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野の花を見つめて

道端に咲くなにげない野の花が好きだ。朝露の玉が連なって光るスギナ、たんぼのあぜ道をピンク色に染めるホトケノザの群生、小さな瑠璃色のオオイヌノフグリ……。雑草と呼ばれる草花にもそれぞれ名前があり、人里でしなやかに、たくましく生き抜いているさまは、なぐさめと勇気を与えてくれる。  

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ツルをせいいっぱい伸ばすカラスノエンドウ

野の花の生け花「草生け」

野の花を一本手折って、じっと見つめる。精巧な花びら、走る葉脈、生き物が持つ命のほとばしり、その輝きが胸を打つ。感動がみなもとになって、活けたい気持ちが湧いてくる。

やがて、「草生け」と名付けて、野の花を活けるようになった。「草生け」には、華道のようなルールはない。小さな草花が多く、一般的な花器は大きすぎるため、草丈に合わせて、酒器やコーヒーカップなど日常使いの食器を用いる。草むらにそのとき咲いているものを組み合わせて生けるので、二度と同じ生け花はできない。野の花との一期一会だ。水揚げが難しく、日持ちもしないため、生けるのは、時間との勝負になる。

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タンポポぺんぺん草土筆。春の野原をつめこんで

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オオイヌノフグリをおそろいの色のカップに

生け花の先生は自然

お手本は自然の草むらに咲く野の花の姿。生け方のヒントを教えてくれる先生は、太陽や風や雨だ。草の花は太陽の方を向いて咲く。だから、生けるときには、器に対して、どこに太陽を置くかを考える。曲がった枝には、風雨に耐えてきたという理由がある。だから、曲がった枝を使うときは、風に吹かれる野の花の姿を思い浮かべる。自然の風景に表も裏もないから、横からも後ろからもそれなりに見えるように心を配る。

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高さのあるグラスで流れをいかしたイヌタデ

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ススキとミズヒキを奔放に

自然と遊んだ子ども時代

身近な野の花と戯れ遊んだ子ども時代私の生まれ育った町には、そびえたつようなビルも山もない。あるのは、九十九里浜に沿って広がる九十九里平野だ。小高い丘にのぼると遠くの海まで見渡すことができる。視界の開けた場所で育ったためか、深山幽谷の大自然には憧れがあるものの、すこし怖くも感じる。自然の力が強すぎると私は委縮してしまうらしい。人里に咲く野の花のような身近な自然に触れるとほっとする。

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水路の露草。場所によって生えている草は違う

小学校の登下校は、花かんむりをつくったり、草笛を吹いたり、道草ばかりしていた。子ども時代を思い出すと野の花の姿が次々と浮かんでくる。野の花の名前は母が教えてくれた。母からはかつて千葉の里山に咲いていた野の花の話をよく聞いた。昔は、風呂を焚くための薪として、里山の落ち葉や枯れ枝を拾いに出かけたそうだ。そのため、山は掃き清められたようにきれいで、地面にまで日差しが入り、希少な野の花が生息していたという。母は女学生になるまで、ハルリンドウが群れて咲く松林の一画や、モウセンゴケなどの食虫植物が生える小さな湿地を秘密の場所にしていたそうだ。

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たんぼのあぜ道で草を摘む

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子どもの頃の草遊びはよく覚えている


幼い私は、見たことがない野の花に憧れて、同じエピソードを何度もせがんで聞かせてもらった。美しい里山は私が子どものころには姿を消していたが、現代の環境に合うものが生き残り、私を魅了した。園芸品種にくっついて日本にやってきた外来種の野の花もある。今までの野の花と新しい野の花とが、草むらで勢力争いをしながら、栄えたり、滅んだりを繰り返している。「いい感じの草むらになったな」と思っていると、農家の人たちの草刈りの時期になる。野の花はたちまち刈られてしまうが、それは現代流の草むらの「手入れ」。生えたい放題にしていては、深い藪になってしまい、野の花は咲かなくなってしまうからだ。

草の名前はおもしろい

生けた野の花は、図鑑を使って名前を調べる。雑草とみんなに呼ばれているものにも、一本一本に名前がある。名前を知っている野の花もその由来を知っておどろくこともある。ヘクソカズラという花がある。フェンスやほかの植物に絡まるようにツルを伸ばし、フリルで縁取られた白い花びらの真ん中にぽちんと紫色のついた可憐な花だ。なぜこんな名前がついたのかといえば、花のにおいがよくないためだ。

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確かにな匂いのヘクソカズラは眺めるのが吉

もちろん美しい名を持つ野の花もある。ホトケノザは、その葉の形が仏様の座っておられる蓮華座に似ているために名付けられたという。ホタルブクロは、昔の子どもたちがその花の中に蛍を入れて遊んだという由来がある。その由来には諸説あるようだが、夕闇のなか、ホタルブクロに蛍を灯した子どもらが、あぜ道を歩く姿には、たとえ空想であっても胸打たれるものがある。草の名前を知ることで、野の花と知り合いになったように感じてくる。
 

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段々の葉の部分が蓮華座のようなホトケノザ

東京で働いた日々

野の花に親しみながら暮らした千葉を一度離れたことがある。高校を卒業後、東京の大学を出てそのまま就職したときだ。いつしか忙しさに紛れ、野の花に触れることはなくなっていった。東京では、日はビルの谷間から昇り、ビルの谷間に沈んだ。仕事机の前の窓には、ビルが立ちふさがっていた。でも、私は、西日を浴びてきらめくビル群に、金色に輝くふるさとの稲穂の群れを重ね、都会にも自然の営みがあると感じていた。歩道のアスファルトを突き破って咲くナガミヒナゲシのように、私も東京でたくましく生きていくつもりだった。当時の日記を読み返すと、「もっとやれるはず」「このままではだめだ」という言葉が並んでいる。現状に満足しないことが成長のためには必要だと信じていた。しかし、結局、体調を崩し、千葉に戻ることになった。

父との田園散歩

千葉の実家に戻って沈んでいた私を父はたびたび散歩に連れ出してくれた。一緒によく歩いたのは、家の横に広がるたんぼのなかのあぜ道だった。久しぶりに見る田園には実に豊かな四季の姿があった。

立ち枯れた稲穂がからっ風に吹かれる冬が終わるころ、たんぼの土を鋤き返す「田返し」がはじまる。鋤き返された土は、黒々としたいい色をしている。湿った土をやわらかな日差しが乾かしていくと、春の匂いがした。

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左が田返しをして土が掘り返された田んぼ

そのころに、陽だまりを探すとオオイヌノフグリを見つけることができた。やがて、たんぼに水が張られると、水路には、どこからかザリガニが現れ、おたまじゃくしが泳ぎだす。水際に咲くタガラシは、エメラルドグリーンの茎を持ち、蝋を塗ったように艶のある黄色い花が咲く。暖かい春の雨が降ると、先を競うように野の花が咲いていく。シロツメクサの花を見つけ、ボンボンのような白い花にしなやかな茎をくるりと巻いて、花かんむりをつくってみたり、ヒメオドリコソウの葉の紫色のグラデーションにみとれたりした。

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ふわふわで触ると気持ちいいヒメオドリコソウ


夏の早朝の散歩では、たんぼの上一面に低い霧が出現するときがある。たんぼの水分が、朝日に温められ、蒸発する過程で雲のように見えるのだろう。早起きのご褒美は、もうひとつある。群青色のツユクサだ。摘んで帰ってもクシャクシャになってしまう繊細な花びらのツユクサは、生けるより眺めるのがいちばんだ。朝露が足元を濡らすので、長靴を履いて父の後ろを行く。ラーメン屋やスーパーマーケットが立ち並ぶ国道沿いのたんぼに、これだけの自然がある。縮こまっていた心が、ほころんでいくのを感じた。

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国道沿いの田園。向こうに見えるのは神社の森

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露草の花を袋に入れて揉んで色水を作って遊んだ


房総半島への野の花紀行

父とでかけたなかでもいちばんの思い出は、夏の初めに、ドライブにでかけたことだ。「野の花を探しに行こう」と言って、父は私を誘った。子どものころ、家族で何度も訪れた房総半島の旅だった。九十九里海岸に沿って一宮方面へ通じる通称「波乗り道路」を走りながら、草むらに目をこらした。海岸の防風林になっている松の下には、藪に混じって、オニユリやヒオウギズイセンが咲いていた。館山の砂丘には、銀葉と紫色の小花のハマゴウや細長い白花が優美なハマユウを見つけることができた。

その都度車を停めて、藪のなかに分け入り、格闘するように野の花を摘んで、持ってきた器にその場でどんどん生けていった。このときは、はっきりと草の命を自分の手で摘み取っているという実感があった。朱赤に紫色の斑点があるオニユリは大型のユリで、手折ることはできず小さなナイフを使ってやっと切った。ヒガンバナ科のハマユウも思いのほか茎は太い。野生の生き物が持つ命の手応えを強く感じた。野の花との一期一会というよりは、鬼気迫る一騎打ちとなった。

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ユリのような香りのハマユウ

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ヒオウギズイセンを浜辺で拾った瓶に

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砂に描かれた風紋を背景に生けたハマゴウ

野の花は、花屋さんに並ぶまっすぐな行儀のよい花とは違う。葉が虫食いだったり、盛りを過ぎて立ち枯れていたりする。でも、摘んだからには、どんな形の野の花も捨てはしないと思った。必ず、生かしてみせると。その形こそが、野の花が生きてきた証であるし、うまく生け花として生かせたときが最高にうれしかった。父は、帰り道に「目に力がもどってきたな」と言って笑った。

古い家に暮らして感じること

どんな野の花も生かしてみせると強く思ったあの時、私は野の花に自分の姿を重ねていたように思う。結婚を機に、子どものころ過ごした築四十年の家に引っ越してきた。まわりには、ファストファッションやファストインテリアの店ができ、インターネットを通じて新しいものを簡単に手に入れられるようになった。

東京にいたころは、便利な暮らしを当たり前に感じていたが、懐かしい家に里帰りしたことで、心の変化に気が付いた。水まわりと汚れた壁のクロスを張り替えるなどして、すこし手を加えたものの、古い家には、昭和の香りが漂うランプシェードや祖父の家から譲り受けたガラス障子が残されている。子どものころは古臭いとしか思えなかったものが今のお気にいりだ。

あるものでなるように

愛用のセーターや使い込まれた家具、受け継がれてきた花器……身近にある古いものに愛着と慈しみを感じる。丁寧に毛玉をとり、きれいに拭いて、新しいアレンジをして今に生かす。野の花も私もおんなじ。傷ついたり、損なわれたりした部分もあるけれど、今まで生きてきた小さな歴史と物語がある。いつまでもないものねだりはしんどい。磨けば光るものがまだ自分のなかにあるかもしれない。今までの自分を捨ててまっさらな気持ちで再スタートを切ることよりも、「あるもので、なるように」。そう野の花は私に教えてくれた。自分の身近にあるものを見つめながら、生きていきたいと思っている。

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