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お前なんかに分かられてたまるか


私が言いたいことはこれが全てだ。
分かる人間と分からない人間。
同種でない限り、これは分かってもらえないものだろう。

なぜあの人はいつもあんなにパワフルに動き回れるのか。

なぜわたしはみんなと同じように遊びまわる体力がないのか。

「やってみればいいじゃ〜ん!」


自己肯定感高く生きてきた人間が卑屈にならず生きていけるのは、私たちの社会が外向型extrovertのためのものだからであろう。


私は時々考える。

このせかいがもしも内向型のためのものであったのなら。(内向型とは積極的な人付き合いが苦手な人間のこと。)


日本という国単位で考えれば、間違いなくトップ層に位置しているだろう。
こんなにおひとりさまがいやすい世界はない。

深夜の吉野家。一人向けのカラオケ。3時で閉まらないカフェ。24時間営業のコンビニ。一人でも気軽に入れる飲み屋。ラーメン。立ち食いそば。お弁当。おにぎり。サイゼ。

正直、日本を出るまでこんなにおひとりさま向けの国だとは思わなかった。


このような社会が形成された背景として、

集団でいるときには必要以上に個を消す必要があること。人とぶつかり合うこと自体あまり良いとされていないこと。ひかえめで奥ゆかしい人間がもてはやされること。義務教育は、こどもの角を削る方針であること。そうして、実際は大量の小さな角がある人間を生み出していること。そして、集団に価値を置き、自己主張の強い奴をあまりにも鬱陶しがった結果、国民の大多数が健全な自己主張をできないということ。そしてその事実にすら気づいていないということ。

こうしてひとは、ひとりになる。

人間が煩わしくて、孤独になることを選ぶ。他人との接触を極力控えるようになる。むかしはよくいたヤンキーやレディースも、いまや引きこもりと形を変えた。がしかし、やっていることは根本的には同じだ。自分に注意を強引に持ってきているのだ。

もし。この世界がアイデアの奇抜さが勝負の世界なら。行動の地球(ほし)ではなく、イメージや感情の地球なら。日本中の引きこもりあん達が、それぞれのオタク達が、世界へアベンジャーズのように羽ばたく日が来るだろう。今まで生きやすかった人間たちが、己のシンプルさに気づき、複雑になりたがるかもしれない。私たちの真価が発揮できるのかもしれない。

わたしはそんな近い将来のために、今日も全力でひきこもりをしようと思う。おまえら、引きこもりは悪いことじゃないぞ。胸を張るんだ、どんなものもアイデアから全ては始まるから。

どうも〜