「創る森、創られる森、尽くされる感情」/谷崎由依『藁の王』を読んで憶い出され、また想うこと

いつか、僕の手が僕から切り離されて、何か書けと命令すれば、僕の考えもせぬ言葉を書くようなことがあるかもしれぬ。全く変化してしまった解釈の時間が始まるだろう。もう言葉と言葉とがまともに続かなくなってしまうのだ。一つ一つの言葉の意味は、雲のようにつかみどころがなくなり、水のように流れてしまうのだ。僕はしかし、おそろしい恐怖にもかかわらず、結局何か偉大なものの前に立たされた人間だと言う気がする。何か書いてみようという気持をちっとも持っていなかった時分から、僕はときどき、そんな気がしたのを覚えている。しかし、今度は、いわば僕が書かれるのだ。僕が何かを書くというより、むしろ僕が何かに書かれてしまうのだ。(略) もう一歩踏み出すことができれば、僕の深い苦しみは幸福に変わるだろう。しかし、その最後の一歩を、僕はどうしても踏み出せないのだ。僕は地底に落ち、もはや起き上がることができない。-1 リルケ『マルテの手記』

 語りたいものがたくさんある、語らなければいけないこともたくさんある、語りたい、いま、まさにいま、それを語らなければいけない。それでも、どうしてもきちんと言葉にしてそれを表すことができない。理由はたくさんある。あるような気がする。けれど、その理由さえも言葉によってだけは語ることができない。そもそも語るのはいまではないのかもしれない。この感情を、自分ひとりのこの手では一体どうしたらいいのかわからない。

 谷崎由依『藁の王』を二ヶ月以上前に読んでから、下がらない微熱を抱えたようにわたしはつねに頭のどこかがそんなふうに混濁していたのだと思う。
 実際この小説との距離の取り方がわからなくて、初読の時は文字を追いながら体温が少しずつ上がっていったような気がする。『藁の王』との距離の取り方がわからないひとはわたしだけではなくきっと大勢いるだろうとも思う。冷静に読めない〈幽霊〉たちがきっとこの世界にはたくさんいて、いまもまだ、かつて自分がいたあの〈森〉を振り返らずにはいられない。どんなにそれが苦しいことであろうとも。

 『藁の王』という小説は、そのあらすじ自体はとても容易い。
 これまで外で働いてこなかった純文学作家の〈わたし〉が、ある年の春から大学の創作学科で教鞭を取ることになる。
 〈わたし〉は小説家としてデビューし単行本を一冊出版してはいたけれどそれも絶版となり、現在はプロの純文学作家としてはよるべなく宙づりになっている状態で、「先生のように立派な作家」と学生から面と向かって言われれば、〈勤めるようになった現在は賃金こそ得ていたが、書く時間は大幅に削られ、著述による収入はむしろ減った。作家であるからこそ雇われた――ひとつの機関によりその肩書きを与えられたことで、わたしはますます作家ではなくなった〉と、どこにも向けることのできない冷たい炎のような静かな怒りを抱いてしまう。
 作家として創作をする〈わたし〉が創作学科で学生たちに極めて近い距離で〈創作〉を教え、対峙するうち、やがて〈わたし〉は小説を書けなくなる。同時に、彼女のゼミの学生はそれぞれの意思のもと散り散りとなり、書けない〈わたし〉が伝染したように学生たちもまた小説を書けなくなってゆく。
 学生たちと真摯に向き合おうとすればするほどいちばん大切なものがみるみるズレて歪みはじめ、いつしか〈わたし〉は、創作を教えるということの矛盾と負荷と根源的なグロテスクさに冒されて、〈森〉や〈幽霊たち〉と名付けられる大学構内の繁みで繰り広げられる幻想と、過去の自分の幻影に捕らわれながら、ついには精神的にも肉体的にも、身動きさえとれなくなる。

 語りたいものがたくさんあるのに、そしていま語らなければならないのに、それをどうしてもきちんと言葉にして語ることができない。そうわたしが硬直してしまっていたのは、この『藁の王』の舞台となる関西の巨大私立大学の創作学科に、「小説を書こうとする学生」として、わたし自身が七年以上も居たからだ。あの場所で、いまも生々しく蘇ってくるさまざまな経験をしたからだ。そして〈わたし〉と表される作家の女性とこの数年来、大学やそれ以外の場所において近しい距離で接しているからだ。

 と、いうのはあまりに愚かな理由だった。けれどそれはどうしたって揺るがないわたし自身の現実で、またそんな愚かな理由でさえもこの小説は呑み込んでくれるような気がしてしまう。だからこうして書きはじめられる。
 言葉と生身の現実を結びつけて語ることはこれ以上ないグロテスクな行為であると、かつて創作学科の学生だったわたしはタブーのように思っていたけれど、でもそれは、事によってはタブーとはいわない。
 言葉という虚構をもってして創られる小説という存在が、一体言葉それ自体とどのような関係をもっているのか。それが探求される時、言葉と生身の現実の繋がりはけしてタブーとはなりえない。
 それは、小説が小説であるかぎり、何らかの形で「誰か」から語らなければいけないことだからだ。

 言葉と生身の人間(現実)の衝突において生じるその暴力性と愚かさを、『藁の王』という小説自体が「身をもって」語ろうとしている。この小説を語るにあたって、わたしは自分のなかから止めどなく溢れ続ける記憶や想いを抑えることはしたくないと思う。抑えることなく、この小説に重ねて憶えておきたいし、また記したいとも思う。
 『藁の王』には夥しい数の〈幽霊〉が登場する。幽霊は「現実の人間」なくしては存在できない。幽霊はかつての「現実の人間」から生まれくる。それと同じように、小説(フィクション)=〈幽霊〉という存在も間違いなく、かつてこの世界の現実から生まれたものであったはずだから。

 小説を教える創作学科という場所は昔こそ珍しかったものの、この十数年でみるみる増えた。そしてそこで教えるのがプロの小説家や批評家であるということ(あるいは映画・舞台監督や俳優や漫画家、音楽家)=「教育の場それ自体が現場」であるという状況も、この十数年で当たり前のこととなっている。創作を教える場、というのは特異な場所であるにも関わらず、それが現実的には何ら特異ではなくなってきている、そんな奇妙な「ねじれ」が物凄いスピードで、まるで伝染するようにしてあらゆる場所へ拡がりつつある。

 わたしが〈吹き抜けになった〉〈赤っぽい煉瓦造りの、内側は真っ白な建物〉の〈長机がロの字型に配され〉た教室で創作を学びはじめたのは今から十二年ほど前のことで、その頃はちょうど、そんな特異なねじれが拡がりはじめた時期だったのだ、といまになってわかる。

 わたしが『藁の王』の作者と初めて顔を合わせたのは彼女が着任する前年の秋。その時のわたしはもうすでに創作学科の修士課程を修了し、あわてて就職を決めた本屋でふわふわ働きながら週に一度ほど、自分が在籍していた院ゼミに聴講で潜り込んでいた。

 潜り込んでいた、というよりは、まだ当たり前にその世界と自分とが地続きだった。
 あの創作学科の〈森〉からどうやって抜け出せばいいのか、その方法が修了しても全くわからずに、ひとまず戻れるところまで引き返したり、また〈森〉の外の世界の進めるところまで進んでみたり、それを自分なりによちよちと繰り返していた、というほうがぴったりかもしれない。
 わたしが在学中に所属教員たちの半数ほどが入れ替わり、修了してのちに母校の創作学科のカリキュラムは大幅に改革された。先輩や同級生たちが当時よく口にしていた言葉を借りれば、わたしの学部時代前半の創作学科はいまよりもずっと「マッチョで、まるで洗脳みたいな授業」が多かった。だからこの小説内の「書く」カリキュラムとは全く異なるバイアスの「書く」カリキュラムでかつてのわたしは学んでいて、しかしながら、〈森〉のあるあの場所の特異さと奇妙なねじれそれ自体は、わたしの時も〈わたし〉の時も、なにひとつとして変わってはいない。
 ともかく、わたしがこの小説の作者と出逢ったのは、彼女がわたしのいた創作学科に〈採用が決まったあとの飲みの席〉でのことだった。作者と出逢った時のわたしは、彼女の絶版になってしまった小説の掲載時からのファンであり、そして「かつて創作学科の学生だった人間」であり、しかしながら「いまだ創作学科に棲んでいる人間」であり、けれど実際はもう籍のない人間だから「彼女の学生とはならない人間」だった。

 それは現在もそうで、そしていまはさらに「彼女とは文学をめぐって頻繁に言葉を交わす人間」ともなった。だからこそ、『藁の王』と対峙することは、わたしは自分がいまもなお〈幽霊〉でありつづけていることを思い起こさせるし、さまざまなものが絡みねじれた次元からこの作品に触れざるをえない。

 カフカ、サルトル、フーコー、リルケ、ウルフ、何より『金枝篇』。それから「読者とはなにか」「言葉と関わるとはどういうことか」。『藁の王』は数え切れないほどの読みの要素と可能性を備えた小説だし、藁の王とその焼かれる様、代替わりの様、その〈森〉に秘められた構造とモチーフについて語ることこそが、本来はこの小説に対する真正面からの分析なんだろう。
 実際そういう書評をわたしはいくつかすでに読んだ。

 けれども、この小さな半開きの備忘録ではわたしのなかの記憶や手触りを重ねて、作者に対してねじれた位置にいるそんなわたしの視点から、わたしがこの小説によってもっとも感応したことを、ささやかに書き残しておきたいと思う。
 少なくとも、この小説を読んだかつての(またいまもなおそうである)〈森〉の〈幽霊〉たちが、『藁の王』で描かれるその光景が「創作学科あるある」だとして同情しまた笑って済ませているその浅はかな行為から、こぼれおちてしまっているいくつかの大切なことについては。

「物になりそうな学生はいますか」問いかけた口調は笑いを含み、どこか茶化すようだった。文学研究を教える傍ら批評家としても活動する廣野と、はじめてまともに話したのは採用が決まったあとの飲みの席だった。ひとりでいいから作家を出して欲しい、とそのときに彼は言った。――ひとりでいいんです。そうすれば、あなたを雇った意味はある。そんなことができるだろうかとわたしは思ったものだった。小説を書くことを教えるなんて。鉛筆の持ち方を教えるのとはわけが違う。すると廣野はこう答えた。――ご自分のやってきたことを伝えればいいんです、と。-2

 創作学科、という場所で独特のねじれが生まれてしまうのは、何よりそれが大学という〈研究と学問の場〉によって存在し、存在させられつづけているからだ、というのは学生当時からふんわりと疑問を抱いてはいたけれど、それをきちんとこうして言語化して認識できるようになったのはこの小説を読んだことがきっかけだった。

 文系学部の学問というのは社会の生産・管理に寄与しないと非難されがちだけれども、そこで学び研鑽を積んだものごとは個人的・社会的な岐路に立った瞬間にこそ発揮され有効となりうるかけがえのない武器であるのだ、などという言説、またそれに関連しての「大学は職業訓練校ではない」というセリフを、ここ数年、多くのひとが耳にしているはずだと思う。
 大学における文系学問というのがそもそも「他者」からすればこのように「当事者」からわかりやすく解説してもらわねばその必要性が理解できないという非常にねじれた位置に存在していて、さらにその文系学問のなかの創作学科は「大学における研究」とは全く異なるねじれた位置に存在している。まずはそれが大学の創作学科の、生まれ持っての宿命づけられた歪みなのだ。
 規律的・組織的である大学という場と、あらゆる方法を持ってして言葉と根源的に対峙することを第一に置く創作という行為。その両極のふたつがねじれ歪んだ空間において合体させられた時、それはあまりにも恐ろしいキメラとなりうる。

 大学は職業訓練校などではない。確かにそれはそうだけれど、こと大学の創作学科という場所に関していえば、答えは半分イエスであり、半分はノーである。
 創作学科に入学したわたしたちはまず、幾人かの鋭い視線のなかで「値踏み」される。廣野が言うところの〈物になりそうな学生〉であるかを値踏みされるのだ。
 物になるとは、一体何であるのか。
 それはそのあと廣野が躊躇いもなく口にするように「作家になれる学生かどうか」、そして〈わたし〉がゼミ生の采野ささらに対して感じ抱くような「書く力があるかどうか、書ける能力があるかどうか、そしてそれを書ける度胸がある学生かどうか」という意味だ。
 値踏みされるわたしたちは初めこそそれに対して無頓着であるものの、やがてその値踏みの鋭い視線に気がつきはじめ、自分がいずれ「作家になれるかもしれない物」であると意識し出す。わたしたちは無意識に「物」になる。

 教師(=作家や批評家)たちに自分が「物になる」と認められること、見つけてもらうこと、そしてそれを経た上で、限りなく低い確率のなかで「物になること」を目指すということ。創作学科は作家という職業人を作る場所だと、廣野のように躊躇いなく口にできる教師たち。
 創作学科は研究の場という殻に固く深く守られた実のところの職業訓練校であるにも関わらず、そこで教え学ぶその内容が、生や認識、言葉と云った根源的で哲学的な対象であることから、職業訓練という皮では守りきられない。
 そして人間関係という不可避の現象を巻き込みながら、さらにその場所を奇妙に醜くねじれさせてゆく。

植物や景色なら、存分に見ることが許される。この場所で、ともするとわたしは学生のことを眺めすぎるのだった。彼らは通常の人間とは違う。わたしが教師であるとき彼らは教え子であり、美醜や友人の多寡といった世間一般の価値基準を持ち込むことは憚られた。ここは研究と学問の場だ。-3 

 〈わたし〉は小説内でさまざまなものを眺めてしまう。
 構内に溢れる旺盛な植物たち、校舎の造形、大学の門へ向かう大量の学生の群れ、大学用に借りた賃貸マンションの一室から望む町とそこを流れる川。夫の棲む街へと戻る生駒山沿い電車のなかから見下ろす、はるか昔は潟であったビルの平野の光景と、そこに重ねる幻の墓所の光景。その地に伝説のある俊徳丸が心の目で見た景色への二重写し。

 眺めること、複雑に交錯する視線によってとあるモチーフが浮かび上がること。それは、作中で〈「必読書だからね、大学生の」〉と〈わたし〉がフーコー『言葉と物』の一節・ベラスケスの「侍女たち」についての配布物のプリントを用意することからもわかるように、言葉の生成と深く関わりをもつ。ひいてはそれが、小説とは不可分な身体行為ともなる。
 小説とはすべて視線によって立ち上がり、織り上げられる。であるからこそ、小説を書くために書き手は(また、小説内の視点は)あらゆるものを根源的に眺めざるをえない。〈わたし〉は饒舌から離れ、沈黙してさまざまな光景を眺めつづけることで言葉を紡ぐ。

 けれどその身体行為は、大学においてはゆるされないという。
 大学=学校においては、教育者の視線はあくまでニュートラルに、またあまねく注がれなければならない。それが規律であり、組織であるからだ。学生を「人間」として認識しなければならない一方で、過剰に「人間」として認識することはあってはならない。その「過剰」の線引きはあまりにも曖昧で、教師も学生も、誰もが明瞭に線を引くことはできない。加えて大学生というのは、〈わたし〉が〈彼らは子どもなのか、大人なのか。子どもであれば守らねばならないし、大人であれば対峙しなければならない〉と感じるように、その視線の線引きをよりいっそう曖昧にさせてしまう境界線上の生き物であるのだ。

 〈このキャンパスが、大学という制度が地滑りを起こすみたいに揺らいで、崩れて壊れてしまったら、一切の繋がりはなくなる〉。大学の敷地内に一歩入る前の、教師とそうでないものの中間みたいな何かとして、〈わたし〉は学生たちの群れをそんなふうに遠く眺める。そうして眺めると、学生たちも、学生とそうでないものの中間のようにも思えてくる。
 線引きはできない、しかし線引きをしなければならない。距離の尺度も存在しないのに、学生と過剰に距離を詰め、眺めてはならない。しかし〈物になりそうな学生〉を探し、教育し、書くように導かなければならない。そして作家を創らねばならない。
 そこに尺度を超えた人間関係の過剰さは、果たして存在しないと言えるだろうか。

 学生を眺めすぎてはならない、美醜や友人の多寡といった価値基準を持ち込んではならないと自覚する一方で〈わたし〉はしかし、季節ごとに移ろいゆく学生たちの服装の濃さ淡さ、豊かさ貧しさ、センスの輝き、センスのなさ、その装飾に透けてみえる彼ら彼女らのプライベートをどうしても、あまりにも躊躇いなく眺めてしまう。そうして、〈揃って膝丈のスカートを穿き、踵の高い靴で背伸びするように掲示物を眺めている。天井の高い廊下には、白く抜けるほどの強い陽射しがいっぱいに差し入っていた。遠目からはいくつもの素脚が絡まりあっているようだった。〉という、学生たちのほんの一瞬の奇跡的な美しい描写を、あるいは袴田マリリに対する〈見るからに重い肩掛け鞄を一歩ずつ運んでいる。教科書と、図書館で借りた本が詰まっている鞄〉〈毛羽だった薄地のセーターは、茶色ともピンクともつかない奇妙な色合いで、下に重ねたタートルネックは白地に紺の水玉模様。穿いているズボンも含めて、この大学に通う女子学生なら部屋着にでもしていそうな代物だった〉という、恐ろしいほどに醜悪で侮蔑的な容姿の描写を、わたしたち読者にむけて見事に書いてみせるのだ。

 また、美しく知的なオーラを放ちつつも、その一方でほかの常識的な女子学生ともかんたんに馴染める魚住エメルが、垢抜けず落ち着きなくある種の人間を意図せず苛立たせるような袴田マリリに注ぐ〈エメルは軽く会釈し、目を伏せた刹那にマリリを一瞥した。軽蔑に似たものが混じった気がして、胸の底がひやりとする〉という視線をも、教師の〈わたし〉はけして逃すことはない。〈友人の多寡〉的なものを推察するように、エメルとマリリの不均衡な関係をみずからの歪な過去に重ね合わせるように、〈わたし〉は無意識に彼女たちを眺めてしまう。

 そしてさらには、見る側である〈わたし〉自身も、絶えず学生たちから見られている。見られていることを知っている。〈黒板正面の教壇に向けて階段状に落ちていく教室の、真下の壇上にひとり立つのは、ずいぶんと恐ろしいだろう。こんなにたくさんのまなざしに、それも高みから見下ろされながら、なおかつ高説を垂れねばならないとは。〉と、学生たちの視線に曝されるみずからを〈わたし〉は冷静に描写する。
 そう、わたしたち創作学科の学生も間違いなくあの時、「物になる学生」を探し眺める教師たち(作家や批評家たち)を、ある種の対象として距離を持って眺め――その距離は時に遠く近く――、その視線を、鋭く差し向けていたのだった。

見る者は見られる者でもあると知ったときにその座から落ちる。王様は裸であると知るときに。そしていまここに立つわたしを、遥か高みから眺めているたくさんの学生たち。-4

 眺め描写される創作学科の学生たちにもさまざまな人間がいる。彼ら彼女らが、すべて創作によって結びついているとは限らない。

差し出した椅子に、袴田マリリは浅く腰掛けた。いつでも立ちあがって出て行く用意がありそうな座り方。息せき切ってやってきたくせに、ええと、と口のなかで繰り返すだけで話そうとしない。(略) ――小説家に、なろうと思ってるんです。と、彼女は言った。なりたい、ではなく、なるつもりなのだ。――毎日たくさん書いています。でも読んでくれるひとがいなくて。先生は、学生の作品を読んで意見をくださると聞きました。-5

「わたしは小説が書きたかったから。だからどうしてもここがよかったし、この学科以外最初から考えてなかった」通りにくいながらも熱の籠もった声は、袴田マリリのものだった。アルコールが入ると饒舌になるらしい。わたしとおなじだ。ふうん、と隣で頷くのは采野ささらだった。「そこまでではないけど、わたしもやっぱり小説書きたかったかな。普通に勉強するより、この学科でよかったと思ってる」 (略) 「魚住さんは」案の定、上気した声でマリリが訊く。エメルの手にあるのは烏龍茶で、酒は一滴も飲んでいないらしい。「わたしは」その頰から笑顔が消えた。「第一志望に落ちたから」にべもない答えに沈黙が落ちたが、すぐにマリリが浮上して、「そっか」と言った。-6

空穂はその時点で何も書いておらず、課題も提出していなかった。それなのに、これからたくさんのものを書き、書くことによって仕事を得るという将来像だけがあまりにも楽観的で豊かだった。彼は大学をやめても書かないだろうし、そもそも書くことをやめるだろう。大学に所属していれば、少なくとも誰かが文学の話をしてくれる。そこから外れていってしまうのは、この夢見がちな青年にとって危ういことのように思えた。-7

「いろんな学生が、いますね」見たままのことを、わたしは言った。廣野は頷くまでもなく、キャベツを食べ続けた。ずいぶんとたくさんの千切りがその皿には入っていた。わたしは構わず続けた。「意外だなあと思います。意外な子が入ってくるものだなって。予測が付かないですね」廣野は頰に皺を寄せ、ゆっくりと目をしばたたいた。プラスチックの湯飲みからひとくち茶を啜り、「人間ですからね」と言った。-8

  創作学科に入学当初、わたしは幾分気が抜けてしまった記憶がある。
 わたし自身はもともと幼い時から読書が好きだった、とは言っても、入学当時は文学といえばまだわたしにとって「図書室や家でひとりひっそりと読んでたのしみ、また、ひっそりと書くこと」でしかなくて、大学のことも文学の業界のことも、いまほどまだ何も知らないほんの子どもだった頃のこと。そもそもは小説家になりたいというあらかじめの強い希望があって入学したわけではなくて、わたしがあの大学の創作学科に入った理由は、この小説内の言葉で喩えるならば、采野ささらと魚住エメルの入った理由のその中間のようなものだった。
 それでも大学の、しかも創作学科となれば文学について心置きなく話すことが、それが陰気な行為であると誰からも蔑まれることなく、同じようにこれまで文学に触れてきた同年齢の人間と出逢うことができるだろうと思っていたのだ。けれど実際には、50人ほどいる創作学科の学生たちはわたしの予想をはるかに超えて、「文学を自分の大切な存在である」とは思っていなかった。
 芥川や漱石は教科書で読んだことはある、けれど谷崎や安吾はよくわからない、外国の作家など読んだこともない、現代作家に至っては自分が好んで読む文庫本の作家しか興味がない、ましてや文芸誌なるものなど、手に取ったことすらない、そんな雑誌の存在があることも知らない。そんな同級生たちが、わたしの実感では三分の二以上のマジョリティだった。
 文芸の創作という大義名分のある場にも関わらず、文芸の読み書きに触れる者のほうが実はマイノリティであるという現実。そのマイノリティのなかでも、ことに純文学に興味をもつ者はさらなるマイノリティとして存在していた。マジョリティであるはずの場所でマイノリティに陥ること、そのねじれ、そして自分がマイノリティのなかのマイノリティであるのだということ、その発見と感情はわたしを焦らせ、自分と教師のあいだに結ばれる視線のゲームをよりいっそう複雑化させてしまった。

 けれどいま思えば、それは何ら蔑むことのない、当たり前のことなのだ。創作学科という特異な場であるといえど、いま思えば、あそこは単なるひとつの人間の集積の場であるのだから。

森のなかに誰かいる、その誰かは殺されるかもしれない、とマリリは言った。『金枝篇』に語られたその物語を教えてやるということなら、わたしにもできるかもしれない。闇雲な不安を共有するのではなしに。森はわたしの恐れているものーー自分の個人的な問題を、学生に伝えたくはなかった。-9

 物語の冒頭で、研究室を訪れた学生の袴田マリリは「あの森が怖い」と〈わたし〉に怯えた声で訴える。
 〈森〉とは、創作学科のある学部のそばに生い繁る、とりわけ大きな木々がかたまって生えている空間であり、〈わたし〉がそう呼んでいるブラックホールのような場所のことだ。そしてまたその〈森〉は、〈わたし〉の心のなかにおいては、フレイザーによって記された実際の書物『金枝篇』に登場する「王を焼く森」であり、〈わたし〉が大学生当時に過ごしていた別の大学での濃厚な記憶の〈森〉でもある。
 幾層にも重ねられた存在である〈森〉。その〈森〉を、まだあまり親しみのもてないゼミ生のマリリがはっきりと〈森〉と呼び、それが怖いと訴える。〈彼女はなぜ、あれが森だということに気づいたのだろう。そしてわたしが、あの場所を森だと考えているということに〉。しかしそんな認識の淡い結ぼれを、教師である〈わたし〉は実際のテクスト『金枝篇』に託し、学生に「授業として」あまねく伝えようとする。

学生たちは、アルバイトや人間関係、家庭環境といったことに日々振りまわされながら生きている。創作という、少なからず内面と関わるいとなみが、そうした要因により妨げられる例をこれまでにも見たことがあった。-10

 教える側の内面と、学生側の内面、それぞれが事情を含みながら不安を募らせ接近する時、それが創作という奇妙な糸で結ばれる瞬間、解決に向けての最善となる方法は、その不安を共有できる(信頼できる)既存のテクストに託してお互いを対峙させること。それでしか、その場が「創作学科」として存在することはありえない。
 〈わたし〉はそれを知っている。〈言葉はほかの言葉のなかにあってこそ、言葉なのです〉、〈言葉は鏡であり、母たち、つまり先に生きていた人間から与えられたもの〉。書くことは読むこと、生きることは読むこと。それが、ストレートに現前する瞬間。

 さまざまな想いを抱いて創作学科に入学し、さまざまな興味をもち、さまざまな未来の種をもつ学生。それを受け入れる教師(作家)。けして一つに束ねることのできないそれぞれの不安は、けして一つだけにまとめてはならない。先に在る誰かの言葉、言い換えれば「あまねく提示された、あまねく読者に届けられた既存のテクスト」によってのみ、向き合わせ、あまねく放出させなければならない。そして互いに何かが共振したその瞬間、その時初めて、それぞれの抱く不安を「教育」として昇華させることが可能となる。
 それ以外の過剰な行為は、大学の創作学科というねじれた場においては、すべてそのねじれの生む奇妙で独特な論理のなかに回収されてしまう。

「結局はね、構って欲しいんです。そこはみんな同じです。ただその力が強すぎて、ねじくれている学生というのはいます。関わらないことです。関わりすぎないことです。大事なのはね、考えないことですよ。彼らが何を欲しているか、望んでいるか、考えては駄目です。彼らのことを考えて、考えすぎて、その望むものを差し出すようになったら終わりです。その先には何もない。あなたはあなたがするべきと思うことを、あなた自身の信じることだけを見ていればよろしいのです」わたしは黙っていた。赴任してまもない去年であれば、彼の言葉は不可解だったし、反論したくもなっただろう。学生のことを第一に考えて当然ではないかと。だがいまはわかるように思った。このひともまた学生のことを考えすぎてしまうのだ。まだ大人にはなりきらない彼らに、真正面から相手をして傷ついたことがあるに違いない。とある噂を思い出した。彼が資質を見込んだ女子学生にあれこれと指導していたところ、彼女のほうで廣野に恋愛感情を抱いてしまった。廣野が距離を置くようになると、学生は自殺未遂を起こした――。-11

「だってあなたは、小説なんてものを書くひとなんですから。それとおなじですよ。読者が何を求めているか、望んでいるか。その顔色を窺って、差し出すようになったら先はない。そうなんじゃないですか」その通りだった。-12

 同僚の廣野のそんな言葉にはっと我に返り、既存のテクストによる共有のもと、なんとか創作を教えようと舵をとる〈わたし〉は、創作学科における学生への最善の接近方法を理解してはいるはずなのに、しかし「教えるという行為そのものの不均衡さ」と、その負のスパイラルにしだいに絡め取られてゆく。
 創作を「教えること」「教えられること」は、〈わたし〉の想像をはるかに超えて、あまりにも身体的な「現実」の行為であるのだった。

何かの授業で教授が、大学に入ったからには読んだふりくらいはしないと恥ずかしい本として挙げていたものだ。『言葉と物』という書名は知っていた。むろん読んではいなかった。目頭を擦りながら、読まないとな、と思っていた。彼女の読む本を、読まなければならない。さもないと彼女の話すことについていけなくなるから。-13

わたしはただ池の表面を眺めていた。彼女の言葉が空間を埋め尽くしていく。彼女の考えや経験が、その喉を通って修辞を施され、筋道立った発話となって空気中を満たしていく。自分の書くものがその言葉に似通ってきたと自覚したころ、わたしの不眠は頂点を迎え、喋ることにも食べることにも支障を来すようになった。言葉はあくまで記号であって、身体にはなり得ない。そのくせそれは目の前のひとを通ってやってくるのだった。その身体に触れることを、わたしは許されていない。-14

わたしの読むもの、食べるもの、付き合う友人といったものを、彼女は容赦ない言葉で批判するようになっていた。わたしはわたしの好きだったものをひとつずつ捨てていった。それらに、価値がないと言われた気がしたから。そうして自分が何を好きなのかわからなくなっていった。-15

研究室に着くと、書架を探してフラナリー・オコナーの短篇集を取り出した。懸案の授業テーマについて、ひとつの案が浮かんでいた。オコナーの短篇を読んでディベートを行うというものだ。(略) そこで思いついたのは、嫌いだと感じたほうの学生に「田舎の善人」を擁護させ、好きだと感じた学生に批判させるというディベートだった。好悪はどの程度批評と結びつくのか考え、ひいては批評的言説はどのくらい恣意的になり得るか、身をもって体験してもらう計画だった。よい案と思えたが、しばらくするとひどい自己嫌悪に襲われた。こんなものはグロテスクな心理操作にすぎないのではないか。心理的な人体実験――ここでわたしがやっていることは、すべてそうなのではないか。よかれと思ってしたことも、ただ彼らを消耗させ、ゆがませ、使い尽くしていく。-16

 言葉は鏡であり、世界そのものであり、わたしたちは絶対に「言葉以前」に戻ることはできない。〈言葉以前などというものがあるとすれば、原初の混沌のようなもの。そんなところまで遡れるような学生は、きっといない〉と作中で〈わたし〉が思うように、わたしたちは生きているだけでもつねに言葉を纒わざるをえず、良くも悪くも言葉のなかで死ぬまで溺れつづけざるをえない。

 大学の創作学科という場所は、その言葉の世界が、日常レベルをはるかに超えて高密度となった空間だ。
 まるで気圧を調整できる密閉された実験部屋へ導かれるみたいにして、日々わたしたち学生は講義の行われる教室へと足を踏み入れる。そこでは教師によって言葉の気圧のハンドルが自由に上げ下げされ、学生たちはその急激な言葉の気圧変化に身体の細胞を保つことができず、時に心も身体も無残なまでに破壊される。大学で超高度の言葉の気圧にさらされたあと、わたしたちは低高度の言葉で構成されている自分たちのプライベートに戻る。そんな行き来をくりかえすうち、なかには心も身体も病む者がそう少なくない割合で現れる。
 わたしの周囲にも多数そういうひとたちがいたし、事実わたしもそうだった。

 かつて〈わたし〉が大学生だったころ、〈誰の顔も見たくはないと心底から思っていたころ〉、〈わたし〉には〈彼女〉と呼ぶ大切な人間がひとりいた。創作学科の学生たちと接していると、ふいに〈彼女〉の幻影がいまもなお〈わたし〉の眼前をよぎる。親しい人間であると同時に、優秀な書き手=「〈わたし〉の教育者」でもある〈彼女〉を、大学生だった〈わたし〉は模倣する。どうにかして〈彼女〉に追いつき、〈彼女〉と同じ世界を眺めようと努力する。けれど〈わたし〉はやがて、〈彼女〉によるその超高度な言葉の気圧の世界に負けて、肉体も精神も破壊されてしまう。
 教育的に高密度な言葉を日々注ぎ込まれるというのは、そういうことだ。大人になった〈わたし〉が教師として直面する問題に、過去の〈わたし〉は学生として直面したことがあったのだった。

 〈創作という、少なからず内面とかかわるいとなみ〉。大学で創作を学ぶということを、外の世界の人間は、一体どのようなものだと認識しているのだろうか、そこでは一体何が行われていると想像しているのだろうか。と、ふと思うことがある。

 具体的な話をすれば、世間がいかにも想像しそうな、小説を書く技法を直接的に手取り足取り教えてもらうなどという「創作の授業」は、わたしの時代にはひとつもなかったと言ってもいい。カリキュラムが改革されたいまでも、そんな近道の授業はほぼないと思う。デッサンのように技法を教授すること自体は確かにできないことはない。けれどそれは、美術を学ぶ学生が、いくらデッサンを習得したところで、一枚のオリジナルの絵画はみずから描かねばけして創られないというのと同じことだ。

 むしろそんな教え方はどう考えても構造的に不可能なのに、そういう授業を想定し求めて入学してくる創作学生は少なくない。でもそれは仕方がない。だってわたしたちはあの時、まだ大人でも子どもでも、何者でもなかったのだから。

 創作学科の学生といってもさまざまな人間がいる。
 第一志望に落ちたからと入学する者、創作を熱心に志している者、ほかの文学部と変わらないと思って入学する者、書きたいわけではないけれど、大学生活というかけがえのない日々を少しでも刺激的に、より内面的に味わいたいと思っている者、いずれ「物になりそうな」者、それから入学時点ですでにプロの作家として活動している者。それらのさまざまな状況にある学生たちを同時に、また公平に「教える」には、テクストを介在させた何らかの方法によって、まずは「書くことの果てしなさ」を知ってもらうしかない。「書くことの果てしなさ」に直面した学生たちは、自分は書けないのだと、そこではっと目が醒める。

 書けないことを知ることは、書くことをはじめる大切な最初の一歩である。それを知ってはじめて、自分がそれにしがみつく人間であるのか、振るい落とされる人間であるのかを知る。それが、大学の創作学科というねじれた場所で創作を「教育」する、初手のメソッド。書くことをあきらめてもらう。自分は書けないのだということを、まずは深く知ってもらう。
 創作学科の教師たちのその言葉の裏には、創作それ自体はどうしたってアカデミズムで「学べるもの」「研究できるもの」ではないのだ、という感情が現われ出でている。創作学科の学生だったわたし自身の実感もそうだ。

 というのは端的に、創作という行為それ自体がどうしたって能動的なものとして在らざるをえないからだ。
 読むことは書くこと、書くことは読むこと。受動は能動であり、能動は受動であること。私は他者であり、他者は私であること。創作学科では日々呪文のようにそう唱えられ、またそれらの文言は小学校の教室に貼られた「クラスの目標」の垂れ幕のように掲げられ、それは事実そうなのだけれども、それを承知でさらに飛躍すれば、書くことは書くという行為でしかない瞬間、綺麗事ではない瞬間というのが、その一方では同時に存在している。

 何かを書きはじめるその瞬間、ことに「プロでない者」が書こうと奮い立つその瞬間、書くことは書くという能動的な行為でしかなく、創作学科で創作学生としてしがみつくには、その綺麗事でない瞬間がどうしても立ち上がってくる。そして、超高度気圧の言葉にさらされ、低高度気圧のプライベートに戻る、その濃密で破壊的な行き来により、〈わたし〉も学生たちも暗く深い〈森〉のなかをひたすら彷徨うしか、ほかに呼吸する方法がなくなってしまう。

采野は続けた。「書けば書くほどつらいし、世のなかの嫌なところもどんどん増えていく。前は平気だったものも受けつけない。友だちのこととか、彼氏のこととか……どんどん、ひとりになっていくみたい」最後はか細く、ひとりごとのように言うと、いまは無色透明のレンズが入った瞳に水滴が盛りあがった。けれどもすぐに振り払って、「これでいいんですよね」と言った。彼女は、たぶん自分の意に反して、挑むようにこちらを見た。「いいと、思う」わたしは答えた。「この世がつらいと思うことは、違和感を覚えるっていうのは、……大事なことだと思う。建前を信じられないっていうことは。それは資質があるってことだけど、でも」――でも、そんなにつらいなら、無理しなくていい。そう続けようとしたところで、「よかった」と彼女は微笑み、「先生なら、わかってくれると思ってました」そう言ってワンピースの裾をひらめかせると、風のように教室を出て言った。-17

夏休み前の面談のとき、不幸を追い求めろと言ったわけではない。だが言ったのとおなじことではなかったか。-18

 ゼミ生のなかで〈わたし〉がひそかに「物になるかもしれない」「ほんとうに書くということをこの子は知っている、そこに手が届きかけている」と見込んでいた采野ささらは、夏休みを経てのち、しだいに目に見えて衰弱しはじめる。夏休み前の面談で〈わたし〉から「あなたはもっと書ける」と告げられて、ささらは自分のなかの幸福を犠牲にして能動的に書きはじめる、その行為がささらをみるみるうちに冒していく。

 「書くための孤独を捨ててほしくはない」という〈わたし〉の言葉は、果たして、そもそも〈わたし〉とささらで共有できていたのだろうか。 

かばうように立っていた碓氷鏡太郎が口をひらいた。「幸せになるために、小説を書いてはいけないんでしょうか」先ほどの問いの変奏を、ゆっくりと彼は繰り返した。「先生にとっては書くことは全部で、人生の一大事で、小説のために幸せを犠牲にして、それでいいかもしれないけど、ぼくたちにとってはそうじゃない。ぼくたちはプロの小説家にはならないし、書くことは生活の一部でしかないんです。バイトしたり友だちと遊んだり、そういうののひとつでしかない」-19

 〈わたし〉はいつのまにか、わたしたちを「わたしたち」として、創作学科に包み包まれる教師と学生とを無意識のうちに一つに束ねてしまっていた。
 それはとても残酷でエゴイスティックな認識であると、かつて創作学生だったわたしには感じられて仕方がない。

 プロの書き手である〈わたし〉=教育者と、プロでない書き手である創作学科の学生たち、そのふたつの大きな違いは、そこに「生きた読者がいるかどうか」だ。
 プロの小説は流通という一本の確かな波に乗り、同時代の生きた読者のもとへ届けられる。しかしながら、流通に乗らない・プロでない書き手である創作学科の学生たちの作品には、ゼミの同級生や担当教員以外に生きた読者が存在しない。そもそもの「書く位置」というのが、プロ作家である〈わたし〉と一般人である学生たちとではフェアでないのだ。
 たとえ、「根源的にはどんな小説にも無数の読者がいる」と、いくら哲学的に言われようとも。
 それなのに教育者側は、〈わたしたちは、言葉に携わっていこうとする者だから。少なくともわたしたちは、名前を付けるってことに慎重になる必要があるんじゃないの。だってわたしたちは〉と叫び、それぞれにおいて状況が異なるはずの「書く位置」「書く者としての視点」を、すべてテクスト上においては同一のものとして、無意識に、無遠慮に認識してしまっている。

 創作学科というキメラ的な教育の場においては、虚構と現実に対するあらゆるレベルでの混同が、時にとりかえしのつかない悲劇を生みもする。
 それは時に、何層もの、何次元もの、複雑なハラスメントにもなりうる。

 テクスト論的には確かに、〈わたし〉の認識の仕方は間違ってなどいないのだ。けれど、大学の創作学科において、身体行為をともなった「教育」を行う場合、それはそんな綺麗事ではけして済まされない。大学の創作学科という恐ろしいキメラは、たとえばそんな「作者の死」のような言説すらも、いともかんたんに呑み込み、散々咀嚼したあと、破壊された奇形の物体として吐き出してしまう。

 夢中になって「わたしたち」を説得する〈わたし〉に、「わたしたち」と呼ばれたささらは、「あの、わたしたち、って、誰のことですか」と、衰弱しきった顔で、低く冷たく、そう訊ねる。「読者」の認識の重要性について、同僚の廣野もかつて何度か〈わたし〉に警鐘を鳴らしていた。

 そんな認識の相違の嵐のなか、たったひとりだけ、「読者」とのシンプルな距離の取り方を知っている人間がいた。
 〈わたし〉にとっては一見、小説を書きあぐねていたようだったずる賢い態度の学生・魚住エメル。彼女だけが、「わたしたち」という暴力的な括りと、そして「読者」というものとの距離の測り方を知っていたのだ。

 小説を書くゼミにみずから入ったものの、たったの一度も書いたものを提出しないエメル。それなのに周囲に対してやたらと賢しいことを言い散らかし、時にゼミを荒れさせる。それに苛立つ教師と学生。やがてエメルは、ささらが大学へ来られないのとは少し異なる雰囲気で、大学にほとんどすがたを見せなくなる。最後の課題も提出されない。
 ささらは体調不良ということで課題の未提出を認めたが、エメルはそれには当てはまらないと〈わたし〉は判断し、彼女の様子を伺うメールを送信する。しかし、エメルは〈わたし〉の気づかぬうちに、確かに最後の課題を提出していた。それも、題名も名前も記していない、かなり大部の冊子として。
 彼女の最後のレポートは、〈これは手紙ではありません。〉という文章で書きはじめられている。

なぜなら誰に向かっても差し出されてはいないからです。出さない手紙は届かない。提出しない課題は受け取ってもらえない。大人たちは口を揃えてそんなふうに言うのです。けれど彼らは、世界というものは、一度もわたしに手紙などくれたことはない。-20

読者について先生の言ったこと、何度も考えてみました。言葉は読まれることを欲している、と。そうかもしれません、確かに。でも飽くまでそれは言葉がであって、欲しているのはわたしではない。そして言葉は待つことができます。紙の表面にならんだまま、表紙の内側に収められて。わたしはいつも死んだひとの本ばかり読んできました。ならば死んだひとに宛てて書くのが正しいのではないでしょうか。あるいはまだこの世にいないひとに。いずれにせよ、実在しない誰かに向けて書いてはいけないのでしょうか-21

 エメルの記したその言葉に、〈わたし〉は虚を衝かれる。

このくだりを読んだときに、わたしはどこで間違いを犯したかを知った。台風の来る前の週にエメルに警告を与えたとき、わたしは彼女に言った――作品には読者が必要だ、と。それは学生時代のわたしがもっとも嫌っていた考えだった。どんな読者層を狙うのか考えなければならないと、訳知り顔の人間に言われるたび強い反撥を覚えていたはずだ。読んで欲しい相手がいたとすれば、それはリルケであり、ヴァージニア・ウルフだった。いつの間に変わったのだろうか。大学に勤めて以来、学生たちに課題を出させることに腐心してきた。あれこれの理屈を付けて彼らを説得してきたが、それは単位の認定に必要だからにすぎない。つまり大学がひとつの制度だから。それなのにいつか自分でも、そうした理屈を方便以上のものとして信じてしまっていたのかもしれない。-22

 ひとりだけ書くことから逃げている、と〈わたし〉を含めた周囲から咎められていたエメルは、しかしゼミ生のなかでたったひとり、能動的に、また精力的に、純粋に、大量の〈ノート〉――手記、と呼んでもいいのかもしれないもの――を黙々と書き続けていたのだった。
 ひとりだけ、というのは語弊があるかもしれない。彼女の傍にはいつも、カースト的に不均衡な関係なのだろうと〈わたし〉が勝手に認識していた袴田マリリが居て、彼女をひそかに支えてもいたからだ。
 そしてエメルは、〈わたし〉がおよそ想像できないところで、大学とはべつの、外の世界で力強く生きてもいた。
 彼女のレポートを読めばしだいに明らかになるように、エメルは大学の外の世界で恋愛をし、男と交わり、子どもを妊娠し、ひどい喧嘩を経て別れ、これからひとりでその子どもを育てようとしていた。
 エメルは、これまで書き続けてきた大量のノート=藁の王を〈森〉のなかで焼き尽くし、現実の言葉=犠牲としての生身の王として、外の世界で生きることに目を向けている。

 子どもを生むことは、自分にとっての投企(プロジェ)に当たる、エメルはそう言う。
 一方、〈わたし〉にとってのプロジェは、与えられた幸福のために終始するのでなく、どこにあるかわからない何かのために、みずからを投げ出し、ただひたすらに書くということである。
 エメルと〈わたし〉の世界は表面的には遠く隔たり、まったく異なっている。しかし、ある一点では確かに強く結ばれている。創作という存在が、キメラから逃れ、純粋さを得てふたたびフェアに形を変えたその一点。それはこの小説のなかで、とても重要なことだと思う。

 『藁の王』に対するいくつかの既存の書評のうち、その多くが、ラストでエメルが書く行為を焼き棄てて現実世界で子どもを生むことを選択するのを、「これはあまりよくない」「評価しがたい」としていた。
 けれどかつて『藁の王』の舞台となっていた大学の創作学科の学生だったわたしは、それに異を唱えたい。
 この小説はけしてそういう単純なことを言いたいのではないのだ。エメルが書く行為を棄てて子どもをプロジェとして選ぶという物語のそのルートは、間違いなく彼女の、そして作者のひとつの正解であるのだと、強く強く思うのだ。

 規律的・組織的である大学という場と、あらゆる方法を持ってして言葉と根源的に対峙することを第一に置く創作という行為、そのふたつがねじれ歪んだ空間において合体させられた時、それはあまりにも恐ろしいキメラとなりうる。このnoteの冒頭でわたしはそんなふうに、大学の創作学科という存在を捉え、表現した。そして、書くという行為は、現実的にはあくまで「読む」を超えて、「書く」という能動的な行為であるのだとも。
 逃げても逃げても追いかけて来るキメラの恐ろしい手を、エメルとマリリのふたりは誰よりも強い意志をもってして突き放した。教育者のあずかり知らぬ次元で、彼女たちは自立し、外の世界を生きていた。それはとても美しくて逞しく、何よりも純粋に創作をする人間のすがたであるのだと思う。

 創作学科は確かに創作をする場ではあるけれど、ただそこで溺れもがくだけではけして創作などすることはできない。創作は自己の外の世界からしかできえない。教育者ができるのは、その事実をただシンプルに教え子たちに伝えるだけだ。エメルはそれを体現している。そしてエメルのような学生が生まれてくることこそが、『藁の王』の創作学科がもつべき、なによりの存在価値なのだと。

 嵐のような秋冬を越えて、春、卒業式がやってくる。

構内にはひとが溢れている。艶やかな着物に袴を身につけ、あるいはスーツに身を包み、つるりとした素材のドレスや装飾品に輝く彼女たち、そして彼らは、いまこのときからここには属さない。卒業式の場で証書を授与されるとき、引き替えに学生証を大学へ返す。その瞬間から、学生ではなくなる。わたしにとって、ただの人間となる。(略) 学生証を返還するのは卒業生だけではなかった。退学する者も同様に繋がりを絶っていく。面談にも早い時期に来ていた空穂はすでに籍を置いていなかったが、魚住エメルはこれからだった。午前中の授与式を終え、言葉や花や記念の品を研究室に残していく卒業生たちが去ったあと、扉を叩く音がした。-23

 春の祝福の渦のなか、ひとり静かに休学手続きに訪れるエメルに、わたしはかつての自分を重ねずにはいられない。
 わたし自身は同級生たちとの三月卒業ができずに、ひとり、夏の終わりの日に、かつて〈長机がロの字型に配され〉ていたあの教室で学部の卒業証書をひっそりと受け取った。
 とても暑い日だったのに、入学式以来のスーツを着ていた。三月の卒業式には顔を出していない。しんどいことがあまりにもたくさんあって、学部生活の残り三分の一ほどわたしは完全に不登校だった。その時のわたしは何もかもがだめで、四年も一緒だった同級生たちが一体どんな晴れすがたと笑顔であの学科を旅立って行ったのか、それすらも知ろうとは思えなかった。

 けれど、わたしにもエメルと同様に、創作学科の磁場を逃れてからようやく外の世界で能動的に書き、何かを生むことができるようになった。論文をのぞけば大学の創作学科にいたころに書いたものは小説を二本だけ。そのうちのひとつは苦し紛れの卒業制作だった。
 大学のキメラに追いつかれたくなくて必死で逃れ逃れて、たどり着いた先の外の世界に触れた途端、わたしは能動的に何かを、小説を、文章を、こうして書くことができるようになった。エメルが大学の外の世界で子どもを生んだように、わたしはわたしのプロジェをいま、かつてとは違う視点で見つけることができたのだと思う。

 エメルだけじゃない。この小説に登場する、たくさんの〈幽霊〉たちのことをわたしは心から懐かしく、また愛おしく想うのだった。
 マリリ、ささら、寝屋、式丸、碓氷、それから、名前も付けられていないそのほかの学生たち。彼らはあの大学の創作学科からはもう消えてしまったけれど、しかし、べつの世界を確かにいまも生きているはずなのだ。

 ひとが消える時、それはとてもあっけない。あのひとが消えたと誰かが口にしなければ、誰もそれに気がつくことができない。あのひとが消えた、このひとも消えたと、誰かがくちにする度にわたしたちはそのことに気がつくけれど、しかし同時に自分もまた、誰かのなかでは消えたひとであるのだと思う。
 消えたひとにも物語はある。消えたその理由も、あったりなかったりする。本人は消えたとは思っていないかもしれない。いずれにしろ生きているかぎり、誰だってどこかの世界からは消えつづけなければならない。
 〈幽霊〉というのは、もしかしたらそういう存在なのだろうか。
 創作の世界から、その可能性を一度でも手にした書き手の卵たちがいまこの瞬間も数え切れないほどつぎつぎに消えていくということ。
 それは一体どういうことなのだろう。

 尽くされた〈わたし〉の感情の果てに残るのは、とにかくみんな、みずからの言葉で生きていてほしい。そんなほどけた気持ちなのではないか。と、200枚の物語を閉じて、わたしはただただそう思う。


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磯貝依里

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