ということもよくあります。もちろん大ヒットでよくお客さんの入る映画は長い間かかってたりしますが、そういう映画をあまり好まない人間に課せられた任務のようなもので、少し遠くでもいいからやってる映画館を地味に探すことになります。

 先日は、ホン・サンスの作品を観るために初めての映画館に行きましたが、映画館の周辺はなかなかハードな環境で、朝なのに何をしているかわからない黒人たちがたくさんたむろしているところ。映画はたしかに面白かったのですが、出てから駅までの緊張感が半端なかった。映画館はいわゆる名画座でマニアックな特集上映をいつもやっているようです。やる気のない受付のお姉ちゃんがいて、劇場内もおそらく座席数50くらい、座席にはだれかの足跡がたくさんついていて、全体に漂う黴臭さとうっすらとしたトイレの臭い。もう東京では見つけられないような空間で、あれはあれで貴重です。でも、ほかの人にそこへ行くことは、特に夜はおすすめしないでしょう。

写真はLe Cinéma des çinéastesの廊下に常設されている古い映画の上映機械。この他にも、いくつか展示されてあります。『ニュー・シネマ・パラダイス』を思い出して、見るたびにわくわくします。

それではパリ1日1話、きょうはここまで。




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吉田恵理子

パリ1日1話

パリのはしっこ18区の、ふつうの毎日を書き綴ります。
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