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君のアウトプットを教えてー円城塔『これはペンです』

「姪:」。
叔父から届く手紙はこう始まる。
叔父は姪のことを、名前ではなく関係性で呼ぶ。ごく幼いころに会ったきりの、顔もわからない叔父は、世界中のあらゆる場所から、あらゆる方法で「姪」に手紙を送ってくる。

叔父は様々な手段や道具を用いて文章を書くことを試み、提案する。たとえばアルファベットの刻まれた磁石をつないだり。たとえばタイプライターのタイプボールの文字配置をあえて正規とは違う配置にしてみたり。あるいは自分の血液を用いてみたり。あらゆるものをペンとし、文章を紡ぎだそうとする。そうした実験の結果を、叔父は姪に手紙として送る。
姪は姪で、時として暗号のようなその手紙を、手を尽くして解読する。顔も知らない叔父の形状に迫ろうと試みる。ミロのヴィーナスの腕が、欠けているがゆえに無限の可能性を持ちうるように、姿を知らないがゆえに無限の形をしうる叔父のことを夢想しながら。
二人はそんな関係である。
叔父から届く手紙の結びはこうだ。
「:叔父」。

正直言って、私はこの小説に書かれていることをあまり理解できていないと思う。
DNAのフルスクラッチによって書かれたメッセージ、とか言われてもお手上げだ。それでも、細かい部分を捉えきれなくても、ひとつづきの文章として読んでいくと、なんとなく全体像は見えてくるような気がする。わかったような気がする。そんな本だ。

この感覚は、賢い人に解説を受けている時の感覚と少し似ている。
私が「難しそう」「たぶんわからない」と敬遠して、外観を眺めるだけに留まっていた物事や事象について、彼らは実に明快に切り分け、説明してくれる。手の中に、すばらしく切れ味のよいナイフを隠し持っているみたいだ。
私はそれをふんふんと聞いて、完璧に理解したような気持になるのだけれど、あとから自分でその口上を再現しようとしてもさっぱりできない。掴んでいたと思っていた意味が、魚のようにするりするりと手の中から逃げて、残っているのは水だけ。
この小説もそれと似ていて、読み終わってそのメッセージの本質を抽出しようとして、しかしちっともうまく書き表せない。そのことにもはや愉快ささえ感じながら、今これを書いている。

「自分が何かを書くことができているとは信じず、何かを書いているとは知っている叔父。何故書けるかの理由は知れず、いかなるやり方でも書けてしまうことを示そうとし続ける叔父。あらゆる機能に問題がないかのように活動できる、多分、ほとんどの機能に問題を持っていない叔父。書きはじめる動機や内容を欠き。書く方法だけを探し続けている叔父。」

この言いようでは、叔父はまるで欠陥品の機械のようだけれども、そこにはどこか人間臭さが宿っているように思う。システマティックでドライなようにも見える叔父と姪のやりとりに、不思議な手触りが感じられる。
あらゆるものを筆とし、文章を作ろうとする叔父の子供のような探求心に。叔父を知りたいと思う姪の試行錯誤に。
単なる肉親への愛情とかいうものとは少し違う、人間そのものに対する期待や好奇心が、隠しきれない血の通った温かとしてにじんでいるような、そんな本であるように思う。

私がこの本から読み取ったのは、そんなところだ。
もしかしたらまったく的外れかもしれないし、意外といいところをついているかもしれない。ほかの誰かに読ませてみたら、真逆の感想が出力されてくるかもしれない。
それを想像することもまた愉快で、次はこの本を誰に読ませようかと考えている。

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