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2/6/24(火) ハワイキ・パマオマオ

 昨日の夜、新竹の尖石鄉から帰宅。後ろを走っていた車によると、今にもトンネルに激突し、今にもガードレールを飛び超えんばかりの爆走で山道を降りていたらしいが、こちらも爆睡していて気が付かなかった。カーブで減速しないなと思っていたし、後ろに乗せた白菜が猛烈に転がりまくっているなとは思ったけど、そういえば昔いつも乗せてもらってたブヌンのおばの車も、こんな感じで四季から山道を降りてたなあ、懐かしい、と思ってまた寝た。

 マオリの学生たちとは昨日の夜でいったんお別れ。と言っても、SNSでつながっているので、あんまりお別れしたような気持ちにならない。インスタ上では私たちはまだチンスブやスマグスにいて、樹齢2500年の檜の木の下で休んだり、部落の子どもたちとバスケしたり、裸足で粟を脱穀したり、私がホーハイヤーとみんなを歌わせたりしている。マオリチームは先にチンスブを出て、今回の旅のリーダーであるYR、Wasiq、私、YRの教えている台北芸術大学の学生4名、どこから来たのか記録係のアメリカ人若者2名(台湾系男子、フィリピンxウクライナ女子)の台北在住組は、少しまったり、民宿で用意してくれた麺を食べながらおしゃべりしてひと段落してから部落を出た。

朝のチンスブ部落。

 3時間の爆走の後、目が覚めたら高鐵新竹駅のとても近代的な建物が目の前で光っている。見事な別世界。太陽が沈んだ後、山は暗闇で、時々遠くに部落の家々の明かりだけが見える。教会の十字架が特に光って見える。

 そこから一晩明けて、ぼんやりしている。この3日間、予期せず一緒に過ごすことになった人たちは、誰も皆とても大事な人たちだった。今の私にもこれからの私にも、今までの私にも。そしてこの人たちに会うこともないかもしれない私の家族や、もう死んでしまった人たちにも。この数日出会った人たちのことを話すには、まだもう少し、このことに見合った時間が自分に必要。それまではぼんやりしたり、しみじみ茶でも飲んだりしていたい。もう少し時間が経って、ぽつぽつと浮かび上がってくるものをキャッチできるように。 

Wasiqは毎晩寝る前に日記を1ページ書く。

 マオリという民族がニュージーランドにたどり着くまで、マオリの先祖たちが海をたどってどこからやってきたのか、
 「ハワイキ・ヌイ、ハワイキ・ロア、ハワイキ・パマオマオ」
という言葉が言い伝えられているらしい。
 「ハワイキ」というのはマオリがかつて暮らしていた場所のことで、「ハワイキ・ヌイ」はニュージーランドから最も近いポリネシアの島々、「ハワイキ・ロア」はその少し向こうのミクロネシアの島々、そして「ハワイキ・パマオマオ」とは6000年前にマオリの祖先が住んでいた島、台湾のことなんです、と、ソフィアという名前の20代のマオリ女子がタイヤルの私たちに話す。ソフィアは金髪で、少し日焼けした白人のような肌の色で、顔つきもパッと見は白人のように見える。肌の色や髪の色は、その人がマオリであるかどうかを決める基準ではない。

 ハワイキ・パマオマオ。はるか遠く、果てしなく長い時間、私たちの住む島のことをそう呼んで、思いを馳せてきた人たちがいるのだなんて、にわかに信じられない気持ちだ。忘れてしまわないように「ハワイキ・パマオマオ、ハワイキ・パマオマオ」と、ソフィアに発音を直してもらいながら、小さい声で何度かくり返した。

 スマグスの集会所では、長老が「そこに座っている女性」と突然ソフィアを呼んで、皆の前に立たせた。一体何事だと思っていると、長老は、
 「よく見てください。この人は⚪︎⚪︎さんにそっくりですね。みなさんそう思いませんか? よく見てくださいよ。似ていますよ、どうですか?」
と真面目な顔で言い、みんながドッと笑った。ほんとだほんとだ、と部落の人たちがあちこちで頷いて、しばらく笑い声が続いた。どうして自分だけが前に立たされて、どうして部落の人がみんな笑っているのか、Wasiqが英語に通訳するまでの数秒、きょとんとしつつソフィアはにこにこまっすぐ立っていた。

 今日はいとこが四季から送ってくれた山肉が届き、母が山肉をゆでているにおいが私の部屋までただよっている。5日間一緒に過ごしたみんなにも食べさせてあげたい。

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