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幸せは触れない形をしてる―大島智子『セッちゃん』

“セッちゃんは大学生だった20××年×月×日よく晴れた日曜日の昼下がりに、ライフル銃で3発撃たれて、あっけなく死んだ“

“なんにせよ、セッちゃん自身がもう限界で、世界がきっかけを作って待っていたのかもしれない、とあっくんは思った”

*

セッちゃんの「セ」はセックスの「セ」だ。
誰とでもすぐ寝ちゃうから。
セッちゃんはぼーっとしていて、いつも寝癖がついていて、何を考えているのかわかんない女の子だ。
自分でもよくわかってなくて、自分が何を好きなのか、何が似合うのかもわからない。
同級生や男の人の言う、好きとか、付き合うとか、ずっとこうしてたいとか、そういうのもよくわからない。
生きているから生きているけど、どう生きたいとも思えない。「誰か私を運んでほしい」とぼんやりと願いながら、流されるままに生きている。
セッちゃんの世界は、いつもなんとなくかすんでいて、ぐにゃぐにゃしていて、踏みしめようにもなんだか不安定だ。靄のなかを歩きながら、確かなものを探すようにセックスして、この人も自分と同じ人間なんだな、と思ったりする。
男と朝寝をしながら、「ずっとこのままでもいいね…」とつぶやいたりもするけれど、

(この気持ちが隣にいる男に子に向けられたものではないことをいつも不思議に思う)

同じ布団にくるまって、「セッちゃん抱いてると気持ちいい」と言う男と、絶縁体を挟まれたように二つの気持ちは断絶している。

*

私、セッちゃんの気持ちが結構わかる。
私も、好きだからセックスしたいとか、セックスが愛情表現だとか、そういう感覚があんまりよくわかんない。そんな本能的で動物的な欲望を差し出されて愛だとか言われても、「はあ」としか答えられない。愛情ってそういう感じなの? もっと別のものなんじゃないの? とずっと釈然としないまま生きてきた。みんな、いつのまにそんな感情習ったんだろう。どうやら人生の必須科目らしいそれを、履修しないまま大きくなってしまった。その結果、付き合ってる相手となんにもしなかったり、セックスできないから付き合わなかったりとか、そういうことを繰り返してきた。
私の行動はセッちゃんとは真逆なんだけど、根っこには同じものを持っているような気がする。
私は、本当のものが欲しいし、本当のことが欲しい。
愛とか幸福とか大げさだけど、それって、「愛してる」とか「付き合おう」とかそんな言葉でどうにでもラッピングできるものじゃなくて、たとえば一緒に食べるカレーがおいしいとか、そういうところに本当のことは宿るんじゃないかって思ってる。
あるかもわかんない、見えもしないし触れもしないものを、おとぎ話を追っかけるみたいに。
セッちゃんも、そんな人のような気がする。

*

あっくんの「あ」は、影山厚の「あ」だ。
なんでもそつがないあっくんだけど、高校生の頃にクラスメイトの死体を発見してしまったことがある。その時、死体を見た自分と見ていない同級生との間に、彼女の死に対する感覚の深い隔たりを感じたことを恐れて、それ以来、自分が「非日常」に落っこちてしまわないよう最善の注意を払っている。「こちら側」でいられるように、女の子らしさを型に取って作ったみたいな「まみ」と付き合っている。

交わらないはずだった、「こちら側」のあっくんと「あっち側」のセッちゃん。
でも、政権交代、学生運動の過激化、テロと、日本が大きな混乱に陥って、まみもデモに参加したりして、「あっち側」だと思ってたものが「こっち側」になり、色んなものがごっちゃになるどさくさで、いつのまにかセッちゃんとあっくんは一緒に過ごすようになる。
あっくんの家で漫画を読んだり、映画を観たり、誰もいないところで二人だけで意味もなく座り込みしてみたり。セックスもせず、友達とも恋人ともいいがたく、平和だったはずの現実が崩れ去っていくなかで、身を寄せ合うようにして小さな日常を共有する。
そうしていたら、今までなかったものが芽生え始めた。

―なんでおれん家ばっか?

―なんか落ち着く

“それはさあセッちゃん、すごくよっぽどのことだと思うのだけど“

*

あっくんが、情勢不安定な日本を出て留学することになる。
離れ離れになって、セッちゃんは、あっくんとセックスしなかったなあと思う。
ほかの男の子と違って、なんかおかしかったなあと思う。
そして、あっくんに会いたいと思う。

*

海を越えて、セッちゃんはあっくんに会いに行く。
おもちゃみたいなぬいぐるみのくまのリュックに、パスポートとコンドーム入れて。
今度は間違えない、と思いながら。
そうしてフィンランドの空港に降り立ったセッちゃんを出迎えたのは、少年の構えたライフルの銃口だった。

*

“セッちゃんは大学生だった20××年×月×日よく晴れた日曜日の昼下がりに、ライフル銃で3発撃たれて、あっけなく死んだ“

“なんにせよ、セッちゃん自身がもう限界で、世界がきっかけを作って待っていたのかもしれない、とあっくんは思った”

そんなことはないよ、あっくん。
セッちゃんは、君に会いに来ただろ。
コンドーム背負ってきただろ。
きっと、もうすぐ本当の幸せに触れるところだったんだよ、君たちは。

いつかほかの女の子を好きになったっていい。
君の望む「日常」に帰っていったっていい。
生きていく君の人生は、なるべく明るくあるべきだと思うから。
でも、「こんな世界セッちゃんに似合わない」なんて言い訳しないでよ。
君たちが二人でいるとき、世界は君らに似合ってたよ。
見えなくて触れられないはずの尊いものが、君らの間にあったんだよ。
だからどうか、そんなことを言わないでくれ。

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