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2/13/24(火) 旅のはじまり

 初四。今日は財神をお迎えする日らしい。晴れ。コーヒー豆が切れたので烘培者に買いに行く。私が20代で台湾に戻った頃からすでに、この珈琲屋は老舗然としてここにある。雑然としたチェス盤みたいな店構えで、おしゃれカフェが林立するのこのエリアでは見栄えがしない。客足は絶えず、常連の地元っぽい人たちがいつも新聞読んだりスマホいじったりしている。9時過ぎに行くと、モーニングのお客さんでいっぱい。ここはお正月休みもなかった。今度は平日の朝、モーニングでも行ってみようか。

 今日こそ腰を据えて、基隆〜科教館~新竹尖石鄉の旅を振り返りたい。

Day 1 2/1 基隆 Keelung
搭乘客運 1579,中濱里站下車
Please take bus 1579, and get off at “Zhongbin Vil”
Time 09:30 正濱教會集合 Meet at Zhengbin church, Keelung
Location 基隆 Keelung

From Mountain Top to the Sea Edge: A Homeward Perspective
Maori-Taiwan Eco-Arts Workshop 1/30-2/3, 2024
(と題された旅のしおり) 

 2月1日。朝9時半に基隆の正濱教會に集合、と書いてある。旅のしおりをもらっていたが、知らない地名だらけの文章は何度読んでも頭に入らない。繁体字だらけの文章にも英語の文章にも、いまだに苦手意識があり、目がなかなか文字をつかんでくれず、文字列の成す意味にまでたどりつけない。若い頃はもっと中国語も英語も頑張ろうと思っていたが、ここ最近は、まあ大体でいいや、となった。全部自分でやることはできないと受け入れると楽だ。文字の連なりをぼんやり眺める時間が増えた。Wasiq の話ではウォーキング・ツアーだそうなので、とにかく指定時間に集合場所に行って、あとはくっついて歩けばいい。

 Wasiq と基隆行きの台鐵で待ち合わせる予定だったが、変更。基隆駅からはバスの乗り換えが不便だそうで、台北メトロの南京三民駅からバスに乗るように言われる。旅の企画人YR(益仁のアルファベット表記頭文字)の助手・小豪という人がグループチャットにいろいろ書いてくれるのだが、この人が誰かわからないし、YRというのもどんな人かわからないし、何から何までよくわからない。

 頭の回転が早く行動派のWasiqは、確認事項をグループチャットに中国語でバシバシ書き込み、すぐさま私に個別メッセージで英語で送って確認してくれる。Wasiqにはそもそも、とあるプロジェクトのことで相談があって連絡を取ったのだが、こうして一緒に旅に行くことになった久しぶりの彼女を見ていると、はじめて会ってから今まで、彼女は自分に与えられた機会や幸運をしっかり受け取り、サポートを受けながら自分の才能を育て、今や彼女自身のためと他の誰かのためがしっかり両輪となった完全体みたいに、どんどんと道を開いていく人になったんだなあと、晴れがましい気持ちになる。私はいまだに中国語をタイピングするのも遅く、メールひとつ打つのもえっちらおっちら。しかしそれでも本当に気が楽だ。日本語ほど敬語や細かい言い回し不文律がコミュニケーションを支配しない会話ができることが、生きものとしてうれしい。普通に話せる。自分の中の風通しがとてもよい。半分外人枠だし、いろいろ間違ってもまあそんなもんだ。

 南京三民駅からバスで1時間ちょっと。Wasiqがリュックからリンゴの入ったタッパーを出して、一緒に食べようと言ってくれるが、バスの中は飲食禁止、と運転手さんに注意される。台湾は日本に比べて人も社会も全体的にゆるい感じがあるけど、こういった日本にはないルールもたくさんあり、驚いたことにみんな概ね守っている。台湾人に聞くと、そりゃあ台湾で飲食OKにしたら台湾人みんな、バスでも捷運でも、臭豆腐やら蔥油餅やら夜市で買ったのを食べまくるから、すさまじいにおいになるよ、と笑う。そう理由付けられるとまあそうだなと思うけど、それでも、この国の人たちならもうちょっと車内で臭豆腐食べる奴がいてもおかしくない気がする。そう考えるとやっぱり意外で、でも意外だなと思うたび、そういえばこの国の人々は、つい30数年前まで独裁政治の戒厳令下を生きていたんだった、と思い出す。私もそのうちの一人だ。

 基隆に来るのは20年ぶりくらい。母のいとこ家族が住んでいて、時々親戚誰かの車で訪ねて行って、夜になったらみんなで廟口夜市に行った。基隆に関してはその親戚の家と混み合った夜市の記憶くらいしかなく、Wasiqも同じだと言う。母は、ものすごく若い頃、基隆で、短期間だが働いていたことがある。埠頭が近くにあって、外国人が多かったと言う。

 中濱里のバス停を降りると、海の匂いがする。日本では海の近くに住んでいるので、潮の香りが懐かしい。同じマンションの漁師の源さんや、江の島の漁港、堀川網の人たちを思い出して、すぐにこの町に好感を持つ。街並みはよくある台湾の田舎町。人が少ない。バス停すぐの正濱教會に入ると、胸にクリップボードを抱きしめ、こっちこっちと手を振っている若い男子がいる。小豪だ。階段を登りながら小豪は、
 「我是阿美族」
と私たちに言ってニコッとし、Wasiqと私は、
 「我們是泰雅」
と返し、二人でニコッとする。

 2階の礼拝堂では、すでにマオリの学生たち10数名がベンチを輪の形に作って座っている。パワポのスクリーン前に、ベージュの帽子にベージュベストのおじさんがにこにこ立っていて、YRだ。Wasiqの友人と聞いてたので、3-40代くらいの人かと勝手に思っていた。YRと小豪、学生たちはちょうど自己紹介をし終えたタイミングだったようで、私、Wasiq、あともう二人、私たちの後に入ってきた二人の台湾の学生をいれて、もう一度自己紹介タイム。YRが最後になるように、時計回りで始まる。

 学生がマオリ語でペラペラと話し始める。おそらく、みなさんこんにちは、私の名前は何々です、というようなことを一息でマオリ語で言い、そのまますぐ息つぎなしで、同じ内容を英語で続ける。

 この自己紹介の流儀は、以前 Wasiq とはじめてニューヨークで出会った時、国連の世界先住民族会議での若者たちのプレゼンでも見かけた。国際社会に貢献するだろうエリート教育を受ける世界の若い先住民たちの間では、どうやらこの、民族・部族の言葉で挨拶と名乗り〜英語で同じ内容をひと息で流麗に早口、というのが自己紹介の共通スタイルになっているようだ。

 マオリの若者みんなこのスタイルで、細かい話は英語オンリーでやる。ニュージーランド訛りの英語が私にはまだ耳慣れないが、ほぼみんなワイカト大学というところの学生で、出身地はニュージーランド全域、専攻はそれぞれ、出身部族もそれぞれらしい。途中、台湾の学生の番になり、英語はちょっと苦手なんです、とか言いつつ、みんな台湾訛りの英語でポツポツ、でもしっかり自己紹介をする。YRが教えている台北芸術大学の学生がほとんど。美術、演劇、北管と呼ばれる台湾の伝統音楽など、こちらも専攻はそれぞれ。私がマオリの学生だと思っていた一人は、ルカイ族の学生だった。

 Wasiqはマオリの学生と同じスタイルで自己紹介をする。タイヤル語で一息に「Lokah su, lalu mu ga Wasiq Silan」とペラペラ、そして英語でペラペラ。大学院留学からポスドクまで12年間フィンランドで暮らした彼女は、これまで国際的な場面で何度もこれをやってきているのだろう。

 すぐに私の番になる。おお、私もこのタイヤル語ペラペラから英語ペラペラをやるのか?と一瞬構えるが、考えてみれば、私はタイヤル語と英語のバイリンガル自己紹介などしたことがない。大体「Lokah su」なんて人生でほぼ言ったことがない。家族の間で「こんにちは」なんて言わないし、部落の人とだってわざわざ言わない。言うとしたら、オイ、だ。日本語のおい、じゃなくて、タイヤルの。

 みんなの顔が見えるよう、体を少し前に乗り出し、私はまず共通言語の英語で話した。こんにちは。私の名前。今日このような場に私もいることができてうれしいということ。父は日本人、母がタイヤルであること。台湾で生まれ、子どもの頃に日本へ移民し、今は日本で歌手をしていること。そして、今から私は生まれてはじめてタイヤル語で自己紹介するよ、ということ。みんなの顔がぱあっと明るくなって、マオリの若者たちやWasiqが私をはやしたてる。ペラペラとひと息では言えない。私はまるで耳の遠いお年寄りに向かって話すみたいに、大きな声で、一音一音はっきりと、
 
 LO-KAH SU!
 LA-LU MU GA ERI!
 ERI IPUI!
 
 そして、これはおばあちゃんがつけてくれた私のタイヤルの名前、私のことこの名前で呼ぶ人は誰もいないんだけどね、と前置きをして、Sayun という名前も伝えた。これで十分自己紹介ができた気がした。

 明日はいよいよウォーキングツアーに出かけるところから振り返りたい。そろそろピアノと歌の練習でもします。また明日!

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