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平野紫耀くんをルーブル美術館に飾ろう

盂蘭盆がすぎて、めっきり涼しくなったような気がする。

蝉の鳴き声が変わり、突き刺すような日差しは鋭さを失った。向日葵は花弁を枯らし、吹き抜ける風はどこか肌寒くなった。夏の終わり、それは秋の気配とともに少しずつわたしたちに近づいてくる。そう、映画「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」の公開日である。

デビュー発表会見から早一年半。平野紫耀は、もはや恋愛漫画のヒーロー役が代名詞になったと言っても過言ではない。デビュー前に撮影に入った「honey」にはじまり、デビュー後初主演作となる「ういらぶ。」、そしてここに来て三作目が「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」。

これまで福士蒼汰、山崎賢人というあまたの若手イケメン俳優たちが少女漫画のヒーロー役を完璧に忠実に演じきり溢れんばかりに黄色い声援を浴びてきたけれど、彼もまた、イケメン俳優の先輩たちが敷いて走ってきたレールの上を、同じように走り出したように思う。
令和の時代、次世代を担う新たなイケメンヒーローは、もしかすると名古屋が産んだスーパー天使ちゃんなのかもしれない。

 

ただ、わたしもさすがにバカではないので、その程度のことはもちろん想定の範囲内だった。

デビュー組ということを嫌でも顕著に思い知らされた「ういらぶ。」での怒涛のプロモーション活動×ありとあらゆる媒体を駆使してキャスト陣が宣伝に明け暮れた「ニセコイ」と同じ東宝バック。この計算式が、〝公開日前後に平野紫耀を見ない日はまるでない〟という正解を導きだすことなんて、日を見るより明らかだった。だから、そう、つまりはわたしがあまりにも呑気すぎただけなのだ。

軽い気持ちで書店に足を踏み入れ、安易に雑誌コーナーを覗き込んでしまった。それが迂闊だった。そこに並び飾られた雑誌たちがわたしに向かって勢いよく振りかざしてくる、圧倒的な美の暴力。「平野紫耀」という、この世で最も美しい四字熟語に、造形美をそのまま体現したような彼の顔面が飛び込んできた。

時が止まったんだと思った、まるで貼りつけられたように足は地面から動かすことができなくなり、思わず「はあ」と声にすらならないため息が漏れた。バッグを落としそうになったのをギリギリの意識でなんとか持ち堪える。

学生時代、「女子とはほとんどしゃべったことない」とはにかみながら言っていた微笑ましいほどウブなエピソードは、〝彼の素顔が実はメデューサであったという神話に基づく〟と先日つぶやいたけれど、紀○国屋の真ん中で一ミリも逸れることなく真っ直ぐにこちらを見つめてくる彼を前にしたオタクは、さしずめメデューサによって石へと変えられた愚かな人間に他ならない。そしてもちろんそのときのわたしは例に漏れない。

 

なんというか、美しさに魅せられて動くことすら忘れてしまうし、平面だろうがなんだろうか、彼の美しいお顔を前にして深呼吸しておけばなんとなく空気がおいしいような気さえすれ。でも、だってそんなのきっと錯覚なんかじゃない。それはきっとまっぼーろしじゃない(@二宮和也)

それはまるで、一瞬にして「平野紫耀」という名の宮殿に招き入れられたような心地だった。
この世で手に入れられる、贅の限りを尽くしたような美の宮殿。どの位置から、どの角度から見ても見渡す限りの豪華絢爛。その宮殿なら庭に生えた雑草も、柱にかぶった埃も、なにもかもすべてが高貴なもののように思えてくるから不思議だ。

ルーブル美術館に飾られた名だたる絵画の数々やグランドキャニオンから見下ろす雄大な絶景なんて、もはや神がこの世に産み落とした「平野紫耀」という森羅万象を凌駕する奇跡のような美にはとても敵いっこないというわけだ。

 

そこで我に返ってはっとした。ファンタジーのような世界から、やっと現実に戻ってくる。それでも目の前の美には変わらず圧倒されたままで、わたしはゆっくりと雑誌のそばに近づいてみる。遠巻きに見ていても美しいのに、間近で見ても美しい。神々しいほどの光を放っているのでは。これってなんて素晴らしい美の結晶なのかとくらくらする。

肉食動物のような獰猛さを孕みながら、草食動物のような繊細さすら携える。彼はいったい何者なんだ。わたしは問う。わたしのなかの誰かが優しく答える。
〝彼は何者でもない、ただの名古屋が産んだスーパー天使ちゃん「平野紫耀」ですよ〟

 

そして、わたしはその圧倒的な美をお手軽に腕に抱え、いつの間にかレジへと並んでいる。現実に帰ってきたつもりなのに、またいつのまにかファンタジーの世界に舞い戻っている。恐ろしい。いまクレジットカードを差し出しているこの瞬間すら、もしかしたらファンタジーなのかもしれない、なんて途方もないことを考えながら、わたしはずっしりした荷物を抱え、すごすごと紀伊○屋を後にする。

 

それが夏の終わり、秋の気配が近づいてきたある日の仕事帰りにわたしがみた夢の話である。

 

それにしても何の気なしに書店にうっかり立ち寄ったがために訪れたこの儀式。彼の主演映画が皮切りになるたびに、盛大な雑誌祭りが開催されるたびに、厳かに執り行われることになるのかと思うと正直しんどい、身体が持たない。
この暴力にわたしは何度も屈してしまうのか、脅威だ、大変な脅威だ、そんなのあっという間にKOするしかない、一発KOである。何年経ってもいくつになっても、彼は圧倒的な美と肉食動物と草食動物な一面を繰り返し繰り返しわたしたちに見せつけながら、その腰につけたチャンピオンベルトをきっと永遠に譲ってはくれない。

 

ああ、これはとってもしんどい。

 

ここまで長々と書き連ねてきて、ふと思う。夜道を歩きながら、このどうしようもないとりとめのない思いの丈を、一言で表す素晴らしいフレーズがふと浮かんだ。

 

「しんどい。」

そう、ダラダラとまとまらない文章をここまで延々と文字に起こしてきた結果、この四文字以上に最適な言葉など存在しないということ気づいたのだ。では、ここまで盛大にのらりくらりと道をそれまくってきたこの文章はいったいなんだったのだ。わたしは問う。必死に問う。けれどもさすがに、この疑問に対して答えてはくれるひとは誰もいなかった。

#kingandprince

#平野紫耀

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