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ずっとここで旗を振る

最近、知り合いや友達が「あの文章読んだよ」と言ってきてくれることが増えた。
こないだなんか、そんなに頻繁に連絡とってないしSNSにも全然姿を見せない先輩が、わざわざLINEで「これめっちゃよかった」と送ってきてくれた。

ずっと、狭くて暗い場所にいる気分だった。
どうせ大して読まれもしないのに。私の書いたものってそんなにおもしろくないかな。これになんの意味があんのかな。

そんな暗い引力に、常に引きずり落とされそうだった。自分しかいない渇いた部屋で、いつも窒息しそうだった。溺れそうになりながら、酸素を求めてあえぐみたいに言葉をつむいだ。

それが、最近なんだか少し明るい。私を溺れさせようとしてた架空の水が消えて、息がしやすくなった。前よりほんの少しだけ、遠くまで見通せるようになった。
わずかに開けた場所を見て、もう少し行けるかもしれない、と私は思う。

*

友達とか、先輩とか後輩とか、知り合いに書いたものを読んでもらえるのはもちろんうれしい。
ただ、こっそりほんとのことを言うと、全然知らない「誰か」が私の書いたものを読んでくれた時のほうが、もっとうれしい。

だって知り合い相手なら、直接話せる。言いたいことを言える。「こうじゃない」って反論もできる。
でもそれができる範囲なんて、しょせん私が会える/声が届くごくわずかな人たちだけだ。
人ひとり分の大きさと、ひとり分の声量しか持たない私が、その範囲を超えてさらに遠くまで届けるためのたったひとつの方法が「言葉」だった。
言葉をつむいで外に向けて広げたその時だけ、私は私の範疇を超えて、うんと遠くまでいける可能性を持つ。
知らない「誰か」にコンタクトできる。

「誰か」という言葉は、「誰でもいい」というニュアンスを含んでいて、だからなんとなくネガティブな感じがする。
でも、私は「誰か」にこそ、私の書いたものを読んでほしいと思う。
私のことを影も形も知らない「誰か」にこそ、私の言葉が届いてほしいと思う。
そうやって、私の見えない場所まで、私の行けない場所まで、どこまでも運んでほしい。
波がボトルメールをはるか遠くの浜辺に届けるみたいに。

私はここで旗を振る。
見えますか。わかりますか。
旗が何色に見えてもいい。旗を見て、どんな感情を抱いたっていい。
世に出した瞬間から、誰かの目に触れたその時から、それは私だけのものではなくなると思っているから。
それを見て抱く感情はその人ものだ。
ただ、私の旗が、誰かの胸に何か灯せたらうれしい。それが何色の光でも。
そして、できたら手を振り返してほしい。

私はここでずっと旗を振る。
そしていつか、はるか遠く、さまざまに光る海原みたいな景色が見たい。

#エッセイ #コラム #言葉


ハッピーになります。