見出し画像

正しい恋の終わり方 6

6.

一年生の九月のこと。
接客が向いていないことを痛感しながらのアルバイトは本当につらくて、バイトのある日は毎回、吐きそうなほど憂鬱だった。
店長の三城さんは優しいけど何を考えてるかいまいちわからないし、キッチンの豊田さんはいつも仏頂面で「皿」「会計」とか、単語しか話さない。
「アンティークな雰囲気がいい感じの店☆」なんてイメージで選ぶんじゃなかった。入ってからひと月たって仕事は一通り覚えたけれどようやくミスをしなくなったという程度で、「お客さん目線で愛想よく」なんてとても手が回らなかった。辞めたい辞めたいと毎日思うけど、ここで辞めたら負けだという気持ちと、三城さんが勝手に親しげにさっちゃんなんて呼びだしたせいでとても辞められるような状態ではなくなっていた。

今日もなんとか混雑するランチタイムを乗り越えて、頭も体もへとへとだった。四時になれば豊田さんが来て交代してくれる。そう思って私はさっきから、一向に針の進まない時計に一分おきに目をやっていた。
がらんがらんとドアベルが鳴って、お客さんが一人入ってくる。やけに痩せた背の高い男の人で、無造作に伸ばされた前髪に覆い隠されて顔がほとんど見えない。すだれのような前髪の隙間からやっと見えた目は眠そうな三白眼だった。
なんと言うか、どう好意的に見ても感じのいい人じゃない。根暗そうだし、猫背もひどい。四十五、いや四十点? 勝手に心の中で採点していたら。キッチンにいた三城さんが親しげに声をかけた。

「あ、野田くん。久しぶりだねえ」
「はあ、最近なんか忙しくて」

うわ、声まで根暗っぽい。というか、この人常連なのか。
野田くんと呼ばれた彼はカウンターの私の目の前、から一つずれた席に座った。近くで見ると、たぶん同年代なんだろうということがわかる。着ているシャツはラルフローレンだけど、襟はよれよれだし、そでからひじの部分は得体の知れない何かで汚れていた。

「さっちゃん、カフェオレにホイップクリーム乗せて出したげて」

三城さんに言われて、私は慌ててカフェオレボウルを出してカフェオレとホイップクリームの準備をする。

「三城さん、これあげる」

野田くんはかばん替わりなのかタカシマヤの紙袋からブリキの小さな塔のようなものをとりだして言った。

「課題の廃材で作ったやつ。これ、豆電球入れたから電池つなぐと光るよ」

こいつには表情筋がないんじゃないかというほど無表情で彼はそう話した。意外にもよくできている塔を、三城さんは嬉しそうに受け取る。

「ありがとうー。もしかして灯台?」
「そう。『Le phare』って灯台って意味なんだね、こないだ知ったから」
「そうなんだよー。お店に飾るよ。ありがとねー」

カフェオレボウルにカフェオレを注ぎながら、そうか、ルファルって灯台って意味だったのか、とこっそり考える。
そこでまたドアベルが鳴って、「ごゆっくり」と微笑んで三城さんは新規の客の接客のためにカウンターを離れていった。
私はこの、常連らしい男にカフェオレの出来の悪さを指摘されるのではないかとびくびくしながら、ホイップクリームを乗せたカフェオレをカウンターに出した。

「カフェオレホイップクリームトッピングです」

野田くんはカフェオレボウルには目もくれないで、私の顔をじ、と見ていた。何見てんだよ! あたしの顔になんかついてるかよ! 内心でけんか腰になる私に、ぼそりと野田くんは訊いた。

「名前なに」

抑揚がないせいで、ひとり言なのか質問なのか一瞬わからなかった。

「……北見です」
「下の名前」
「咲生……です」
「さっちゃんって呼ばれてんの」
「……はい、まあ」

ためらいがちに肯定したら、「野田くん」の目が弓形に細められて、耐えられないというように口角がきゅっと持ち上がった。

(あ、笑った)

「似合わないね」

下手くそな、そっちこそ似合わないと言いたくなる、だけど目が離せない笑顔で彼はそう言った。
それが、北見咲生と野田雄介の出会い。
あたしの、初恋。

<続>

正しい恋の終わり方 7
正しい恋の終わり方 5
正しい恋の終わり方 1


#小説 #連載 #恋愛 #毎日更新 #正しい恋の終わり方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?