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明日も好きな服を着る

いちばん最初に就職した会社でいちばん嫌だったのは、1年に一回ある「組合の集会」だった。

旧態依然とした会社で、年に一度、全国の営業所から代議員数名ずつが集まって「議長を信任しますか」「意義なし」ぱちぱちぱち。みたいな形ばかりの会が開催されていた。
今自分でこれを書いていても、なんて古臭いんだろうと思う。一文字も意義が理解できない。

私は代議員じゃなかったけど、入社して数年は他部署への顔見せとか、顔を売る意味もあって、それに出席しなきゃいけなかった。
何が嫌だったかって、まずその日程が土曜日だったことだ。
その会社での仕事に1ミクロンもやりがいを見出せなかった私は、会社にプライベートを1秒も渡したくなかった。業務をめちゃくちゃ頑張っていたのは、評価されるためじゃなく定時に帰ることに誰にも文句を言わせないためだった。

それなのに、会社のしょーもないイベントのために休日に駆り出されるって、馬鹿たれ。
初めてその会の存在を知った時はあぜんとしてしまった。
この会社は大切な、大事な私の時間をなんだと思ってるんだ。あほ。

それだけでも耐えがたかったのに、その上その会には服装規定があった。

『カジュアルな格好ではなく、きちんとした服装で参加してください。
※スーツでなくて大丈夫です。』

はあ? きちんとした服装だとう?

当時私は完全に内勤で、外部の人と一切会うことのない部署にいた。
さすがにジーパン、スニーカー、TシャツなんかはNGだったけれど、オフィスカジュアルと言っていいのか迷うほど服装のルールはゆるかった。
だから、「きちんとした服」と呼べるものは私のクローゼットにはなかった。もし本気で「きちんとした格好」をしようと思ったら、リクルートスーツを引っ張り出すしかなかった。でも、やぼったいあのスーツは二度と着たくなかった。
そして何より、服装までも規定されることがこの上なく苦痛だった。

困って、先輩に「きちんとした格好ってどれくらいきちんとしてたらいいんですかねえ?」と訊いた。
その人は、「そこまでかっちりしなくてもよかったと思う。ジャケット羽織ってればいいんじゃない?」というようなことを答えた。
先輩の言い方を見て、私は「羽織があって、『ちゃんとした』オフィスカジュアルくらいの格好ならいいのかな」と解釈した。

結局私は、ベージュのジャケットと、白いシャツと、紺のテーパードパンツと、ベージュのハイヒールのパンプスをチョイスした。ジャケットとシャツは形状に思いっきりデザインが入っていて、スーツのあの堅苦しいあのシルエットとはかけ離れていた。
でも、平日の昼間に丸の内あたりをぷらついていても違和感ないくらい、普通にきれいなオフィス系の格好だったのだ。普段の仕事の格好と比べたら100倍くらいちゃんとしていた。
「きちんとした格好を」という指定と、着たくない服を着たくない感情のなかで折り合いがついたのがその服装だった。

でも、当日会場に入った瞬間、やらかしたことに気づいた。
全員、ちゃんとしたスーツだった。
本当に、私以外全員。
受付に立った他部署の先輩が、私の格好を見て困惑したのがわかった。
自分が間違ったことはよくわかっていたけど、今さらどうにもならなかった。
せめてジャケットが変わったシルエットであることがばれないようにジャケットを脱いでみたりもしたけど、その下に着ていたのもデザインの入ったシャツだった。
おしゃれで、素敵で、お気に入りの、でも場違いなシャツだった。

その日、別に誰も私に何も言わなかったけど、あとから服装のことで悪口を言われていたことを知った。

やらかしたな。と思った。
でもそれ以上に嫌になってしまった。
なんで服装のことでこんな思いしなきゃいけないの。

だって、服で仕事してるわけじゃない
社外の人がいるわけでもない。
信任しますか? 意義なーし! ぱちぱちぱち。
そんな台本通りにやるだけの茶番に、わざわざ土曜日に、堅苦しい服なんて大嫌いなのに気を使って行ったのに。
馬鹿みたいだ。
何一つ本質的じゃない。

お局のおばさんに業務と関係ないことで怒られたり、提携先のおっさんにブチ切れられたり、クローズにしなきゃいけない情報を間違って言っちゃってめちゃめちゃ怒られたり、嫌なことや理不尽なことは他にもいくらでもあった。
だけど、あの会社に勤めていた3年を振り返って、私が一番嫌で、どうしても納得できなかったのは、やっぱりあの日なのだった。

形ばかりのルールを守れるか、はみ出さずに周りと同じようにできるか、そんなことで価値を決められることに、いつまで経っても折り合いをつけられなかった。
業務と直接関係ないことまでほかから指定されて縛られることが本当に苦痛だった。

あの時のことを何度思い返しても、「やらかした」とは思っても「間違えた」とは思えない。
翌年からの2回、私はその集会にきちんとスーツを着て出席するようになったけれど、あとの2回の自分より、最初の、たった一人だけ場違いな、でも自分で選んだ服を着ていた自分のほうがよかった。

*

ここまで読んで、「変に個性出さずにおとなしくスーツ着てけばよかったのに」「そのくらいの社会ルール守れよ」と思う人もいっぱいいると思う。

その通りですよ。子どもみたいな言い分だってわかってる。
でも、自分が何を受け入れられて、何を受け入れられないかは本質的な価値観の問題で、変えたり矯正したりできるものじゃない。
そして私は、持って生まれ、作ってきた自分の価値観を「悪い」なんて思いたくない。

ほぼ3年勤めたあと、私は最初の会社を転職した。
転職した一番の理由は仕事内容だけど、でも実は、「決められた服装で決められた時間に会社に行く」ということができなかったから、というのがもう一つの大きな理由だったりする。

そして、今の私は、好きな格好で、好きな時間に出社して働いている。なんの問題もなく。
日曜にメールを仕事のメールを返したり、日付変わるまで働いてることもあるけれど、別に大して苦痛じゃない。好きで、納得してやってるからだ。
私は長く働くのが嫌なんじゃなくて、納得できない時間の使い方をするのが嫌なのだと知った。
納得できないことはできない。
それが私の価値観。

*

これを書いたのには理由があって、このツイートが思いのほか「いいね」されたからだ。

こういうことで思い悩んでいる人が結構いるのかもしれないと思って、自分の経験を書き起こしておこうと思った。

一度も道を外すことなく生きているうちは、まるで細い平均台を歩いているような気分になる。
平均台の下には大きな穴が空いていて、足を踏み外したが最後、二度と這い上がれない奈落に落とされるような、そんな緊張感。
でも、一度転んでみたらわかる。
穴なんか別に開いてなくて、足元には広い地面が広がっていて、ちょっと見渡せばもっと歩きやすい道がたくさんあること。

あした、なに着て生きていく?

かつてこんなキャッチコピーがあった。このキャッチコピー大好きだ。

規則正しく生きている人はすごいし、えらいよ。
でも別に、そうじゃなくたって生きていける。
私は明日も、好きな服を着て生きていく。

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ハッピーになります。