つーんとする匂い、そしてヘドロ

ヘドロ、という言葉を初めて知ったのはポケモンだったと思う。

技の名前、ヘドロ爆弾。

私はつぶらなお目目を持つわかりやすく可愛いポケモンが好きだったので、ベトベトンとかを手持ちに入れることもなく(ベトベトンはベトベトンの可愛さがある)、ヘドロ爆弾に対する愛着も特になかったので、ヘドロに対するイメージもなんとなくどろどろしていて臭そうなもの、という域を出なかった。

日常でヘドロなんて言葉を意識することもなく過ごしていた私がヘドロと再会することになろうとは、小学生の頃の私は夢にも思っていなかっただろう。


中学校に進学した私は、水泳部に入った。

スイミングクラブにずっと通っていたのもあり、他の選択肢は自分の中になかったように記憶している。

入部した水泳部は弱小で、スイミングクラブに入っているというだけでとりたてて速くもなかった私でさえ、ヒーロー扱いされたほど。

監督なんてものはいるはずもなく、顧問の先生は若くてとても親しみやすい人だったが、面倒くさがりやでほぼ部活には顔を出さない。(一応の顧問の責務として、終わった時に職員室に声をかけるようにだけ指示を出していた)

部員は部員で来ない顧問に怒るどころか来ないことをこれ幸いと、ビーチボールを持ち込んで遊んだり、プールサイドでお菓子を食べたり、自由気ままに過ごすようなのんびり集団であった。

そんな弱小集団だったからかその年の入部希望者は私のみであり、私が卒業する時には廃部になるかもね、と言われてしまっていた。しかし先輩方もみんな、遊びながらも泳ぐことは大好きだったし、練習は足りているかといわれると決して足りていなかったのだろうが、試合には真剣に臨んでいた(そして惨敗した)ので、私は楽しく部活動生活を送っていたのだった。

そして2年生に上がった年。奇跡的に、水泳未経験が1人と、経験者が2人入部した。私はとてもうれしかった。

4人になった同級生はお互いをライバルとし、切磋琢磨し、弱小水泳部の県大会への道が始まー

ーることもなく、人数が増えたものの、雰囲気は以前と変わらず本当にのんびりした部活動生活が続いた。現実は漫画のようにはいかない。

部活に入っているからと言って、試合に出るだけがすべてではない。スポーツは、楽しみたいものだ。楽しんだもの勝ちという言葉を借りれば、私たちは間違いなく楽しんでいたので勝ち組だと思う。

塩素の匂い。プールにぷかーっと浮いて空を見上げる瞬間。思いっきり泳いだ後のけだるい身体。

決して目標に向かってストイックにがむしゃらに過ごしたわけではなかったが、みんな確かに泳ぐこと、そしてプールが大好きだった。

そんな日々を過ごすゆるい我らが、唯一1年に1回学校に貢献する時期があった。

そう、初夏のプール掃除である。

水泳部に所属したことのある人ならおそらく解っていただけると思うのだが、

夏に役目を終え、秋冬と過ごした屋外プールは翌年、あの煌めきは一体どこへと肩をつかんで揺さぶりながら聞きたくなるほど、汚を身にまとって姿を現す。

水は淀んで薄黒く、枯れ葉やどこから飛んできたのかわからぬビニール素材、その他原形のわからぬ有象無象が浮かんで、何とも言えない汚臭をまき散らしている。

ドラマなんかで夜中のプールに忍び込む、なんてものがあったようななかったようなだが、あれは夏の決まった期間(掃除直後以外は屋外プールは汚い)以外は真似することをお勧めしない。

プール掃除の初めは、水を抜くことから始まった。

水を抜いていくと、かろうじて澄み要素を保っていたものがなくなっていくため、どろどろ黒々としたものだけが残る。

私とヘドロの再開である。

水が抜けきったらひたすらヘドロをかき集める作業が始まる。

大きな塊はそのままごみ袋へ。

それを何日も何日も繰り返す。

弱小水泳部は私が2年生の時には同級生4人だけだったので、4人で25m×6コース(確か)のプールを掃除するには大変な時間が必要だったのだ。

学校でビーサンが履けることだけをテンションのよりどころとして、来る日も来る日もスコップ片手にヘドロをかき集める。

それがひと段落すると、持つものをスコップからデッキブラシ(キキが最後のシーンで飛び乗る、あれである)とホースに替えて、こびりついた汚れを落としにかかる。

床部分だけでも大変な広さであるが、大変なのが壁側の掃除だ。

デッキブラシを壁に向かって持たなければいけないので肩や腰にくるし、プールサイドへあがるときに身体を寄せるところであるため、綺麗にしておきたく手も抜けない。これまた来る日も来る日も汚れを落としていく。

こんなことを1ヶ月以上が続け、ようやく掃除が終わる。

全校集会で表彰されることもなく、学校に結果面では全く貢献しなかった弱小部だったが、毎年無事に水泳の授業が行われたのは私たちの汗と涙の賜物なのだ。

ピカピカになったプールに水を入れたときの達成感たるや、である。(まあ、少し経つとプールの底には砂や葉っぱなどが沈殿し始めるのだが・・・)

そしてその年も、またゆるい活動が始まる。

結局スイミングクラブは2年生で辞めてしまったが、部活は卒業するまで続けた。

15年以上経つ今でも、あの塩素特有のつーんとする匂いと、普段の練習より確実に身体を酷使した、あのプール掃除は、自分の中の大事な思い出の1つとなっている。





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