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Traveler's Voice #4|長松久美

Traveler's Voice について

Traveler's Voice は特別招待ゲストの方からエスパシオに泊まった感想をインタビューし、読者のもとへ届ける連載記事です。この企画の目的は”自分ではない誰か”の体験を通して、エスパシオを多角的に知っていただきながら、ゲストが日頃行っている活動を紹介するふたつの側面を持っています。ご存じの方も多いと思いますが、エスパシオは「いつか立派な観光ホテルになる」と心に誓った山口市にあるラブホテルです。この先どんなホテルに育っていくのか、まだ出発地点に立ったばかりですが、この企画を通してゲストの過ごし方や価値観を知り、計画にフィードバックしたいと考えています。インタビュアー、執筆、カメラマンを務めるのは「エスパシオ観光ホテル化計画・OVEL」を進めているプロデューサーの荒木です。それではインタビューをお楽しみください。    


ゲスト紹介

Traveler's Voice 第4回目のゲストは島根県隠岐諸島にある海士町で働く長松久美さんです。長松さんは2009年から観光業に携わり、ローカルなコミュニティ活動から「隠岐ユネスコ世界ジオパーク・泊まれる拠点」であるEntôの運営に関わってきました。現在は休暇を利用して山口市の洞春寺に滞在しており、お寺で偶然出会ったご縁でこの企画に参加していただくことになりました。離島での街づくり暦15年のエキスパートの目には、エスパシオはどのように映り込むのでしょうか。


長松さんが泊まったお部屋紹介

長松さんに宿泊していただいたお部屋は302号室です。広いツインベッドルームで、黄色に包まれながらゆったり過ごせるラージサイズのお部屋です。ベッド側の窓からはテニスコートのアートが見え、南側の大きな窓からは、カーテンにディフューズされたやわらかな光が差し込み、心地よい時間を演出します。

6人で囲めるおおきなソファスペース
ダブルベッドサイズのツインベッドルーム

インタビュー

Araki:おはようございます。久美さんと同じ香川県出身のサニーデイ・サービスを聴きながら、まったりとインタビューをはじめますね。山口では洞春寺に泊まることが多いようですが、久しぶりのホテルステイはいかがでしたか。

Nagamatsu:今もまだ寛いでいます 笑。こう言う時間だったらあと8時間くらい過ごせますね。日が昇っている時間に部屋でだらだらするのはお休み感があって好きです。わたしリラックスに貪欲なので 笑。なかでもベッドとスピーカーが最高でした。ベッドではクッションを抱きしめて横たわっているだけでかなり高い幸福感があります、もうセックスなんて必要ないんじゃないかと思うくらいに 笑。あと、窓から見えるテニスコートの「0・ゼロ」のアートも好きです。好きな音楽を聴きながら窓を開けてゼロを見ている時間がよかったです。それと、私はいま洞春寺に滞在しているんですけど、ホテルはどうしたってセキュリティが高いが故の寂しさがありますよね、洞春寺には常に人の気配や物音があって、それはそれで私にとって癒しになっていたことに気付く瞬間でもありました。

超リラックス

Araki:なるほど、たしかに目的が違えばだれかの家に泊まる方が癒しになるのかもしれませんね。ホテルの特徴であるセキュリティも良し悪しがありますね。寝心地と音響を気に入ってもらえたことは嬉しいです。みなさん見た目のことを褒める人が多いんですけど、居心地は視覚情報に納まらないと常々考えているので、嬉しいです。みんな同じ感想に偏りがちなので、久美さんはそこを超えてくれるんじゃないかと期待していました 笑。

Nagamatsu:みんな違う生活してるのに同じ感想ばかりなんですね。でもそれはコントロールが効いているとも言えるし快適性に求めることが画一的であることの表れかもしれません。だって、窓について思うことってみんな同じなんじゃないかなあ。あえて違う感想が出てくる人を想像すると、例えば宿泊した人が社会から逃げまとう犯罪者だとして、その人にとっては大きな窓があることが恐怖でしかないし、土の上に住んでいる人が宿泊者だったら、足の裏が刺激されなくて不安だったとか、どこに立っているのか分からなくて落ち着かなかったとか、違った感想がききだせるのかも 笑。でもそうはならないことに意味があるような気がします。心地よさを追求した空間は「心地いい」という感想を超えれないし、超える必要はないと思います。

Araki:面白いですね、マジョリティの画一的な価値にレスポンスする意味は確かにそこにありますね。今はどこの国に行ってもソファ、ベッド、浴槽、トイレ、洗面器など、インテリアに関わるすべてのものがヨーロッパ由来の思考で作られていて、それが快適性のベースになっています。だから快適性を追求すれば同じような答えに行き着き、それは不特定多数の人を受け入れるホテルにとっては大切なことなんでしょうね。だとすると個性はどのように表現すればよいと考えていますか。

Nagamatsu:問いを立てて答えをもとめようとするのではなく、作り手がどうしたいかによるんじゃないかな。そして、そのやりたいことをどうビジネスにできるかという順序で考えればよいと思います。もし驚かせたいのであれば奇抜なアーティストに頼めばいいし、不特定多数に向けた快適性をつくりたいのであれば今の方法で良いだろうし、個性って向かうベクトルの試行錯誤の先に自然と表れてくるものだと思います。

シモーナとバルコニーライフ

Araki:そうですね、まずベクトルを決めて、そこから進むための手段を考えないと個性は表れないのかもしれませんね。とまあ、話が一気に深く潜り込んでしまったのですが、少し浮上しますね 笑。久美さんは洞春寺によく来ているそうですが、きっかけは何ですか。

Nagamatsu:もう20年前の京都での大学時代になりますが、旅行先のギリシャで深野さん(洞春寺の住職)と出会い、そこから今に至るまでずっと仲良くしています。彼が京都の南禅寺で修行しているころからの付き合いで、今は洞春寺で住職をされているので、わたしの訪問先も自然と山口になりました。人生は冒険なので、あれこれ興味があることにチャレンジしているのですが、ふと気がついたら性格が悪くなっていたり、自分に異変を感じる瞬間があります。そんなときに自分の状態を確かめる手段として深野さんをあるいは洞春寺をリトマス試験紙のようにして自分と向き合う時間をつくっています 笑。今はそのために洞春寺に来ています。

Araki:なるほど、そういう場所や人はだれにとっても必要なのかもしれませんね。洞春寺のほかにも久美さんにとってのリトマス試験紙はあるんですか。

Nagamatsu:昔から山下清のような放浪癖があって、東京やパラオに住んでいたこともあるんですが、私にとってのリトマス試験紙は今のところ、山口、隠岐の島、小豆島です。放浪中にうっかりブラック企業に入ってしまったり、向いていない職業についてしまったり、置かれた環境によって人は変わってしまうので、その度にリトマス試験紙を求めて移動しています 笑。

Araki:放浪癖 笑。その3拠点のなかでも山口は余暇を過ごすために来ているようですが、隠岐の島や小豆島ではどんな活動をされているのですか。

Nagamatsu:小豆島は私が育った街でもあるのでいろいろ関わりは深いのですが、観光協会にいたりパン屋で働いたりしてました。好きなことには無我夢中になるので、気がついたら発酵とか興味なかったのにペットのように天然酵母にえさやりして悦んでました 笑。隠岐の島との出会いは、東京でCM制作のデザインをしていた時期があって、その生活にほとほと疲れたときに、観光協会の求人記事にたまたま行き当たり、まあ気がついたら流れるままに隠岐にたどりついてました。それが2009年のことです。当時は隠岐にIターンはそこまで多くなくて、プロジェクトの数もすくなくて、手探りで身の丈サイズのまちづくりに励んでました。色んな職業に就いてみて分かったことは、わたしは日々をハッピーに過ごしたいだけなので、教育や啓蒙ではなく、何でも遊び化できる「観光」が向いているのかもしれません。

清々しい風がふきこむリビング

Araki:自由に生きていますねえ、シンパシーを感じます 笑。観光という言葉がでてきましたが、エスパシオも「観光ホテル化計画」というプロジェクトを進めています。あえて古い「観光ホテル」と名付けた理由は、観光についてちゃんと向き合いたいという思いがあるからです。ぼくの言う観光と久美さんが考える観光は同じことでしょうか。

Nagamatsu:山口にきて頭が完全にオフモードになっているので、ちょっと待ってくださいね 笑。えーっとですね、生活、自然、住んでいる人の方言とか、そういうものをプロデュースするでもなく、磨くでもなく、、、そうそう、唐突ですが、たとえば論文って面白くても誰も読まないけど、それを小説にすればみんなが読んでくれるじゃないですか。サインコサインタンジェントだって、星と星の距離を測るために考えたんだと言えばみんなが興味を持ってくれるし、なにより忘れないじゃないですか。わたしにとっての観光はそういうもので、あった道がなくなったり、過疎が進んでしまったり、それは食べ物が土に還るようなものだから、ある意味しかたがないんだけど、「こういう食べ物だった」という記憶は残しておきたいんです。記録ではなく「記憶」です。メディアが来れば記録されるけど、記録するに値しない些細な出来事を「記憶」として残すことがなくなっちゃうと寂しいじゃないですか。「記憶」の入れ物は人だから、とにかく人がきてくれないと困る。それがわたしにとっての観光です。

Araki:ちょっと感動しました。久美さんの考える観光はやさしさとおもいやりでできていますね、素晴らしいです。その想いを反映するためにどのような取り組みをされているのでしょうか。

Nagamatsu:ものごとを捉えるときに気を付けていることは、ひとつの価値観で切り取ることでこぼれ落ちてしまうものがあります。そのことに目を向けることだと思っています。つまり行間が大切なんです。山、歴史、寺、カフェ、美味しい料理はどこにでもあるから、差異はそこにいる人だけ、だから人に会いに来てもらおうというのが最初のコンセプトでした。それはいまでも変わっていないと思います。それが個性と向き合うことだと考えています。そこで重要になるのが、どれだけ本音で話し合えるかという観点です。愛想笑いのような表面的なコミュニケーションの奥に個性があると実感しています。

Araki:結局、大切なのは人だというのは真理かもしれませんね、同じようなことをアマンのゼッカも言っていたことを思い出しました。では隠岐の島についてもう少し掘り下げたいので、海士町に突如現れた宿泊施設「Entô」についても教えてください。

Nagamatsu:Entôはマリンポートホテル海士の運営が民間に引き渡されることになって、コンセプトワークからみんなで考え直してリニューアルしたホテルです。フェリーターミナルにあった観光協会時代からの「宿がなければ滞在時間が短くなり素通りされてしまう」という課題を問題にしないための取り組みの一貫でもありました。開業はコロナ禍まっさかりの2021年7月です。ホテルの建築コンセプトのひとつは「自然の額縁になること」です。普段見慣れた景色でもフレーミングすることで新しい眼差しを向けてくれるし、鑑賞者としての意識が生まれます。そのことで、ジオパークを作品のように眺めることができるホテルになっていると思います。

ゼロを眺める時間

Araki:自然の額縁になるって素敵なコンセプトですね。コミュニケーションを大切にするホテルが数ある中で、Entôがラグジュアリーという選択をしたことに興味をもっています。というのも「エスパシオ観光ホテル化計画・OVEL」でも価格設定に悩んでいて、ビジネスとして考えれば高級化は避けれない一方で、高級化することの弊害もあるような気がしています。そのあたりをどのように考えていますか。

Nagamatsu:仰ることの意味はよくわかります。わたしたちの活動はホテルだけではないので、Entôはひとつの要素として捉えています。街の人と外からやってくる方の両者に目を向けて取り組むようにしています。そしてなにより、ここは世界遺産ではなくジオパークなので「人が関わり変化していく」ことが前提になっています。だからラグジュアリーという言葉で囲い込んで非日常にしてしまうことだけは避ける必要があって、どこまでラグジュアリーな居心地を取り入れるべきか、今も状況を観察しながら運営するようにしています。

Araki:ホテルを守るために高級化するのはしかたないけど、そのことでこぼれ落ちたり崩れてしまう関係性があることは悩ましい問題ですね。ホテルに限らずいろんな施設に当てはまる問題だとおもいます。久美さんはEntôの運営に関わっていますが、今月からフェリーターミナルの店長として働くんですね。

Nagamatsu:そうなんです。観光は好きだけどホテルのフロント業務は苦手なんです。毎日のルーティンワークを愛せないと嫌な人なので、フェリーターミナルの店長の方がしっくりきています。苦手な事務作業ではなく、端っこで変なことするのが好きなので企画が性に合っているんでしょうね。海士町にはコンビニがなくて、みんながコンビニのおにぎり食べたいって言うから、コンビニ風おにぎりを作ったことがあります 笑。地産地消でアイスクリームを作ったりもしました。一見ビジネス的に意味のないようなことでも誰かの記憶に残りそれがどうしたって切り離せなくなることがあります。そういうスケールでものごとに向き合うことは大切だし、日々を楽しく生きるために必要なことだと思っています。

Araki:まさに行間を彩る活動ですね、すばらしいと思います。その活動が個性豊かな観光地を育てていくんでしょうね、応援しています。今日は足を運んでいただきありがとうございました。また時間を作って隠岐の島に遊びに行きます。そのときはガイドよろしくお願いします。


day of stay:February 14, 2024


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