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【ハーモニーデー】外国人と生きる

自己紹介記事から空いてしまいました。
日々考えることをどうまとめたらいいんだろうと、
うんうん迷ってなかなか記事が書けなかったnote。
日々インプットしばかりしてアウトプットをしないので、
まだnoteを書くことのハードルが高い。


ハーモニーデーはじまるよ!

3月20日、娘たちをチャイルドケアにお迎えにいくと、
「明日はハーモニーデーだから、
日本っぽい服かオレンジの服着せてきてね!」
と言われた。
ハーモニーデー、、そんなものあったような、なかったような。
要するに多文化社会をお祝いする日だそう。

オーストラリアでは、毎年3月21日は「ハーモニー・デー」(調和の日)というお祝いの日となっています。 この日は、オーストラリアの多様性を意識し、異なる文化的背景を持つオーストラリア人を結びつけるための日です。

なるほどしかし、日本っぽい服といえば幼児御用達の甚平しかない。
シドニーは今週から寒くなり夏はおしまいだ。
急に秋になったので、甚平では寒い。
とはいえオレンジの服もないので、
普通の秋服の上に、甚平の上着のみを羽織らせて登園させた。

チャイルドケアでは娘たちが唯一のアジア人なので、
「わーお!ぷりてぃーーー!」
喜んでくれる先生。しめしめ。

うちのチャイルドケアの先生たちはとにかくよく褒めてくれるので、
我が子たちの自己肯定感も高くキープ出来ていると思う。
チャイルドケアの先生たちについては、また別記事で書きたいところ。

ハーモニーデー工作

チャイルドケアのハーモニーデー工作では、
自分の出自についての認識をさせる目的で、
画用紙に手形を2つつけて、
その手形を国旗に見立てて色を塗っていた。

娘は日本と、、、見たことのない国旗だった。
え、あの国旗はなんだろう?
どこか東南アジアで見たことのあるような国旗。
私はなんだか嫌な予感がして、
「国旗 マレーシア」と画像検索をした。
ビンゴ。
マレーシアと日本のハーフにされていた娘。

やってしまった。これは私に落ち度がある。
パパはベトナム系オーストラリア人だということを少数の先生には
伝えていたものの、
入園の時の書類にパパの出生地マレーシアとしたのだ。
たしかに旦那はベトナム人両親の間に、マレーシアが産まれたが、
生後2か月でオーストラリアに移民している。
マレーシアに何も思いれはないのだ。
マレーシアの言葉や文化をまったく持っていないのだ。

律儀なチャイルドケアの先生はわざわざ入園書類を確認して、
ハーモニーデー工作の準備を進めてくれたということ。

そしてマレーシアと日本のハーフとされた娘の工作は、
壁にしっかり貼り出されていた。
無念。本当はベトナムです。とは言えなかった。
小学校入園の際には、パパはベトナム産まれとでも書こうか。嘘。

そんなこともあったハーモニーデーだが、
娘たちは甚平をきて、お友達は他国の民族衣装を着て、
工作もそれぞれ違う国旗を描いている。
自分とお友達の違い、というものを認識できたんじゃないだろうか。
私たちは多文化社会に生きているんだよという認識ができる
いい機会になったと思う。

多文化社会の少数派として生きる

オーストラリアは移民国家で多文化社会であることは、
よく知られていると思う。
ただ住んでみると人種がそれぞれ入り乱れて暮らしているわけではなく、
それぞれの人種はエリア毎にだいたい分かれているのだ。
ミックスの地域もあるが、偏っている地域が多い。

私が住むエリアはイスラム教徒が多く、
車で10分行けばベトナム人や中国人エリア、
また別の方向に15分いけばアラブ人エリア。

やはり自分と同じ人種の人たちと暮らすのが心地いいのだろう。
移民国家だからって差別がないわけではない。
白人エリアにいけばアジア人を差別する人だっていると聞いた。
みんなそれぞれコンフォートゾーンにいたいのだろう。

それぞれのコンフォートゾーン

自国のごはんを提供してくれる飲食店があって、
自国の商品を売ってくれるお店がある。
自国の言葉の話せる仲間たち。
これがあれば海外に住んでいたって大丈夫と思える。

各エリアを歩いて、そのエリアに属した人種を見るとき
そう思うのだ。安心しているなと。

私にはそういう意味でのコンフォートゾーンはない。
いつだってどこに行ったって、少数派だ。
移住当初はそのせいで憂鬱になったりしたが、
もうそんな気持ちはとっくにない。

居場所は自分で作るものだと気づいた。
自分の居場所を自分でコンフォートゾーンにするのだ。
自分の大切なもの、好きなことがあれば
社会的に少数派だって、友達が少なくったって
どこでも生きていける。
どこでも子育てがんばっていける。
と気づかせてくれたのがオーストラリア。

少数派であることがアイデンティティ

むしろ今では少数派であることが自分をスペシャルにしてくれている、
と思うようにもなった。
日本にいたら多数派でないと不安になったかもしれない。
少数派であることにプライドを持つこと、
多数派に染まらない、染まりたくないと思うようになった。

少数派であるという自覚がアイデンティティになり、
私に存在価値をあたえてくれているのだ。


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