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ホラー映画に対しての"怖い"か"怖くない"か論。この映画も「ホラーなのに怖くない。」という声が多いんですが、そういえば、そもそも、僕がホラー映画を観る条件に"怖い"かどうかはあんまり関係なかったなということに気付きました。「告白」、「渇き」の中島哲也監督による(正しく)ホラー映画「来る」の感想です。

個人的にホラーは大好きで数もそれなりに観てるんですが、好きだと思うホラー映画の要素の中に必ずしも"怖さ"っていうのはなかったんですよね。例えば、古典でありホラーの傑作とも言われて、コアなファンも多い「悪魔のいけにえ」とか。あれって、怖いですかね?いや、もちろん怖い事象を描いてる映画ではありますけど、怖さより面白さの方が勝ってないですか。僕は最初に観た時から断然面白さが勝ってるんですよね。あのテキサスの田舎街に遊びにやって来る(なぜあんな辺鄙な場所に遊びに来たんだって疑問はありますが。)薄っぺらい若者たちよりも、個性的なソーヤー一家の方に魅力を感じてしまうじゃないですか。そうなると襲う方に感情移入してしまうので怖くはないですよね。で、もう一方の古典「リビングデッド」シリーズのゾンビにしたって、死体が蘇るっていう事象自体が荒唐無稽過ぎて怖くはないんです。で、こっちの場合はさすがに生ける屍に感情移入はしないのであくまで襲われる側で観てはいるんですけど、あの世界自体楽しそうなんですよね。(ショッピングモールに泊まり込むのとかちょっと夢じゃないですか。)あと、単純にゾンビの造形がカッコイイ(と感覚的に感じてしまう)。では、どっちの作品も(恐怖と言うよりも)何を描いているのかというと"不条理"だと思うんですよ。で、"不条理"と"怖い"は違うと思うんです。その中で"怖い"と思う要素があるとすれば、"不条理"によって及ぼされる自身の生命への危機だと思うんですけど、この2作品に関して言えば、むしろ可能性としては薄いわけです。「悪魔のいけにえ」で言えば、まず、場所が限定されてるのでテキサスに行く可能性が今のところないってことと、(だから、これはいざテキサスへ行くってことになったらその時に初めて怖いと感じると思うんです。)あの映画に出て来る若者たちの様な軽率な行動は自分は取らないと思っているってこと。(だから、この若者たちのことを半笑いで観てられるんですが。)「ゾンビ」の場合は、まず設定が現実離れしている上に(「ゾンビ」も実話を元にしているとは言われていますけど。)、あの状況に自分がいたらと考えるのはやはり怖いというより楽しいんですよね。(だから、怖さだけでいったら「プライベート・ライアン」の方が断然怖いんですよ。自らの生命の危機をダイレクトに感じられるので。ゾンビに襲われる確率よりも戦場に投げ出される可能性の方が断然高いわけですからね。僕らの生きている世界では。)

じゃあ、不条理を描いていたらホラーなのかっていうとそういうわけではなくて、(不条理=ホラーだったら全ての不条理劇はホラーになってしまいますからね。だから、デヴィッド・リンチの映画がホラーじゃないのはここが違うからだと思うんですけど、)不条理を描きながら、それが現実の社会問題へのメタファーになっているかってとこだと思うんです。(「プライベート・ライアン」だって社会問題を描いてるじゃないかと言われると思いますが、あれはメタファーじゃないですからね。現実そのものなので。)つまり、「悪魔のいけにえ」は田舎特有の閉鎖性とか差別意識だったりが根本にあって、「ゾンビ」は、資本主義への懸念や警鐘と言われてますよね。(で、怖さを感じるのはどちらかというと、この現実の問題を反映しているってことに気付いた時だと思うんです。)そう考えると、「来る」は現代社会における家族のあり方を描いていて、そこに"魔"が入り込むって描き方なので、荒唐無稽な世界の中に現実を潜ませる「ゾンビ」や「悪魔のいけにえ」とは逆の構造をしてるんですよね。で、この構造のホラー映画最近観たなと思ってたんですけど、これ「ヘレディタリー」と同じなんですね。(というか、オカルト的ホラーはこっちの構造なので「来る」も「ヘレディタリー」もオカルトホラーってことなんですけどね。「エクソシスト」とか「シャイニング」とか。)それで、じつは話自体も「ヘレディタリー」と「来る」ってほとんど同じなんですよね。(なのに鑑賞後感がまるっきり正反対なのが面白いんですが。)

映画は妻夫木聡さん演じる秀樹と黒木華さん演じる香奈の夫婦を中心に語られるんですけど、その中で秀樹は子供の頃に"ぼぎわん"というバケモノに憑かれているらしいという描写が入るんです。でも、映画はそれよりも田舎の大家族のヤダミだったり、結婚式の白々さだったり、仕事場での人間関係の希薄さなんかを執拗に"悪意"を持って描くんですね。(秀樹の人としての薄っぺらさなんかはほんとに嫌になるくらいしつこく描かれるんですが、つまり、人のこういう驕りや高ぶりの部分に"魔"が入り込むってことを言ってるんですね。それにしても酷い描き方ですが。)で、ふたりの間に千紗という娘が産まれて家族になるんですけど、この家族が崩壊して行くのをじっくり見せて行くって映画なんです。(「ヘレディタリー」と一緒ですね。)で、ここで描かれる"悪意"っていうのが何なのかというと、監督の世界に対する呪詛なんだと思うんですよね。(「来る」と「ヘレディタリー」が同じ映画だという理由の根本的な部分はここだと思ってます。)とにかく監督がですね、世界に対して恨みごとを持っていて、それが「来る」では"ぼぎわん"というバケモノに。「ヘレディタリー」では"アレ"に象徴されているってことだと思うんですね。

まぁ、中島哲也監督の映画は常にそうなんですけど、一般大衆というのがほんとに嫌いなんだろうなと。(例えば、今年のハロウィンなんかで普段は普通に仕事行ったりしてるのに急に軽トラひっくり返したりしてる様な人たちですね。ああいう人たちがああいう時に出す鬱屈した何かですね。)多分、本気でこんなヤツら死ねばいいと思ってますよね。で、今まではそういう部分が過剰に出過ぎてストーリーが破堤しちゃってる部分が多くて、そうなると急に映画が説教臭くなってつまらなくなってたんですが、今回、正にこの題材が監督向きだったというか。どんだけ秀樹がバカで浅はかな人間か、香奈が自分の母親を憎みながらも同じ道を辿る様な愚かなことをしているのかってことを描けば描くほど、(ホラーは不条理を描くものなので、)その不条理さが大きくなって、それに対する制裁のカタルシスが上がるわけなんです。つまり、ホラーとしての強度が増して観てる僕たちの気持ちがスッキリするんですね。その快感が大きいので「怖くない」って思われてるんじゃないかと思うんですよ。(実際は怖いんですよ、この映画。グロシーンもちゃんとあるし。だから、爽快感が恐怖を超えちゃってるんですよね。この事実がまず怖いですね。)で、「来る」が「ヘレディタリー」と違って最終的に超エンターテイメントになるっていうのは、この"ぼぎわん"(つまり、監督が映画内に撒き散らした"悪意"ですね。)に対峙する者が登場するからだと思うんです。(「ヘレディタリー」の場合はそれに使える者しか出て来なかったのでああいう結末になったんだと思います。)

で、この"ぼぎわんという名の悪意"に対峙するのが、まず小松菜々さん演じるキャバ嬢霊媒師の真琴なんですけど、その真琴を秀樹に紹介するのが岡田准一さん演じるオカルト専門フリーライターの野崎で、その野崎を知ってたのが青木崇高さん演じる秀樹の古い友人で民俗学者をやってる津田なんですが、(この辺の繋がりがどんどん胡散臭くなって行く感じ最高ですよね。)真琴はじつは独学で除霊を学んだインディー霊媒師だったらしく、真琴では歯が立たないとなった時にいよいよ松たか子さん演じる真琴の姉の日本最強の霊媒師と言われる琴子が登場するんですけど、そこでまず、(他の案件で忙しいので)自分の代わりにと紹介するのが柴田理恵さん演じる逢坂セツコという霊媒師なんですね。この人はテレビのバラエティ番組なんかにも出て笑いのネタにされてる様な人なんですが、このオバサン霊媒師が最高に渋いんですよ。(ていうか、この叙霊パートに出て来る人達は基本全員面白いです。)で、この辺から大友克洋的理数系ハードボイルド感みたいなのが漂い始めるんですが、映画の最終舞台が秀樹と香奈夫妻が住んでいた団地になるので、これはもう大友克洋の「童夢」じゃん!て気分になるんですね。で、ここに日本中の霊能力者とかイタコとか巫女とか、神仏も教えも関係なく、更に政治家や警察なんかも配備されて(この宗教、政治、国家権力っていうのが入り乱れる感じがまた大友的ですよね。ていうか逢坂セツコのハードボイルドなおばさんてそのまま「アキラ」のあのおばさんを思い出しますよね。)大徐霊大会が行われるんですけど、(それがクリスマスの日っていうのもいいんですよ。仏教の国でキリストの誕生日を祝ってるところに神仏魔が入り乱れるっていう。)もう、ほんとよく分からない変なアガリ方します。映画前半で表面だけ繕うような嫌なコミュニケーションを死ぬ程見せられてるので、こういう基本他人は信用してないけどプロとしては信頼し合ってるみたいな人たちがとても頼れるというかかっこ良く見えて、"信頼出来る仲間"とか"頼りになる同僚"とか"心許せるパパ友"みたいな秀樹がブログに書いてた様な表層的で薄っぺらい関係性の部分への溜飲を見事に下げてくれるんですね。そうとうスッキリします。ここで。

で、どうしてもアッパーな除霊シーンというと去年公開された韓国映画の「哭声/コクソン」を思い出しますけど、僕は「哭声/コクソン」を観た時に、なんていうか、ちゃんと怖いのに、超絶エンターテイメントでもあり、尖っててアヴァンギャルドさもあるので「これはホラーのニューウェーブだな。」と感じたんですけど、「来る」にも同じ様なニューウェーブ感を感じたんですね。(そういう意味では「ヘレディタリー」の鑑賞感てクラシックなんですよね。)ここのところ世界的な流行りとしてニューウェーブなホラー映画が色々出て来ているので、「へリディタリー」と同じ年に邦画のホラー映画でもニューウェーブなものが出て来たっていうのだけでも充分アガりますし、ちゃんと怖かったし、それ以上に充分エンターテイメントで面白い映画だと思いました。(監督の"悪意"の話なんですけど、最終的に僕は、秀樹や香奈よりもそれを周りで見ている人達に向いてたんじゃないかなと思ってるんです。つまり、秀樹の陰口を叩きながらも結婚式に参加したり新居のパーティーに来てた人達。秀樹と香奈がじつはああいう状況に陥っていたと全く気づかない様な現代社会の人間関係というか、そういう希薄さをコミュニケーションだと思っちゃってる人達ですね。少なくとも秀樹や香奈はぼぎわんと戦ったわけですからね。)

あ、で、クリスマス映画なので正に今映画館で観るのがオススメですよ。

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