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言うは易し行うは難し、証明するのは尚難し。

本当、お久しぶりすぎです。
前回Noteの記事っていつだったかと遡ったら、去年の12月でした😅 

Note書け、とコーチから定期的に言われてたんですが、
次にNoteを書く時は、「復活」した時。
長いトンネルをようやく出れた。そう証明できた時。と決めていました。
というのも、復活しない限り、何を言っても何を書いても、しっくり来ないというか。「何言ってんのお前?」って自問自答してしまうし、つべこべ言わずに、とにかく早くトンネルを抜け出すことにしか、頭も時間もパワーも使えなかったというのが理由です。

というわけで、ようやくNote書く時が来たわけです。

UCI 2.1 Tour de Pyrenees でGC(総合)2位🥈 

そう、数年前に目標は?って聞かれて、「ヨーロッパのUCIレースで表彰台に乗ること」って言ってたことも忘れてたくらい精神的にハードな1年半で、そういえばそうだったなあ🤔なんてコーチからレース後に電話で「俺たちの目標達成したなあ!📞」なんて言われてから思い出しました😅
そんな大きな目標をなんかあんまり心の準備もなく達成して、しかもそれ以外にレース中いろんなことで頭いっぱいで🤯。。。

すごい!すごい!ってたくさんの方々からおめでとうって言って頂いて、なんだか自分よりも皆さんが自分のことのように喜んでこんくれてるのをみて、そっちの方が嬉しかったです☺️


というのも、ロードレースの性質上、絶対的エースじゃない限り、チャンスは突然転がりこんでくるものでして。
私はそんなつもりはなくても、與那嶺恵理のいるところに何か起きないことはなくてですね。そういう星周りなんです💫💫💫
レースの展開や、どうやって2位を獲得したのか、それはそれはいろんな要素や運、タイミングがうまく絡みあって、この結果をうみました。話すと長くなるので、大幅に割愛します✂️(なので、皆さんのご想像にお任せします💭)
でもチームのおかげで、GC2位をキープできたことは間違いありません。
本当に、巡ってきたチャンスを、信じて守ってくれて、感謝しかありません。

Gave it all in Queen stage ⛰

正直、自分でも驚くほど冷静で、驚くほど感動もなく、やったー🙌🏻嬉しいーとかそういう喜び系のそんな爆発的な感情よりも、「心からほっとした😮‍💨」そんな静かな感情が数日経ってしみじみと湧いています。

また、
カレンダー的に、ツールとバトルオブノースという大きなWTステージレースの間に挟まれたカテゴリーの低いレースだったので、全体のレベル的にはワールドツアーには劣るレースで、ピレネーというレースの名前の通り初日のTTT以外は毎日かなりハードなレイアウトだったので、レース展開はもちろんですが、とにかく上れる脚があるかないかで決まるレースだったことも味方してくれました👌🏻


3月からシーズンが始まり、初戦2レースで1ヶ月遅れだけどシーズンインとしては悪くない感覚のコンディションだと感じれていた矢先、今思えばたぶんこの頃3月の下旬頃にコロナに感染していました。
2、3日だけ喉が痛かったのですが、それだけでそれ以外何も症状もなかったので、コロナとも疑わず、そのままトレーニング、レースを続けてもパリッと走れないというか、いつも疲れている感じが、結局春のクラシックシーズ中ずーっと続いていました。
そこで春のクラシックがスケジュール的にひと段落ついたタイミングで、ブースター摂取。
これが最悪でした。。。。。

コロナ感染していたとは気付かずに、1ヶ月以内に感染とワクチンのダブルコンボで、コンディション最悪の4-5月を過ごしていたわけです。
そう、ちょうど手術から半年経過して、同じ手術をした選手もだいたい半年くらいで元通りになるくらいのタイミングで、コロナによる(当初は、原因不明だったのでそれが一番辛かったです😭)撃沈。
みんなからも、手術からのリカバリーがまだ上手くいってないんじゃないかってすごい心配されていました。
レースで会う選手友達からも、たくさん大丈夫か?って声をかけられました🥺

「脚(手術)のせいじゃない。」っていうのは体感的にわかっていても、証明する術もなく、
レース序盤の何も起こっていないスピードですら、呼吸がレッドゾーンで全身の倦怠感。
レース中何もできないことほど、メンタルを削られることはなかったです🥺

おそらく、いつもフォローしてくださってる皆さんも、これは手術の影響なんじゃないかな。と心配してる方も多かったと思います。
全日本選手権で帰った際にも、ものすごい心配されてたのを感じました。

ただ4、5月の絶不調は、脚と手術が原因ではないとわかっていたので、そしてコロナ感染が原因だとわかって1週間完全休養してから6月の頭には、ほぼ完全復活していました。
ですが、レースカレンダーがなく、コンディションが戻ったことを証明する場がなかったところからの、全日本選手権のキャンセル。

今年もとことんツキが回ってこない1年になっちゃったなあ😞ってぶつけるところのないフラストレーションは、トレーニングでしか発散できず。

また、全日本が女子だけキャンセルになってしまった一連の流れも、
私が何も訴えてなかったら、こんなことも起こらなかったのに。
全日本にかけて、1年頑張ってきたのをどうしてくれるんだ。
というような声も聞こえてきました。
ただ、私はチームカーを走らせてください。という正当なお願いをしただけで😓。。。
私からするとチームカーなしでレースをしてパンクやメカトラでレースを落とすことの方が、1年間頑張ってきたのをどうしてくれるんだ🥺になるんです。

言い方とか、やり方とか、みんな仲良く安全にレースしましょう。じゃなくて、
勝つためには、ルール内で考えられる全てのリスク、不可抗力を排除することが、絶対条件なんです。
それは全日本選手権だけじゃなく、世界選手権も、チームで走るレースも、全て。
それをブレずに貫いてきたからこそ、今の私があります。
そして、そんな私を応援してくれるTeam Eriが支えてくれているからこそ、
「ブレずに。」貫いていけることをこの一件で痛感しました。


そもそも自分でコントロールできないことが原因で、自分に不利益が生じたとしても、全てに置いて結果責任は自分にしか帰属しないのが、私が身を置いてる世界で。
共感とか理解をしてもらうのは、とても難しいし、理解してもらおうとも思ってないのですが、
やはり全日本選手権がキャンセルになったことに関して、言われたことや皆さんの反応に関しては、改めてそう感じさせられたのです。
Anyway, 10月に開催してもらえるのを願ってます🤞🏻

今までもキャリアを振り返れば打ちのめされるようなことも、あんなこともあったなあ、こんなこともあったなあ、なんて思い出されます。去年の春先から始まったiliac artery の症状、手術、契約解除、リハビリ、コロナ、全日本キャンセル、マルッと1年くらいは私史上最凶な時期でした。
だからもう最近は何が起こっても、
ああ、またですか。と、さらに私の心に火をつける要因を増やすんですか。😤
ってここまで来るとそういう感覚もおかしくなりますよね😅

そんな中で1年延期された東京オリンピックは、やっぱり私のキャリアの中でハイライトだし、それが最凶ブロックの真ん中にあったり。

もしコロナも手術もなくて、2020年にオリンピックが普通に開催されていたら、いろんな意味でもうお腹いっぱいで、いつでも悔いなく辞めれるんだろうなと思っていました。

ただ、私の性格上、オリンピック延期から始まった最凶(何回でも言うwww)ブロック。
それを忘れれるくらい、そんなこともあったなあって笑い話にできるようになるような良い事を掴み取るまで、やめられないんですよね。
とにかく「終わりよければすべてよし」で全て終わらせないと気が済まないんです。

だから、今、私がキャリアを続けられているのは、ボーナスステージという感覚です。
長く走り続けられるほど、常にこの世界で居場所を作り続けれるほど、簡単な世界じゃないことを実感しているからこそ、いつキャリアが終わっても、後悔しないように、そういう風なメンタリティで過ごすようになりました。特にこの1年は。
たくさん高地合宿をするのも、その一つ。

こんなもんかなーじゃなくて、常にベストを。
ああやっておけば良かったって思いたくないじゃないですか、引退してから。あと5年10年キャリアを続けられる年じゃないですし。
高いレベルでコンディションを保てなければ、引退せざるを得なくなるくらい、今の女子サーキットのレベルは高いんです。
だから稼いで良い家とか良い車買うよりも、高地合宿するのに自己投資して良いリザルト出したいんですよね✌🏻

今日からまたシーズン最後の世界選手権まで、妥協なく良い環境を求めて、Full swing でトレーニングしますよー💪🏻

そして、今までなんでこんな切ったんだろうって傷を見るたびに後悔したこともありましたが、
やっとこの傷跡を認められることができました💪🏻

ちょっと予定より遅くなりましたが、これでやっと、ニューチャプターのスタートです。もう少し、私の波瀾万丈Journeyにお付き合いください😄

This paid off everything I overcame 😄 

👇🏻

全てを力に変えて

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