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写真を撮る上で被写体について考えること。

写真の師匠的なアートディレクターにオススメされた本、竹内万里子さんの「沈黙とイメージ」の学びが多いので、ちょっとずつ私の頭の中をシェアしようと思います。私が計画している「令和を生きる女性」がテーマの写真展にも通じてくる話しになってくる予感。

今は作品撮りや仕事とか販売用とかとかいろんな目的で写真を撮ってるのですが、主にポートレイト(人物写真)を撮る身としてしっかりと考えておきたいことを発見したので、引用による覚書と自分自身への課題を書いていきます。特に、今度の写真展ではわりと社会性のあるメッセージとしてとられやすい気もするので、そのあたりを明確にして撮影に挑めると良いなと思ってます。

内容は土門拳さんの「ヒロシマ」からの考えなので、かなり重い内容なのですが、根本的には被写体に対するカメラマンのスタンスというか、やるべきことを書いてあるように思えました。ここでは「痛苦」として書かれているけど、例えば「幸福」「可愛らしさ」に置き換えても同じかなって思いました。

以下、「沈黙とイメージ」からの引用です。

essay07 土門拳「ヒロシマ」と他者の痛苦をめぐって

第三章 第一節 他者の痛苦への応答
P118 4行
すなわち他者の痛苦の表象/伝達とういう試みは、それ自体として批判されたり否定されたりすべきものではなく、自分の痛苦と他者の痛苦がたとえば「絆」といった名の下にやすやすと共有されるかのごとく語られてしまうときにこそ問題となる。したがって重要なのは、他者の痛苦に対する自分の想像的な同一化が、「傷つき、『痛み』のただ中にいて、それでも『痛い』とつげようとする切れ切れの声を、認識不可能なものとして排除する」ような「『痛み』を領有する暴力」を働かせることのないよう努めることである。自分が痛苦を「痛苦」として認識するその枠組みが、思いがけない形でそれ以外の痛苦のあり方を排除してしまっているのではないか、無数の声を踏みにじってしまっているのではないかと疑うことこそが必要とされている。どれほどその試みが「すべて」から程遠く、バランスを維持することが難しくとも、あらゆく痛苦の表象/伝達はこうした他者の痛苦との隔たりないし共約不可能生を前提として、自分が働かねない暴力への最大限の配慮の上にしか成り立ち得ないだろう。


撮る側にとっての都合の良い写真になってないか、相手(被写体)にとっての都合(と言って良いのかな?)は無視してないか。私は女の子の写真をよく撮るけど、私の思う「女の子の可愛らしさ」がその子にとっての「可愛らしさ」を踏みにじってないか、尊重されているかということですね。
また、お互いに一方通行ではなく、撮る側撮られる側の両方がお互いの写真に収まる意思を理解していないといけないのかなと思いました。

分かりやすい例えだと、私の作品撮りの写真ってあまり女の子のカメラ目線の写真が少ないんです。それはそう撮りたくて、撮っていて(その話しはまた今度)、でも絶対にカメラ目線を外さない子もいるんですよね。そう言うときは「あっち向いて」とか指示を出しちゃうのですが、相手にとっては不本意な場合もあるだろうなぁと思います。そういうことのコミュニケーションって大事なのかなって思います。

(仕事の場合はこの話しはまったく別物になってくると思います。クライアントという第三者がいて、こう撮って欲しいという要望があるので。)

じゃあ、どうすれば良いの?というと。

被写体への最大限の配慮の上にしか成り立たないのかなと思います。
相手を思いやる気持ち、相手へのリスペクト。どんな人間か、どんなことを思っているのか、どんな風に撮られたいか前もって準備しておくこと。

もしかすると、自分が撮りたい写真が相手が撮られたい写真ではない場合もあるかもしれないですよね。作品撮りの場合は、できれば相思相愛がベストなので、そんなときはあまり執着せずにご縁がなかったなと思うことにしてます。

あとは自分がどういうアウトプットをしたいというのをきちんと伝えることだと思います。どこに向けて(誰、どの界隈、メディア)、どういう意味で、私はあなた「被写体」を写真を通してどう見られたいか、どういう結果になって欲しいか。

なかなかそこまで詰めて被写体に話すってことはしないのかもしれないですが、せめて自分の中ではきちんと整理しておいた方が良いのかなって、最近思っています。

私が撮影時に個人的に意識しているのが、「被写体とこの世界との辻褄の合う写真」なのですが、今まで話してきたことは、わりとそこにリンクしてくるのかなって思ってきました。と、同時に今度やる私の写真展では「被写体」と「社会」との「辻褄が合う写真」がキーなのかなって考えてます。

ただただ、キラキラ輝いている写真を撮るんじゃなく、相手がこれからの時代で何をしていきたいのか、世の中をどう見ているのか、ちゃんと理解したうえで撮っていかないといけないよなって鼓舞する日々です。

そして、まだまだ私はポートレイトという世界では修行が足りないなぁと思いう日々です。

こちらの竹内万里子さんの「沈黙とイメージ」、被写体のことだけでなく写真に対してあらゆる角度から気づきを与えていただける本なので、とってもおすすめです。まだまだ、気づいて、いろいろ考えることがたくさんあったので、別の機会に書いていこうと思います。



最後まで読んでいただいてありがとうございます。写真展が続けられるようにサポートしていただけるとありがたいです…!