命に飽きずにいられるだろうか

私は今、出版社で漫画編集の仕事をしている。
出社したら届いたネームを読み、線画をチェックし、完成原稿を確認する。漫画家と、セリフ回しがあーだ、構図がこーだ、ここの展開がどーだと打ち合わせをする。仕事中延々と漫画のことを考えている。

仕事が終わった後は何をしているかというと、アニメを見る。小説を読む。ソシャゲをする。あとは漫画を読む。誰かとの約束がなければ、休日だってこんな感じで過ごす。
私の日常を構成する要素が著しく偏っていることは一目瞭然だろう。

一応、自己弁護させてほしいのだが、私だけが特別偏っているのではない。少なくとも職場の同業の人はみんなこんな感じだ。この構成要素の中に宝塚が入ってきたり、ソシャゲの割合がめちゃくちゃ多かったり、小説がなかったりするが、とにかく「人生エンタメに全振り」って感じの人しかいない。

恵まれているといえばそうだろう。仕事中に漫画読めるとか最高じゃん、と自分でも思っている。3年前、死んだ顔でコールセンター業務をしていたことを考えれば夢のような環境だ。転職してよかったと思うし、前職よりよっぽど性格的に向いていると思う。不満はない。
不満はないが、不安はある。
今私が愛するものたち――それらに興味が持てなくなってしまったら?
文字通り私はすっからかんになってしまう。そして、これは全然ありえない話なんかじゃない。
60歳からトライアスロンを始めただの70歳から登山に目覚めただのという話が、人は何歳からでも新しく始められるんだよ的美談として語られるが、それはつまり、その逆もしかりってことだろう。それまでずっと情熱を注いできたものが、ある日突然なんの輝きも持たなくなってしまうというのは。

上司である編集長がこぼした。

「俺はこの仕事が好きだしこの仕事ができて本当によかったと思ってるけど、何人もいた同期がもう自分しか残ってない」

楽しい一方で、過酷な仕事でもある。作家を締め切りで追いかけ、自分も入稿に追いかけられる。原稿が上がらなければ夜中までだって待つ。体力的な問題や、家族的な理由で続けられないケースだってあるだろう。
でも、「好きでいつづけられなかった」という場合だって、少なくないんじゃないかと想像する。好きだけど、そこまではいけない。愛しきれない。そんなケースが。

創作の現場は、多かれ少なかれ生活から何かを捨てさせる。そりゃ、職業に限らず、何の犠牲も払わずに生きる方法はないだろう。でも、エンタメが他と明確に違うのは、それがなくたって生きていけるということだ。
なければ生命が維持できないという代物ではない。生きる上での余剰。
だからこそ、それでもそれを求める人の心ごと私は尊いと思っているけれど、でも気を抜くとすぐ気持ちの揺らぎめがけて問いかけてくるのだ。

「そんなことしなくても生きていけるよ」
「もっとやるべきことがあるんじゃないの?」

今はまだ、自信満々に「エンタメが死ぬとき私も死ぬ」と言っているけど、でも、果たして20年後はどうだろう?
自分は40代も後半になって、狭い汚れた部屋に一人きりで暮らしていて、毎日深夜まで残業して、物語の主人公はいつまでぴちぴちの高校生で、そうだとして、それでもまだ「エンタメ全振り」で生きていられるだろうか?

現状に不満はない。だからこそ不安だ。
寿命が80だ100だと言われる社会で、今大事に抱えているものが、この先ずっと大事だなんて言い切れない。飽きずにいられるかわからない。飽きて、空っぽになって、そうなったらもう、次のものが見つかる気がしない。
もし、まばゆいものが全部光をなくしてしまって、でもまだまだ人生は続くのだとしたら、その時、命に飽きずにいられるだろうか?

#コラム #エッセイ #エンタメ #趣味 #人生

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ハッピーになります。

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満島エリオ

好きにさせろよ

日記、コラム、エッセイ的なもの。定期的にまとめてフリーペーパーにしています。

コメント2件

創作の現場は、多かれ少なかれ生活から何かを捨てさせる。

胸を打たれました。
コメントありがとうございます。無から有は生み出せないというか、新しく何かを生み出す行為は、何かを削るからこそできることなのかなと思っています。
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