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正しい恋の終わり方 9(完)

9/エンディング


時は流れ、春が来る。
当然のように。

*

春休み入る直前、私は一馬と直接会って、ごめんなさいをしてきた。
「わかってた」と一馬はいい、照れたように笑った。「でもちゃんと結論が出てよかった」と言った。
私はこの、私が選ばなかった優しくて誠実な人にもうなんと言ったらいいかわからなくて、とっさに出そうになったごめんなさいの代わりに、ありがとうと言っておいた。

*

裕也からは、香苗さんと別れた、という連絡が入った。
裕也と香苗さんとの間でどんなやりとりがあったのかは知らない。香苗さんは来年度の夏から二年、カンボジアの海外研究に行くのだという。裕也はまた女の子と遊ぶようになったけれど、そんなにひどい噂は聞かなくなった。

春休みに一度、用があって大学の図書館に行った私は、キャンパス内で香苗さんに会った。
私を見ると香苗さんは「井出君の友達だ」と声をかけてきた。私が香苗さんと対面するのはこれが二度目だというのに、記憶力のいい人だ。

「カンボジア行くって聞きました」
「そう。ずっと希望してたんだけど、やっと話が通ったの」

香苗さんの顔はきらきらしていて、希望に満ちているように見える。
旦那さんとは遠距離ですね、と意地悪なことを訊こうとして、私は彼女の左手に指輪がはまっていないことに気づいた。
私の視線に気づいたのか、香苗さんはわざわざ左手をひらひらと顔の前で振ってみせた。

「ふふ、身軽」

そう言って、不敵な笑みを浮かべた。

「一番やりたかったことができることになったの。余計なこと考えなくていいように、すっきりさせちゃった。色々」

一体どこまで知っていてこのセリフを吐いているんだろう。
この人、私が思ってるより相当つわものなのかもしれない。
ともかく、彼女には彼女のドラマがあったのだ。それがどんな物語なのか、私が知ることはたぶんないけれど

じゃあね、とすっきりした手を振って、香苗さんは颯爽と歩き去って行った。紺色のジャケットに白のボーダーのボートネックに足首の出たワークパンツという格好はまだ少し肌寒そうだったけど、春らしくていいと思った。

*

山県まどかさんが編集者をしている月刊誌に、「都内の隠れ家喫茶店」としてルファルが掲載された。
山県さんは本当は隠れ家カフェという表記にしたかったらしいのだけど、「うちはカフェじゃなくて喫茶店だから」と言う三城さんの頑固な主張が通ってこうなったらしい。「大衆感覚に流されちゃだめだよね」と得意げに言う三城さんに、豊田さんは少し呆れてるみたいだった。

山県さんもたまにお店に来るようになって、それが豊田さんしかいない時だったりすると、ちょっとだけ空気がピリッとする。でも三城さん現れると二人ともわずかだけど表情がぱっと明るくなって、それを見るたびに、申し訳ないけど私はちょっと笑ってしまう。
二人とも大人のくせに、なんかかわいくて。

雑誌掲載のせいで一時期ルファルはとても忙しくて、シフトが増えて私にもしわ寄せが来たのはちょっとだけ迷惑だった。
店は最近になってようやく落ち着いたけれど、固定客も増えたので、結局バイトも一人増やすことになった。新規のお客さんの中には癒し系イケメン店長の三城さんのファンと、地味に豊田さんが好きという人もいるらしくて、このネタで豊田さんをいじるのが目下の楽しみだ。

ルファルが掲載された雑誌はブリキの灯台と、タバコのパッケージでできた四台の戦闘機と一緒に飾られている。そのうち二つは、新しく増えたセブンスター号と、「下手くそ」と言われながら私が作ったラッキーストライク号だ。
それを作った日、私はやっぱりちょっとだけ泣いた。だけどそれ以上にたくさん笑って、「さっちゃんてやっぱり似合わねえよな」という言葉に「前髪短いのも似合ってないよ」と言い返したりした。

私の携帯からは留守電のメッセージが消えて、代わりに野田雄介からのメッセージがまた増えるようになった。
忙しくなったルファルはバイトを増やすことになり、4月からは猫背で目つきの悪い、いかにも接客に向いていない男の店員が働く姿が見られるようになる。私は先輩として、散々いびってやるつもりである。
それで時々は、ホイップクリームをのせたカフェオレを一緒に飲んだりするかもしれない。

みんな少しずつ傷を作り、少しずつ血を流してここまでやってきた。
傷は時々痛むかもしれないけれど、そんなものはすぐに気にならなくなるだろう。

だって、あたたかく新しい季節が、今からこんなにも楽しみだ。

〈了〉

正しい恋の終わり方 8
正しい恋の終わり方 1

#小説 #連載 #恋愛 #正しい恋の終わり方

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