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精神病院には、未来の自分がいる

72歳の父が脳梗塞で倒れ、
高次脳機能障害から認知症になった。
それで、僕は奈良の精神病院に通っている。


精神病院は初めての体験だった。
叫ぶ人、床に寝転ぶ人、不思議な会話をする人。
こんな別世界が日常のすぐそばにあったなんて。
知ってることと、体験することの乖離を思い知る。

こんな世界を当事者に近い感覚で体験できたのは
ほんとうにありがたい機会だった。
頭脳明晰だった父が変わっていく姿。
人が、自分のことを自由に判断できる時間は、
人生の限られた一時期でしかないのだと知った。

僕が遅かれ早かれいつか失うもの。
必ず僕の人生に訪れる出来事。
オシャレを失う、判断能力を失う、
言葉を失う、理性を失う、
行動の自由を失う、健康状態を失う、
友達や社会的名誉や記憶を失う。

失い続ける人生のステージで、
どうすれば、僕は高い幸福感を持ち続けられるのか?
これは僕がずっと興味をもっていたテーマだった。


この場所では、僕が人生で得てきた数々が
蜃気楼のように思えてくる。
何かを得たのなら、返すこともまた自然なのだと。
僕は、この失うプロセスを肯定できるだろうか。

そして、言動が変わっても父は父である。
どんな姿になっても消えない関係性。
僕自身も、子どもたちにそう思われるだろう。

自分がどんな状態になったとしても、
変わらずに見てくれる人がいること。
それは僕自身の奥底から漏れだす光のように思える。

はじめまして。動画編集マーケターの淺田雅人です。 noteでは、多くの人に役立つ知識や、自分の体を使ったチャレンジなどを通して、新しい日常世界をお伝えして行きたいと思っています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎