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ア・ゴースト・ストーリー

"不慮の事故で亡くなった夫が幽霊となり残された妻を見守る。"なんてベタそうな話どうやって面白くするんだろうって思ってたんです。そしたら、想像してた道筋から大きく逸れて、アクロバティックな経路である人生(というか人にあって人に非ずなんですけど。)が描かれて、それでも用意されたゴールによりとても普遍的(ある意味ベタ)な結末に行き着くという。ベタさと斬新さとか、マンガっぽさとリアルさとか、ホラーとラブ・ストーリーみたいな相反するものが共存して成立してる。そんな映画でした。「ア・ゴースト・ストーリー」の感想です。

人生とは生まれてから死ぬまでの束の間の夢などと言いますが、人は生まれると同時に死に向かって生き始めるわけで、「自分は何の為に生まれて来たのか?」なんてことはどんなに生きてもよく分からないわけです。だから、もともと生きてるってこと自体が不確かなもので、その不確かさは死んでも変わらないというか。自分が確かに生きたという証を何十年、何百年(もしかしたら何千年)も探し続ける男の話なんですけど、この映画が異様な切なさというか哀しさに包まれてるのは、不慮の事故などで急に命を落とした人は、自分が確かに生きたという確証を持たないまま彷徨ってしまうと言ってるからだと思うんですね。自分の生の証を得るには他の誰かの記憶とか証言が必要で、それを確かめる為に幽霊は所縁のある場所に現れるんだろうと。

それで、まずはこのビジュアルなんですけど。キャスパーとかオバQとか、昔からいわゆるオバケっていうと白いシーツを被ってるイメージがありますが、それよりも、ハロウィンのグッズなんかに描かれてる様な記号的なオバケのイラスト。ああいう感じで、何のキャラクター性もないいわゆるザコキャラ的な扱いのアレ。つまり、特別に選ばれたキャラクターじゃないごくごく一般的な幽霊(人)の話ですよってことを言ってるんだと思うんですが、そこが凄く良くて。不意に幽霊になってしまった誰かの人生を覗き見してる様なリアリティと普遍性があるんです。マンガ的でありながらリアルというか。ルーニー・マーラー演じる残された妻は(夫が亡くなる前から引っ越しを考えていたことから)、夫(ちなみに夫はケーシー・アフレックが演じてます。顔が出てるのは序盤だけで、ほとんどのシーンでシーツを被ったオバケとして登場します。)が亡くなってからしばらくしてどこかへ引っ越して行ってしまうんです。それで夫の幽霊は家から離れられずに地縛霊になってしまうんですけど、「ああ、なるほど地縛霊っていうのはこうやって発生するのか。」みたいな説得力がちゃんとあるというか、なぜ地縛霊になってしまうのかとか、ポルターガイストが起こる理由みたいなのが描かれるんです。で、僕はこの映画の真骨頂って、この"幽霊あるある"の描き方(「なぜ?」ということろ)にあるんじゃないかと思ったんです。

妻が去って夫が地縛霊になってから、映画は地縛霊として生きる(?)夫の人生を追って行くことになるんですけど、この映画の地縛霊の解釈がですね、えーと、生きていた時の自分を生あるものとして成立させていた存在(つまり、愛していた相手ですね。)と会い自らの死を事実として受け入れる様になるまではその場所に居続けてしまうってことみたいなんですね。で、主人公の幽霊の場合は、その存在であるはずの妻が既に去ってしまっているので、何か他の自らの生の証を探し続けるか、もしくは確証を得ること自体を諦めるしかないわけです。(この諦めることを示唆する役として隣の家の地縛霊が出て来るんですけど、この幽霊仲間との出会いが、淡々と静かに進んで行くストーリーの中で唯一ほっこり出来るエピソードでとても良かったんですよね。まぁ、だからこそ別れ方がよりショッキングではあるんですけど。花柄シーツの地縛霊。)で、そうすると、幽霊はもちろん不死なので待とうと思えば永遠に待ててしまうということで、今度はその土地の生と共に生きることになるわけなんです。つまり、地縛霊というのはその土地(地球?もしくは宇宙全体?)が消滅するまで永遠に生き続けるってことになってしまうんですね。(この土地の生を生きるパートがかなりスペクタクルで。その中で"生きるとは何か"みたいなことを哲学的に学んで行くんですけど、それまでゆったりと静かに展開してた物語が一気に畳み掛けて行く感じとか、それによって時間を超越して人類の進化を走馬灯の様に見せられる感じとか「2001年宇宙の旅」のスターゲイトのシーンを思い出したんですよね。たぶん、同じことを言ってるんだと思うんです。)

つまり、映画は生きるってことがいかに不確かであるかということを認めながら、それを確信づけるのは他者との繋がりしかなくて、そのことを永遠の孤独を体現する幽霊って存在を通して言っているんだと思うんです。

こうやって、単なる夫婦の愛情物語として始まった静かで個人的な物語が、時間や空間を超える様な壮大で哲学的な話にシームレスに変化(個人的には楳図かずお作品の「わたしは真悟」とか「14歳」の壮大さを感じました。)して行くのがとても面白くて、最終的なオチが個人的な話に戻って来る(ラスト・カットのハッピー・エンドなのかバッド・エンドなのか分からない感じも良かったですね。個人的にはハッピー・エンドだと思ってますが。)のも良かったんですが、それら振り幅のある表現の違いを繋いでいるのが幽霊っていう存在で、そこを徹底してリアリティがある様(ポルターガイスト現象の理由とか、幽霊って存在のアイデンティティの無さとか)に描いているのが凄く良かったですね。(あ、あと、画面がスタンダード・サイズっていう昔のテレビ画面みたいな正方形に近いサイズなんですけど、最近の映画でも時々使われていて、効果的だなと思ったことがなかったんですけど、この映画はこのサイズがいいんですよね。シーツに空いた穴から狭い視野で世界を見ている感じがして。)

http://www.ags-movie.jp/sp/

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