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「そこに、君の死体が埋まっている」第6話 誰

 あの頃から六年も経っている。それも、小学五年生から高校二年生という成長期の真っ只中。まだまだ身長は伸びている。体つきや声も大人へと成長している。別人と思われてもおかしくないほどに変わっているのだから、違うのは当たり前のことだ。その過程で、黒子が薄くなった可能性もなくはない。黒子なんて手術で消すことができる。でも、それでも、これは違う。
 俺は、違うと思った。そう、感じた。理由はわからない。ただ、違う。そう感じた。よく似た別人。彼のふりをしている偽物だと思った。

「何するんだよ」
「それは、こっちのセリフだ……!! お前、誰だ」

 突き飛ばした堀とは違う誰かの体は、背中から個室の壁に激突して、ずるりと床に落ちる。真新しいオールナットの木目調に加工されていた壁は、その衝撃で少し凹んでいた。

「誰って、何言ってるんだよ。堀だよ。堀龍起。君のクラスメイト。君の恋人」
「違う!! お前は違う!! 堀は……堀龍起は————」

 そもそも、恋人ではない。俺は一方的に、何もわからないまま犯されて、脅された被害者だ。したくもないことを無理やりされて、無理やり言わされて、勝手に写真と動画を撮られて……まだ性にも目覚めていなかった俺の体も、心もめちゃくちゃにされた。イジメだなんて生ぬるい言葉じゃ済まされない。明確な性的暴行を受けた。
 あの頃の俺は今よりずっと子供で、自分が何をされているのかわからなかった。彼に触れられる度、自分の体が自分のものではなくなっていくという恐怖に怯えていただけだった。だからこそ、今ならわかる。今俺の目の前にいるのは、別人だ。彼じゃない。堀龍起ではない。

「————俺が殺した……生きているわけがないんだ……!!」

 その時、俺は初めて自分のしたことを口にした。六年間、誰にも言えずにいた事実。人を殺した。同級生を殺した。自分をおもちゃにする悪魔のような奴を、叩いて叩いて叩いて叩いて……動かなくなるまで叩いて、殺して埋めた。自分を守るために、殺した。殺したんだ。見間違えるはずがない。あんなに深く掘って、埋めたんだ。死んでいた。指先一つも動かずに死んだ。目を見開いたまま死んでいた。
 それなのになんだ。どうして、お前は生きている。堀龍起に似た顔で、同じ笑い方をして、この町で生きている。こんなのおかしい。ありえない。

「変なの。殺したくせに、なんで君は泣いているの?」
「は……? 泣いてなんか————」

 言われて初めて気がついた。さっきから視界が歪んでいるのは、いつの間にか流れていた涙のせいだ。どうして、泣いてるんだ、俺は。わからない。何がなんだかわからない。もう、わからない。

「泣かないで、理くん。大丈夫だから」
「何が……?」

 もうこいつが何を言っているのかも理解できなかった。頭も心もぐちゃぐちゃなって、まともではいられなかった。立っていられなくて、俺は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。ずっと蓋をして隠していたものを吐き出してしまった反動だったのかもしれない。身体中の血が沸騰しているかのように血が上ったのか、頭が痛い。わからない。どうしたらいいかわからない。呼吸もおかしい。息って、どうやって吸うんだっけ……

「————君はちゃんと殺したよ。そして、あの山に埋めた。大丈夫、彼は死んだ。君が殺した。堀龍起を、君はちゃんと殺した」

 それなら、お前は誰なんだよ。

「大丈夫。理くん。今は僕が堀龍起だから、ちゃんと愛してあげるから。ねぇ、泣かないで……?」
「今は……?」

 涙を拭って、わけのわからない事をほざいているそいつを見る。そいつは堀龍起の形をしていなかった。人間の形をなしていなかった。泥のように溶けて、潰したトマトのように弾けて、飛び散った。

 * * *

「え……?」

 気がつくと、俺は自分の部屋の布団の上にいた。目玉のような木目の天井板がこちらを見下ろし、天井照明の紐スイッチにくくりつけた延長コードの先にいる梟が揺れている。できたばかりのアミューズメント施設の、綺麗すぎる男子トイレにいたはずなのに、どういうことか全く理解ができなかった。
 上体を起こして、壁にかかっている時計を見ると、午後四時を過ぎたところだった。俺のスマホが母が子供の頃に使っていた、古くて重い学習机の上にあるのを見つけて、確認すると日付は変わっていない。

「夢……? いや、そんな、まさか……」

 どこからどこまでが夢だったのかわからない。頭が重くて、背中にはびっしょりと汗をかいていた。とりあえず状況を把握しようと、部屋を出て居間に行くと、祖母が婦人会の集まりに行く準備をしている最中だった。

「理、もう体は大丈夫かい?」
「ばあちゃん、俺、どうやって帰ってきたんだ?」
「ああ、それはねぇ……」

 やはり俺は、あのアミューズメント施設には行っていた。俺を家に送り届けてくれたのは、クラスメイトの男子二人。歓迎会の主役である俺がなかなか戻ってこないのを心配して、トイレに探しに行くと、洗面台の前に倒れていたらしい。それも、ものすごい高熱で……
 救急車を呼ぼうとしたが、たまたまそこに遊びに来ていた医師と遭遇。その医師の判断で、ただの風邪だろうとタクシーで俺を運んだそうだ。歓迎会は当然ながらお開きとなった。

「もうびっくりしたわよ。体調が悪いなら、無理して遊びに出たりしちゃだめでしょう? もう高校生なんだから、体調の管理くらい自分でできるようにならないと……」
「それで、俺を運んでくれたその二人って、名前は……?」
「ああ、◼︎◼︎くんと◼︎くんよ。◼︎◼︎くんは、理が前にこっちにいた頃、うちのすぐそばの家に住んでたわよねぇ。あそこの奥さんとは、婦人会でよく会うのよ。今日も会合に来るだろうから、お礼を言っておかなきゃね」

 名前を聞いても、顔は全然一致しなかった。それどころか、名前もはっきりと聞き取れていないせいで、祖母が何て言ったのかもわからない。そんなことより、何より気になったのは……————

「それより、どうしてあんなに汚したの? あそこは新しい施設でしょう? 泥遊びなんてする場所があるの?」

 祖母はそう言って、俺が着ていた服を指差した。まるで舗装されていない道路の水たまりの上を走る車の飛沫を思い切り浴びたかのように、泥だらけの服が洗濯機の前に新聞紙が敷かれ、その上に雑に置かれている。

「泥だらけで、このまま洗濯機に入れたら壊れちゃいそうだから……外で一度手洗いしなさいね。そこにあるたらいを使っていいから。まったく、小学生じゃないんだから、こんなに泥んこにして……」

 祖母はそう言い残して、婦人会の会合に行ってしまった。一人残された俺は、その泥を見て鮮明にあいつが弾けた瞬間を思い出して、震える。何が起きているのかわからない。あの堀はどうなった? 俺はちゃんと堀龍起を殺して埋めたと言っていた。「今は僕が堀龍起だから」とも……
 わけがわからない。それなら、なんで弾け飛んだ。あれはなんだ。この汚れはなんだ。

「————確かめないと……」

 彼が埋まっているか、自分の目で確かめないと————

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