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えー、ジョーダン・ピール監督です。デビュー作の「ゲット・アウト」(「ゲット・アウト」の感想。)一作で完全にそれまでのホラー映画の流れを変えた人なので、その監督の新作となれば、そりゃもちろん観ますし、当然期待値も爆上がりしてるわけです。結果。冒頭、雷鳴轟く真夏の夜、遊園地が併設されたビーチに、「スリラー」のTシャツを着て大きなリンゴ飴を持った黒人の少女が立っている。もう、その絵だけでやられました。「ゲット・アウト」でアカデミー脚本賞を獲得したジョーダン・ピール監督の長編ホラー映画第2弾「us アス」の感想です。

「ゲット・アウト」もそうだったんですけど、冒頭のシーケンスが素晴らしかったんですよね。ホラーとしてはよくあるタイプのオープニングだとは思うんですが、そこがそうなだけにその後に続くストーリーが「ちょっと普通じゃないぞ。」というのがより分かるというか。勝手知ったるホラー映画が始まったなと思ってたら、なんだかちょっとづつズレて行く。その感覚が不気味でいいんですね。冒頭にも書いた様に、今回のオープニングも素晴らしくて(「ゲット・アウト」のオープニングについても「ゲット・アウト」の感想に詳しく書いているので、よろしかったらそちらもどうぞ。)。両親と娘の家族が夏の夜の遊園地に、娘の誕生日ということで遊びに来ているんですが、両親の仲がいまいちな感じなんです。女の子はその空気を感じてかもともとの性格なのかあまり楽しくなさそう。場を盛り上げようと父親がいろんなゲームをやってみせるんですけど、それでもあまり乗り気じゃない。女の子は両親から離れて人気のないミラーハウスに入るんです。店員も他のお客さんもいない女の子ひとりだけのミラーハウス。入ってしばらくすると突然電気が消えてミラーハウスの中が真っ暗に。で、その暗いミラーハウスの中で女の子はもうひとりの自分に会うんです。夏の夜の遊園地、少女、たくさんの鏡張りの場所に映る自分の姿、その中のひとりが自分と違う表情をしてる。このシーケンスだけでめちゃくちゃ怖(良)いですけど、怖い話としてありがちといえばそうなんですね。よくある"ドッペルゲンガー"の話で。ただ、主人公が黒人の少女なんです。それだけで絵としてそうとうフレッシュ(これまでいかに黒人を主人公にしたホラーがなかったかってことなんですが。)というか。オーソドックスなホラー話の主人公を黒人の少女にするだけで完全に観たことない絵(そして、かなりキャッチー)になっていて、そのことで、この映画が今までのホラーとは違う文脈で恐怖を語ろうとしているってことを示唆している様に感じるんです。

怖い映画を観て「いやー、怖かったな。」ってなるのは、その怖さの本質を無意識的にでも理解してるからだと思うんですね(人がバカバカ死んで行くスプラッター映画が怖いのは死ということの喪失感を知っているからで。)。前作の「ゲット・アウト」では、人種差別をテーマにしながらもあからさまにその話ですとはやっていないんですよね。交際相手の実家に行ったら、頭のイカれた親族たちに身体を乗っ取られそうになる。自分が狂っているのか、自分以外が狂っているのか。要するに得体の知れないモノと遭遇する恐怖。第三種接近遭遇の怖さを描いていたんですね。で、これって、哲学的なSFなんかでは昔からある話で(例えば、カフカの「変身」とか、身体を乗っ取られるって意味では楳図かずお先生の「洗礼」なんかもそうでした。)。何度も映画や小説で観念的には描かれて来た恐怖なんです。つまり、それって人にとっての根源的な恐怖なんだと思うんですよ(本質的に理解出来る恐怖ってことです。)。で、その誰もがフィクションとしてはよく知っている恐怖に対して「いやいやいや、この恐怖オレ現実に知ってるから。」っていうのがジョーダン・ピールの映画なんだと思うんです。「だって、これって差別されてる時の恐怖でしょ?」っていう。都市伝説的に言い伝えられてる怖い話の中の怖さの核の部分を剥き出しにして、それを現実で言ったらこの恐怖ってわざわざ明示してくれるのがジョーダン・ピールの恐怖表現なんだと思うんです。

で、この"現実にあったら怖い"が"今、ここにある恐怖"に映画を観てる間に脳内変換されて行くのがスリリングでヤバイんですが(それをクールにコメディも交えたエンタメとしてやったのが前作の「ゲット・アウト」だったと思うんですね。だから、よくあるホラー的演出とか、ホラー映画のパロディなんかはあえてやってたと思うんです。)、その虚実入り混じったマッシュアップ度合いがいよいよな領域まで来たのが今回の「us アス」で(つまり、「ゲット・アウト」よりもそうとう複雑ってことです。なのに傑作だから凄いんですが。)。えーと、根源的な恐怖の対象としては、まず、ドッペルゲンガーというのがあるじゃないですか。あの遊園地のミラーハウスで出会った自分の分身が時を経て再び会いに来るという。大人になって家族を持ったら分身の方も同じ家族構成で、その家族ごと会いに来るというね(こうやって書くと怖いんだか面白いんだかって感じですけど。まぁ、怖いんですけどね。)。そういう話なんですが、後々、主人公のアデレードだけの分身だと思ってたそれが、じつは地下世界に一大コミュニティを形成するテザートと呼ばれる人間のクローン一族だったということが分かって来るんです。で、この"テザートとは何なのか?"っていうのの謎を解くミステリーにもなって行くんですけど、更にその謎を追うことによってそれがジョーダン・ピール監督お得意の虚実入り乱れた物語になって行くんですね。

冒頭の遊園地のシーケンスは1986年が舞台になっているんですけど、その年に"ハンズ・アクロス・アメリカ"っていうロサンゼルスからニューヨークまでを600万人の握手で繋ぐっていう、ホームレスや貧困層を救おうという名目の(でありながら有料イベントだった上に、ロスからニューヨークまで握手で繋いだらなぜ貧困層が救われるのか、そのコンセプト自体がよく分からない、要するに与える側の傲慢みたいな)チャリティ・イベントがあったんです。で、このイベントがテザードの存在に大きく関わって来ることになるんですけど、テザードはじつはアメリカ政府が実験用に作り出した人間のクローンの生き残りで、それが地下世界で自主繁殖していたという、そうとう荒唐無稽で漫画的な設定なんです。ただ、そのテザードを形取る為の衣装には「スリラー」のマイケル・ジャクソンの真っ赤なツナギや「エルム街の悪夢」のフレディの革手袋の様な、当時、現実の世界で存在していたものがいろいろ引用されているんです(この時点でも虚構と現実のマッシュアップが凄いことになってるんです)けど、更に、既存のホラー映画のパロディ(「シャイニング」とか「ファニー・ゲーム」とか。)なんかもあったりして。物語内でも旧約聖書のエレミア書の話が出て来たかと思ったら同じラインで「ホームアローン」の話が出て来るみたいな。時代を作って来たカルチャーから都市伝説までそういうものが世界を形作っているというか、たぶん、これが現在の"アメリカ(U.S)"だってことだと思うんですよね。

で、そういうポップ・カルチャーや、宗教、都市伝説とか政治とか陰謀論なんかがぐちゃぐちゃに入り乱れて、そこには表と裏、光と影(格差社会)が常に存在していて、そういう世界の形成に(意識的にしろ無意識的にしろ)何かしらで加担してるのが"わたしたち(US)"なんだってことだと思うんです。1986年の夏の遊園地で少女のアデレードと(アデレードの分身である)レッドが出会ったのは決して偶然ではなく、現在の社会状況に繋がる発端がここにあったってことなんですよね。で、それはトランプの後について金持ちファースト国家になろうとしている日本も決して例外ではないってことです。これを観ている自分はアデレードなのかレッドなのかっていうね。やっぱり怖い映画でしたね。

と言うことで、言葉にするとこうなりますけど、実際、映画としては全く説教臭くないし、だからと言って、そういう社会的な問題を分かってなくても楽しめるかと言われればそういうことでもなく(この辺のバランスの取り方がめちゃくちゃ今の映画だなと思いました。)。やっぱり、そこら辺分かった上で全てが補完されるというか。そういうところめちゃくちゃクールだし、知らないと楽しめないとこあるけど、それ含めてきっちりエンターテイメントでありホラーなんですよ。「ゲット・アウト」の方が分かりやすい清々しさがあって取っつきやすいですけど、「us アス」はそれを踏まえてその先に行ったんじゃないかと思います。

(黒人が主人公のホラー映画、古典と言われてる中にひとつありましたね。「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」。確かにこの「ts アス」、「ゾンビ」の2019年版と言われたらそうかもしれません。)

https://usmovie.jp/

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