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「1年越し」のオリンピックの意味

2020年5月だったかな。オリンピックまであと2か月!!なんてところから中止、延期。
1年の延期を経て、ようやくというか、なんとかというか。。。
最後の最後まで本当にあるのかないのかわからないような感じで月日が過ぎて、あと1か月となりました。

今回ここに書いていることは、オリンピックが終わってから書こうか、今書こうか、かなり迷いました。

「1年越しのオリンピック」
母国開催のオリンピックということもあり、それはそれは楽しみにしていましたし、今年の1番の目標であり、ターゲットにしていたというのが今の率直な言葉です。

それは2年前まで遡ります。
2019年6月の全日本選手権で、オリンピック出場はほぼ確実となり、1年後2020年7月のオリンピックに向けて、1年後を見据えたレーススケジュール、トレーニングスケジュールを立てました。
そして、2020年シーズン前のスペインでの乗り込み。マリノくんと一緒にトレーニングさせてもらって、ベース作りは今までで最高の準備ができて、2020年シーズンインを自分史上1番良い状態で迎えました。

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そこでコロナで、全てが一旦ストップしました。
それでも、気を取り直して、オリンピックが無くなった分、照準を合わせて臨んだ世界選手権では21位というベストリザルトを残せました。

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そして、新しいチームとともに1年越しのオリンピックに向けて、
2021年も2020年に遜色ない(いや体感的にはそれ以上の)シーズン前の準備をして、
今年こそは!無くなった一年を取り返すぞ!そんな意気込みで2021年のシーズンを迎えました。

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シーズン初戦のOmloopは、昨年よりも良い感触で、良い位置でレースができている自分が確かにいました。
オフシーズン中のトレーニングが上手くいったことを実感して、良い意味で自信を持ってオリンピックイヤーとなる2021年シーズンを迎えれた、そう思っていました。

ヨーロッパで6シーズン目を迎えて、大体のレーススケジュールの流れや、こうすればこうなる、というのはわかっています。
私の場合、よっぽどの怪我や病気をしない限り、いきなりコンディションが上がったり下がったりはしません。
それが、今シーズンはスタートしてから何かが違っていました。

春のクラシックシーズンは、2月末から4月末まで、毎週土曜か日曜プラス水曜日でほぼコンスタントに丸2か月レースが続きます。
多少の波やコース特性によって、レース結果にばらつきはあったとしても、基本的にシーズン初戦で大体プロトン内での自分の位置が把握できます。
それが、今年は、普通に走れるレースがあったと思えば、翌週のレースは全く走れなくなったり、かと思えばまた走れたり。
もちろん何戦かメカトラで落としたレースもあったのですが、毎レース毎レース謎のコンディションの波に悩まされていました。
言葉で言うと簡単ですが、正直、自分でもどうして良いかわからないくらい原因が分からず、途方にくれて、悩んで、もがいて、苦しんでいました。

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そして、「何か身体がおかしい」そう薄々気づいていました。走れない時は、いきなりプツッとスイッチが切れたように、右脚が動かなくなるんです。

で、それが確信に変わったのが、毎年1番楽しみにしている4月末のアルデンヌクラシックの週でした。
水、日曜、水、日曜と10日間で4レースのレースウィークです。
もちろんいつも通り、しっかりパリッと4レース走りきれるように、準備して調整して、チームのエースをフォローできるように、頑張るぞー💪🏻って臨んだのに。。。
水曜日の2レースは、まあまあ良くもないけど悪くないレースができたのに、日曜のレース2つは、レース序盤でいきなり右脚に力が入らなくなってしまうという症状が出てしまいました。

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コーチにも、チームにも、状況とフィーリングを説明して、何かがおかしいんだけど、その何かがわからない。
そこから、ドクターに行って血液検査、スポーツドクターに行って心肺検査、精密検査から始まり、オーバートレーニングだと診断されて丸々3週間トレーニングを休みました。

ポジションが悪いんじゃないかと、一からポジションを見てもらって、インソールも作ってもらって、カイロプラクターに歪みも診てもらって、一通り考えられる全てのことを検査して、改善しました。
それでも1か月後、5月末のステージレースでまた同じ症状が出てしまい、振り出しに戻りました。

そして、最後の最後の考えられる可能性であった、
“Iliac artery endofibrosis”
というサイクリストに起こりやすい障害の精密検査を6月に入ってから(ちょうど2週間前)にようやく受けることができました。

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(この障害に関してのスペシャリストである、ドクターの予約は常に1か月以上待ちで、やっと受診できたのです。)

そして、ついに3か月の原因不明の不調の原因が、“Iliac artery endofibrosis “だと診断されました。
やっぱりそうだろうな、と薄々は自覚していたんですけど、改めて数値で診断されると、なんだか意外と冷静に受け止めている自分がいました。

手術をすれば、ほぼ100%の確率で元通りのパフォーマンスまで回復することができるのですが、タイミングがタイミングということと、手術自体のリスクの高さから、まずはポジションでの改善という保守的な治療しか今はできないと、ドクターから診断されました。

もうね、なんで今なんだよ!
その一言です。

iliac artery endofibrosis “(詳しくは、こちら👈🏻) とは、
病気や怪我というより、自転車のポジションで何時間も何キロもペダリンすることで、腸骨動脈が閉塞もしくはネジレを起こしてしまい、脚への血流が物理的に阻害されてしまって、高い領域でのパワーを出すと脚が窒息してしまって踏めなくなるという症状です。
ちなみに、誰にでも起こりえるサイクリストの障害で、脚に血流を送る太い動脈なので手術がかなりリスキーなため、よっぽどの場合を除いて手術という選択をドクターはできないということでした。
また手術をした場合は4-6week外でバイクに乗れないので、オリンピックに向けて手術という選択肢はなく、
つまり、ポジションの変更という保守的な治療しか今はできないのです。

ドクターに診断されて2週間が経ちました。
最初の感情は、「あ、やっぱりそうだったか。。。で、なんで今なんだよ」という落胆と、
説明のつかない不調の原因がやっと明らかになってスッキリした感と、これからどうしようか。どうなるんだ私。っていう不安と絶望感と、
いろんな感情が湧いて来て、涙が止まらなくなったり、
いやポジションを変えれば元通りに走れるようになる!っていう根拠のない自信を呼び起こしたりして、
それでもバイクの上に乗ればやっぱり右脚だけが痺れてきて、受け入れがたい現実と対峙しないといけなくて。

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1年前の自分でオリンピックを戦えてたなら、なんてどうしても思ってしまう自分がいます。

そう1年越しのオリンピック、誰も想像しなかったことをみんなが受け入れて、それを1か月後に迎えるのです。
アスリートにとっての、ロード選手にとっての1年というのは、全く同じシーズンはなく、それぞれに違ったアップダウンがあります。上手くいく1年もあれば、まあまあな1年もあれば、不調の1年もあります。
数字でトレーニングを管理してたとしても、パフォーマンスの再現性の難しさは、誰しもがいつも感じていると思います。

オリンピックの1、2年前から始まる選考に向けて調整し準備して、ピークを持ってきて、選考期間にまず照準を合わせた頃(2020年前半シーズン)にコロナで全てがキャンセル、オリンピックも延期からの2020年後半からレースシーンが再スタートして、最終的に選考対象となる期間が2021年前半シーズンとなりました。

ベストオブベストの選手(いわゆる常にトップ10くらい)は別として、毎年コンスタントにいわゆるベストシーズンを送れることはないのです。オリンピック自体にも、特にオリンピック選考に関しては、そのレース、そのシーズンに照準を合わせるために1年、2年単位でトレーニングを組み立て、準備して、それでも上手くいったり行かなかったりを繰り返して、みんながそれぞれベストを尽くして、タイミングよくハマった選手が代表として選考されるという、強豪国の選手にとっては残酷です。

ヨーロッパの強豪国では、2020年に予定通り開催されていれば選考されていたであろう選手が、2021年に延期されたことにより選考されなかったということも起こっていました。
逆も然りで、2020年に開催されていれば選考されていなかっただろう選手が、2021年にコンディションを上げて来て選ばれたということもあります。

そう、アスリートにとって、その1年は二度と戻らないし、二度と再現はできないし、逆に言えば1年で生まれ変わる可能性もあるのです。

私のチームメイトの1人は、2020年後半、世界選手権でも全てのワールドツアーでもコンスタントにアメリカ人の中でベストリザルトを残したにも関わらず、今月初めに発表された選考で代表から外れてしまいました。
もう1人のチームメイトも、2021年前半戦でアメリカ人の中でベストリザルトを残したにも関わらず、外れてしまいました。

4年後、次のオリンピック、
それに向けての選考シーズンで、同じ結果やコンディションを再現できることは、本当にないのです。
年齢も変わるし、予期せぬ怪我があるかもしれないし、コロナみたいな世界が変わる出来事が起こるかもしれないし、その1年は、決して戻ってくることがないのです。

選ばれた選手と選ばれなかった選手は、大袈裟かもしれないですが、天国と地獄です。それがオリンピックです。

そんなオリンピックが、「1年越し」となり、
ギリギリまで開催も危ぶまれ、日本の国民感情を鑑みると両手を上げて、オリンピック🙌🏻という気持ちになれない複雑な気持ちもあり、
正直、私の現状を今伝えるかどうか、かなり迷いました。

オリンピックを目の前にして、今の私に起こっていることを言わないで、スタート地点に立つこともできたと思います。レースの後に、実は....と話すこともできたと思います。
ここまで読んで、走れないなら代表を辞退しろと思う人もいるかもしれません。
走れなかった時の言い訳だと思われるかもしれません。


じゃあなぜ今話したかというと、
この3か月のコンディションの波、その原因がわかった2週間前、ポジションを変えるしかないとドクターから告げられ、考えられる全ての人に相談して、力を借りて、ポジションを変え、チームに状況を説明し、楽しみにしていたジロをスキップする決断をして、
そしてオリンピックに向けた最終調整のために高地合宿に来て、淡々とトレーニングだけして自分と向き合って、
自分とコーチと、周りで力を貸してくれる人とドクターの言うことを信じてみようと思えたからです。

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サイクリスト(プロ)でこの障害が起きる人は約10-20%の割合でいて、診断を受けた90%は手術ではなく、ポジションで改善をするということ。
診断後、ポジションをダイナミックに変更して、私の症状の改善はされてきていること。
しっかりとした休養と調整とメンテナンスを行えばワンデーレースであれば、症状をマネージできること。
いろんな意味でたたでさえ複雑な思いで開催を迎える1年越しのオリンピックをネガティブな感情を抱えたまま迎えたくないこと。
たった1日の1レースのために、ディテールまでこだわって準備してくださった、力を貸してくださった皆さんに嘘をつきたくないこと。

まとめると、全ては自分のエゴかもしれません。
そもそもこの状況で日本でオリンピックを開催すること自体も、アスリートのエゴかもしれません。

今シーズン始めからのコンディションの波と悪さに関して、症状を説明しても全てが言い訳にしか自分自身でも聞こえなくて、そんな自分が嫌になり、
自分が弱いだけだとか、メンタルの問題だとか、トレーニングが足りてない、
じゃあもっとトレーニングをして、ちゃんと休んで、メンタルを強く持とうって自分を奮い立たせては、またダメで。
そんな悪循環をこの3か月繰り返していました。チームにもチームメイトにも、心配させてしまい、迷惑かけてしました。

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基本的に、ネガティブなことは言いたくないし、弱い奴は消えていく世界で、弱音は何の役にも立たないこともわかっています。
いつか良くなる、いつか良くなる。と、もがき続けて、最終的にドクターからの診断で全ての点と点が繋がりました。
トレーニングに問題があったわけでもないし、メンタル、精神的に問題があったわけでもないし、ボディシェイプもオリンピックに向けて順調だし、
唯一問題だったのは、「私の腸骨動脈がねじれちゃってた」ってことだったのです。

1か月後に迫った、1年越しのオリンピックは、私にとって今までの競技生活の集大成にする予定だったし、
2019年から準備して計画的にトレーニングして、空白の2020年のコロナシーズンもサバイブして、ワクワクして、ドキドキして、自分のベストofベストでスタートラインに立って、一生に一度の晴れ舞台にしよう✊🏻そんなはずだったのに、
最後の最後にちょっと自分の予定通りにはいかなくなってしまいました。

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何度も何度も、自分で自分に言いました。
また言います。
「なんで今なんだよ。なんで私なんだよ。」って。

現状、今できるのは保守的な治療法であるポジションの調整だけです。
これで改善できなければ、元のパフォーマンスを取り戻すために手術をする必要があります。(それはオリンピックが終わってから考えます。)

でも1年越しのオリンピックは、日本に、私に、やってくるのです。
じゃあ、やるしかないでしょ。できることを。

正直、応援してくださる皆さん、近くで支えてくださる皆さん、私に関わってくださる皆さんの期待に応えられるような走りができるかどうか、自信がありません。
でも皆さん以上に、私が自分自身に1番期待していました。できる!って。この症状が起きるまでは。
1年以上に及ぶ準備と延期を経て、ようやくその日を前にして、自分自身の期待とは真逆の現状を未だにちゃんと受け入れられない自分がいます。

こんなはずじゃなかった。って何度も何度も頭を抱えて、泣いて、途方に暮れて、それでも根拠のない何かを信じて、最後の1か月のトレーニングを行っています。
できないことをできるようにする時間はもうありません。
できることを120%できるように、できないことを最小限のできない率に抑えるように。
そんなピーキングというよりベストを模索して迎える私の「1年越しのオリンピック」。

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まずは笑顔でスタート地点に立てるように、あと1か月ちょっといつもより頑張ってみます。

全てを力に変えて。
與那嶺恵理

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