もう”便利な君”じゃなくていい

大学生の時、学園祭の実行委員に所属していた。
(っていうとものすごい確率で「パリピ」「チャラい」「陽キャ」と言われるんだけど、断じてそんなことはない。ただ飲みサーではあった)

大学がマンモス校だったのもあって、馬鹿みたいに人数の多い団体だった。
どれくらい人数が多いかというと、新歓合宿のためにマイクロバス5台使ってたくらい。正気か。
もちろん全員で一斉に活動するわけじゃなくて、「広報」とか「運営」とか「総務」とか業務ごとにグループを分けて、普段はそのグループで活動していた。サークルというより、もはやそこそこの規模の会社と言った方がイメージしやすいかもしれない。
私はそこに、1年の時から引退まで3年所属していた。

友達もできたし、めちゃめちゃ嫌いな奴もいた。
楽しいこともあったし、嫌な目にもあった。
でもおおむね楽しかった。勉強なんか全然しなくて、用もないのに毎日部室に行ってはそこにいる人たちおしゃべりして、しょっちゅう飲みに行った。好きになったりなられたり、彼氏ができたり別れたりした。
大学生活のおいしいところだけつまんで食べてるみたいな、贅沢な日々だった。

2年目の学園祭の直前のことだ。
所属していた総務のミーティングで、1枚ずつ紙が配られた。

「学園祭当日、どういう自分でいたいか書こう」

ドッヒャー! 青くさ!!

まあ、でも別にそれはいい。だって実際若かったし、青臭かったんだから。
はたから見たら馬鹿馬鹿しいイベントでも、あの時はみんなたった数日の学園祭に時間を、エネルギーを、情熱をかけていた。
夢見てるみたいに一瞬で過ぎ去る祭りの数日間を、みんな何より大切にしてた。
だから、そんな提案も、あの場では決してサムいものじゃなかった。

でも、私は書けなかった。
小さな紙の前で固まってしまった。
毎日毎日用もないのに部室に行って、同期と顔を合わせて、飲みに行って、楽しかったけど、私、なんもやってない。
ここに書けるようなこと何もしてない。
この小さな紙に込められる情熱がない。
馬鹿みたいにでかいこの団体の中で、私しかできないことなんて、私しかなれないものなんてない。

こんなに時間を費やしてきたのに、何にも残ってない。
そのことを、埋まらない白い紙に突きつけられた。
あと数日でやってくる学園祭当日を前に、私は急に輪の中から弾き飛ばされたような気がした。

何もやってない。
でもここにいたい。ここにいる意義がほしい。

私はやっと書いた。

『せめて便利な人に』

今振り返ってみて、卑屈すぎて自分でもびっくりしてる。
でも、その時の私の、切実で、そしてどうにか実現できそうな願いだった。

何かの拍子にそれがちらっと見えたらしい友達が、はっとして私の顔を見たのを覚えてる。
その時、私がどんな顔をしてたかなんて、一生知りたくない。

その年、私は特別でもなく、便利でもなく、その学園祭当日を終えた。
平常前、すっかり暗くなった大学構内を、照明に照らされて笑っているお客さんが、真剣な顔で駆け回ってる同期が遠かった。

打ち上げの日、泣いてる先輩や同期を、私は遠い気持ちで見てた。
そこにいたけど、入れなかった。
でも、それでもまだここにいたかった。だって2年も費やしてきて、いまさらやめられない。

私は最後の年となる3年目も活動を続けた。
でも、どこか空っぽで、どこか遠い感情を払拭することはできなかった。
入れない輪の外側で、やっぱりこの言葉を握りしめていた。

“せめて便利な人に”

この言葉は私の中に深く染み付いて、そのあともずっと消えなかった。
大学を卒業して、就職してからもだ。

大した会社には入れなかった。
興味のない会社、どうでもいい仕事、どうでもいい私。
それでもここにいる意味をどうにか見出すために、私は便利な人を目指し続けた。
事務処理を高速でこなし、申請がスムーズに通るようあちこちに根回しした。あれこれ自力で調べて知識をつけて、何を聞かれてもいつでも答えられるようにした。手が足りない人がいたら率先して声をかけて、後輩が困らないように常に気を配った。業務だけじゃなく、雰囲気が悪くならないよう道化もやった。仕事を完璧にこなして、成績トップを取って、そんでいつも定時に帰ってた。

友達ズからすると疑わしいかもしれないけど、私、まじで、超優秀だった。前代未聞に有能な新入社員だった。
上司が異動で4回くらい変わったけど、全員私のことめっちゃ好きだった。一人だけあだ名で呼ばれてた。上司だけじゃなくて、職場のかなりの人からめちゃめちゃ評価されていた。
妄言と思われるかもしれないけどこれはマジです。

3年働いて転職したけど、次の会社でも似たような感じだった。
その間、やっぱり私の胸にはあの言葉があった。

“せめて便利な人に”

私は便利な人でありたかった。
私自身に何の特技もなくても、私が私である必要がなくても、「便利な私」なら、私は私がここにいることを許すことができた。
私はただ、“ここ”にいたくて、必死だった。
優秀だね、助かる、ありがとう、さすが。
あの時からずっとかかえてる空っぽを埋めたくて、そんな言葉を集め続けた。

*

大学時代のことを話すと、めちゃめちゃ楽しそうだね、と言われる。
(あと「パリピかよ」って言われる。もしかしたら、ちょっとはそうかもしれない)。

たしかにこの上なく楽しかった。
でも大学時代を思い出す時、私は楽しさと一緒に、あの時の空虚も思い出す。
楽しかった。それと同じくらい虚しかった。
おいしいところだけをつまんでるつもりだったけど、最後には苦い想いが口の中に広がる。
でも。

“せめて便利な人に”

最近、この言葉を思い出さなくなった。
ほしかった言葉を浴びて、いつのまにかあの日の私の空虚は埋まっていたらしい。
もう、「便利な人にならなきゃ」とは思わない。

便利な私じゃなくっても、私は、私が望む場所にいていい。

甘苦い記憶と共に飲み下して、私はそれを消化する。

#エッセイ #コラム #思い出 #サークル #大学

ハッピーになります。