映画『サラエボの花』を見た

2006年に、ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を受賞している『サラエボの花』。 

『裸足の季節』を借りるときに、他にも何か見たいと思って、たまたま借りたくらいで、第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件の話なのかな、とか勘違いしてたくらいなのですが、こちらもっと後の話でございました。

1990年代ユーゴスラビア解体のうねりを受けて起きたボスニア紛争を生きた母とその後生まれた娘のお話です。

・・・そもそもユーゴスラビアって聞いたことあるけどなんだったけと、世界史を選択していない私はお恥ずかしながら思ったのですが

かつて南東ヨーロッパのバルカン半島地域に存在した、南スラブ人を主体に合同して成立した国家の枠組み
ユーゴスラビア-Wikipedia

なんですね。

バルカン半島とは、だいたいイタリアとトルコの間の東欧と呼ばれるような地域。

このバルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」って呼ばれてることはなんとなく知っていたのですが、民族的な問題をあまり注視したことがなく、これを機に軽く調べてみたら、まあなんとも複雑・・・なのでここでは詳しく書かないのですが。

映画に関して関係する概要を触れると、一定の期間、バルカン半島はユーゴスラビア(意味は「南スラヴ人の土地」)として、カリスマ独裁者チトーの力を持ってまとまっていたものの、チトー死去後民族運動が高まりはじめ、ユーゴスラビアは解体。

この映画のテーマであるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、その解体していくユーゴスラビアからの独立への動きの中で民族間の利害の対立や主導権争いから勃発したものでありました。

結果的に死者が20万人、難民・避難民が200万人も発生した戦争となってしまいます。

そもそもボスニア・ヘルツェゴビナには主に3つの民族(および宗教)がおります。

・ボシュニク人(もしくはムスリム人とも)【イスラム教徒】
・セルビア人  【セルビア正教徒】
・クロアチア人 【カトリック教徒】

独立運動に際し、それぞれの立場による対立があったわけですな。

ちなみにサッカー日本代表の元監督のイビチャ・オシムがボスニア・ヘルツェゴビナ出身な訳ですが、彼の民族的な背景としては両親がイスラム教徒だったとのこと。
でも、オシム自身は無神論者を自称しているらしい。
その辺の話は以下の本に書かれているようです。

ということで、前置きが長くなりましたが・・・映画の話へ。
(※ネタバレします)

紛争後のボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボに
エスマ(母)とサラ(娘)は2人で暮らしています。

12歳のサラは、母から「父は殉教者(シャヒード)として戦争で死んだ」と聞かされておりました。

エスマの民族的な背景というのは明示されてないのですが、シャヒード(شهيد)っていうのがアラビア語なのでボシュニク人(=イスラム教徒)なのかなと思っております。

ちなみにこの地域のイスラム教徒は戒律に対して結構ゆるいらしくヒジャブを被ったりせず、飲酒・豚肉OKと考えている人も多いらしい。

サラの学校で修学旅行があり、そのための費用がシャヒードの遺児であれば免除されるはずが、母・エスマは「死体が見つかっていないから証明書がなかなか発行できない」と言い、ナイトクラブで働いたり、それでもお金が足らず同僚に助けてもらうなど、どうにか修学旅行費を捻出します。

しかし、そんな母の姿やなぜ証明書が発行されないのかということに疑問を持ち始めた娘サラが銃を片手に問い詰めると、エスマは実の父親のことを白状します。

それは、サラの父親はシャヒードではないということ。

そして、サラはエスマが収容所で敵の兵士にレイプされて身ごもった子どもであったということでした。

女性に対する性的暴力というのは戦争においてしばしば問題として浮上してくるものですが、実際ボスニア紛争の際にも「民族浄化」(!)という名目のもとで女性(特にムスリム人)へのレイプが組織的に行われたとのこと。

エスマは、女性セラピーの場でもそのことを告白します。

そして言うのでした、「産まれてくるのを怖れていた自分の子どもを抱いた時、こんなに美しいものがこの世の中にあったのかと感じた」ということを。

ということで、紛争時の市民の痛みとその後に未だ残る苦々しさを描いている映画です。

是枝裕和さんも「小さな物語をこれからも発信していく」と言っていたけれど、こういった社会の影響の中で生きる一個人の小さな話を描いた映画っていうのは結構好き。

映画自体がすごく面白くてオススメという感じではないけど、旧ユーゴのことを色々考えるきっかけになるのでぜひ見てみてほしいという感じです。


話は変わるが、旧ユーゴスラビア関連の話で最近あったニュース。これまた民族問題に関わる話なのですが。

夏行われていたW杯にて、対セルビア戦でスイス代表のシャキリがゴールを奪った後、

ワシのハンドマークを作って会場を駆け回ったニュースがありました。

私は生放送でこのシーンを見ていて、あのポーズはなんだと思っていたのですが、なかなか深い事情があるようでして。

実はシャキリというのは【アルバニア】系の方で、【コソボ】出身なんですな。

【コソボ】っていうのは、バルカン半島の真ん中あたりにある地域でして、独立した国かどうかというのは現状曖昧な状態になっております。

というのは、もともと<セルビア>人が多数派の<セルビア>という国の一部だったのだけど、【コソボ】には【アルバニア】人が多くいて、言語的にも全く違うわけですね。(ただし、セルビアから自治州として認められていた)

1990年代、<セルビア>【コソボ】の自治権を縮小しようとしたことで、コソボ内の【アルバニア】系住民が反発。

そこで武力紛争が起こり、2002年には【コソボ】が独立宣言をしたものの<セルビア>を始め数カ国がその独立を承認せず、曖昧な状態となっているわけです。

(↓グーグルマップ上でも破線になってる)

さっきも書いたように、シャキリはスイス代表ではありますが、【コソボ】出身の【アルバニア】系。ちなみに、紛争で家族が居場所を失った結果移民としてスイスに渡ってきたとのこと。アイデンティティは、【コソボ】にある、というようなことが上記の記事内でも書かれています。

肝心のワシのマークとは何かというと、【アルバニア】の国旗に2頭の鷲が描かれてるんですね。

この時対戦したのは、【アルバニア】系の多い【コソボ】の独立を認めない<セルビア>。そんなセルビアに対する挑発とも受け取れるようなハンドマークだったわけです・・・

この行為に対してFIFAは反スポーツ的行為だとして罰金処分を科しています。

なんてことが最近のニュースでも上がってくるように、この旧ユーゴスラビア周辺の民族問題っていうのはまだまだ解決したとはいえない問題と言えるのでしょう。

今までこの地域周辺については、ほとんど知らなかったので興味が湧きました。

ちなみに戦争の傷跡は街中に見受けられるらしいですが、現状治安的には問題ない地域が多いようで。この間平和学の専門家の講義みたいなのを受けにいった時にいた生徒さんも夏休みでコソボに行くって言ってました。

なので、私もぜひとも旧ユーゴスラビア行きたいという気持ちが湧いてきた。もう少し勉強してからがいいけども。

街並み的にもキリスト教的建築もあれば、イスラム教的な東洋を感じるような街並みもそのすぐ近くにあるらしく。結構魅力的な場所のようだ。

行きたい場所がどんどん増えてくな・・・

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