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自分らしい写真を撮るには、「視点」=「自然体」を鍛錬すること。

疲れさせない」って表現することにおいてとっても大事で、個人的には私の写真は見ていて「疲れさせない」ずっと長く見ていて欲しい写真になれば良いなぁと思ってます。

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最近は自分の写真に対して日々悶々と自問自答してたりするのですが、私の大好きな最所あさみさんの今日のnoteに解決のヒントがあるんじゃないかなって思いましたのでシェア

だからって、自分が疲れなくて良いのかって考えるとまたちょっと違うと思うし性格的に無理なのかなってってのもあるのですが…笑

ただ、「違和感のある無理」というものを個人的には撮影でもレタッチでも感じることがたまにあって、そんなときはだいたい良い写真は生まれなくて、やばい…ってなります。私の写真をよく見ている人は違いが分かると思いますが、「あ、このとき三浦、無理してやってんな」って。そして、そんな写真は見る側にも違和感(疲れさせる)を持たせちゃってるなぁって思います。(日々反省)

最近は撮影前の準備をきちんとすることで、解決することに気が付いたので(当たり前なんですけど。)欠かさないようにしてるのですが、どうしてもそういう写真を撮ってしまったときは、ほぼほぼレタッチに倍以上時間がかかったりします。そして、反省してます。色とかそういうものでごまかしてる感があって辛いなぁって思います。あと、準備というかこうすればこう撮れるってのをちゃんと自分のなかで分かっているとだいぶ心が楽です。本当は準備せずに、直感で撮れるようにまでなりたいのですが、それは準備の鍛錬から来るものなので、まだまだ精進が足りないんでしょう。

そして、「心地の良い疲れ」ってのもあって、私は大好きな写真家の一人にアンドレアス・グルスキーを上げるのですが、ぶっちゃけ見ているととっても疲れます。蜷川実花さんや森山大道さんも好きだけどそんな感じです。個人的には小説だったら読了感が半端ないものが好きだし、そんな写真や絵画も大好きだったりするので、自分の写真は見ている人にどんな風に思われたいんだろうって考えるのも大切ですよね。

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そんなことを色々考えると結局はブレてしまうので…ブレないようにどうすれば良いのかって考えたときに、自分の「役割」を考えれば良いのかなって思ってます。自分の写真が見ている人や世の中にとってどんな役割になれば良いのかなぁって考えたりしてます。そう考えるとやっぱり私の写真は末長く見続けて欲しくて、「この世の中ってすごく美しいな、そんな世界に自分は生きているんだな、なかなか良いじゃないか」って思ってもらえる写真を撮りたいなぁって思ってます。お花畑なマインドなんですが、それで良いんじゃないかと思ってます。私の役割はそこであって、見る人の心にストンとハマって欲しいなと思ってます。

でも、結局は見ているひとの個人個人の感じ方だとも思っているので、自分自身が写真とどういう向き合い方をしているのかが大事なのかなって、結局はそこに辿りつくので、私自身が「撮りたい!」って思える瞬間を見つけて、作っていくことが大事なのかなって思ったりもします。この「撮りたい!」って思う瞬間を作り出すのも実は鍛錬だと思っていて、ガッツリ組み立てたスタジオ写真でも、ふとしたスナップ写真でも最高に素敵な瞬間を「切り撮る目」っていうものを鍛えていかなきゃなぁって思ってます。

自然体でいることがベストだと思っているし、その中で写真を撮れればと思っているけど、自然体でいることの鍛錬っていうのもあるんだろうなって思います。

じゃあ、どういう鍛錬をしてるの?って言ったら、写真集を見たり、映画を見たり、絵画を見たり、小説を読んだりといろんなことをしてます。で、実際に真似してみたりもします。良いなって思った写真を真似してみる。でも、真似してみても絶対に同じ写真にはならないんですよね。今まで見てきた私の「視点」っていうのが必ず入ってくるから。その「視点」=「自然体」なのかなって思ったりします。

今の流行り的には一瞬で「綺麗!」って思わせる写真が目を引いたりもするので、なんだか難しいなぁって思うし、ぶっちゃけ悔しいことはたくさんあるのですが、あまり周りに気を取られずに自分自身の自然体で進んで行こうと思います。

見る側の話しをしていたのですが、オチは自分の見せる側の話しになってしまいました。

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