見出し画像

第18回愚痴聞き屋まとめ

「生ひとつと、あとウナギの骨と、みそ汁で」
隣に座る小林氏が店員に言う。時刻は17時。僕と越坂氏が焼肉丼を注文する中、彼は一人で晩酌を始めた。

しかもつまみは、ウナギの骨とみそ汁である。みそ汁に関しては分かる。みそ汁とは味噌を溶かした汁である。室町時代に庶民に広まった伝統的な日本料理である。僕はみそ汁が大好きで毎朝必ず体に取り込んでいる。みそ汁は何にでも合う。ご飯だけじゃなくパンやナポリタン、そしてケロッグコーンフロスティ。具も無限だ。とりあえず冷蔵庫にあるものを処理したい時はみそ汁である。堺雅人はバナナのみそ汁を飲んでいる。可能性は無限である。そんなみそ汁をビールのつまみとしてチョイスする小林氏は、みそ汁のすごさをよく分かっている。

さて、問題はウナギの骨である。なんですか。ウナギの骨って。あの細くて細かい小骨がザラっとお皿に盛られて出てくるんでしょうか。それがおつまみだって?考えられない。
僕の弟が昔、ウナギの骨を喉に刺さらせて救急外来で市民病院に運ばれた。そんなものを単品で出してくる店があるとは。人を殺す気なのか。そしてそれを頼む小林氏は何を考えているんだ。死にたいのか。
ん、まさか!小林氏がこんな時間帯に一人で晩酌を始めるなんて何かおかしい。彼は何かに悩まされているのではないか。そうだ、きっとそうだ。彼は最近仕事が忙しいと言っていた。彼はウナギの骨を喉に刺して死ぬ気なんじゃ...!
これは愚痴聞き屋をやっている場合ではない。僕が今聞かなければいけないのは名も知らぬ街の人ではなく、一番身近にいる彼、小林氏の愚痴ではないか。
いつも笑顔で悩みなんてなさそうに振舞っていた小林氏。ごめんな、気付いてあげられなかった自分を、僕は責めた。僕は決めた。僕がやるべきことは、彼の心に刺さった骨、じゃなくてトゲを抜いてあげること。よし、何でも聞いてあげるぞ!そう思って小林氏に話しかけようとすると、店員が登場した。

「はい、生と、ウナギの骨ね」

目の前に現れたのは金色に輝く美しい生ビールと、輝きなどまるで無い気持ちの悪い虫の死骸のような物体だ。

「な、なんだこれは・・・」


僕はもちろん、前に座る越坂氏、隣の小林氏までもが絶句していた。
なんだよ、お前もどんなものか知らないで頼んだかよ。

よーく観察すると、どうやらウナギの背骨の部分の骨のようだ。オッケーグーグルで調べると、静岡の名産として有名な食べ物らしい。
食べてみると、うん、美味しい。バリバリした触感に香ばしい醤油味のお菓子のようである。めちゃくちゃ美味しい。
長野で食べてみたい方はこのお店にどうぞ!!!→飛騨食事処

【みんなという圧力】

夕飯を食べ終わり、いつもの場所にビニールシートを広げる。この瞬間がいつも一番恥ずかしい。始まってから座っているときの何倍も恥ずかしい。何事も0→1にするときに一番勇気がいると意識高めの先輩が言っていたがこのことか。
準備をしていると、今日の愚痴聞き屋体験プロジェクトの参加者が合流した。彼の名は赤羽氏。大学院で教育について学んでいる。物腰柔らかく穏やかで人当たりが良いのに情熱を秘めている人物である。今回、愚痴聞き屋体験者募集の告知をしたら、40分後に参加のメッセージをくれた。愚痴聞き屋史上最速の申し込みである。ちなみに彼は陸上をやっておりたぶん足も速い。
続いて新聞社の人も来た。彼の名は高橋氏。彼とは、僕の友人が開催している「よばなし」という企画で知り合った。彼はいい人すぎて怖い。どちらかを殺さなきゃ二人とも殺されてしまうという状況に陥った時に、彼は僕を殺しにかかることなく二人で死ぬことを選んでくれる、そんな人である。

愚痴聞き屋を開始して少し経つと、ナンパ師がやってきた。「ナンパ歴20年だ」と言う。
見た目が30代前半ぐらいなので、小6ぐらいからナンパをしている計算になる。僕の小6といえば近所の公園の土管の中に落ちていたエロ本を見て友達と騒いでいた時代である。そんなときに彼は街行く女性に声をかけモノにしていたのか。とんでもない奴がいたものである。土管の中の奥山である。
その日の長野は朝から夕方まで雨が降っていたが、彼は傘もささずに昼間から駅前でナンパをしていたと話してくれた。

「なんでわざわざ雨の中やるんですか?」
『雨の日だからこそ、成功率が高いんだよ!』
どうやら雨の日のナンパは女の子が付いてくる確率が高いと、彼の20年間のデータで証明されているらしい。
雨の日だと知らない人への警戒心が少なくなる何かがあるのだろうか。それとも他にライバルがいないからだろうか。
「他にコツはあるんですか?」
『ナンパはね、リズムだよね。声かけてるときにもう次に声かける人が視界に入ってくる。ポンポンポン、と、恥ずかしさとか感じる暇がないくらいにリズムよくいかないとダメだよね。』
「ほえーー。リズムなんすね。なるほど。なんか楽器とかやってるんすか?」
『やってない。小学生のときの音楽会で、先生から“あなたは口パクだけしてなさい”と言われたほど音楽には縁がないよ。』
「そんなこと先生が言いますか!笑」
『まあ口パクのリズムでさえ合ってなかったから、口パクがバレバレだったけどな。笑』


リズムの話を聞いていたら、小学校の頃の大縄飛びを思い出した。
クラス全員が、二列とかになって並び、大きな縄跳びを一緒に飛ぶ、あれである。
クラスの中に一人や二人は必ず、何度も引っ掛かってしまう人がいたと思う。最初は「ドンマイドンマイ!」と言われていたその子も、何度も引っ掛かるうちに、クラスの仲間から無言の非難を浴びはじめ、しまいには「まじやめて!」とキレる奴まで出てくる始末。
僕はわりと大縄は得意な方だったので、この飛べない子の気持ちを経験したことはないが、きっと彼らは耐えがたいほどの苦しい思いをしていたに違いない。

僕のクラスにも、めちゃくちゃ引っ掛かるやつがいた。田沢である(仮名)。
田沢は僕の前に並んでいたので、こいつがよく引っ掛かってることはすぐ分かった。最初の方、田沢は自分が引っ掛かってるくせに、大縄が止まるたびに「誰だよーー!!もっかいもっかい!」と叫んでいた。だが、何度も引っ掛かるうちに、さすがに周りの友達にバレてしまい、田沢は静かになっていった。田沢はリズム感が無かった。大縄が自分の足に当たってからジャンプをしていた。田沢の足を見ていると、そういうゲームなのかと錯覚してしまった。ちなみに田沢は大縄に一人ずつ順番に入っていくあれも苦手であり、大縄の前でいつも一人だけヘドバンをしていた。ヘドバンをしてから走り出して引っ掛かり、「もっかいもっかい!」と叫んでいた。

田沢がある日、「縄回す人やりたい」と先生に言った。先生はいいよと言って田沢を回す人にした。
田沢は大縄を回すのが上手かった。足を開き腰を曲げ、上半身ごとぐるぐる回しながら獅子舞のように縄を回した。こんな回し方をする奴を初めて見た。彼の回しかたは縄の端っこの奴に特に好評で、「縄は気にならなくなったけど、田沢が気になるようになった!」と言われていた。

僕たちは昔から、「みんなのリズムに自分も合わせる」ことが良しとされてきた。他の人と違ったリズムの人を、なんとなく排除する空気のなか育ってきた。大人になってからも、みんなと同じことを強いられ、苦しんでる人はたくさんいる。みんなのリズムに合わせることが苦手な人は、田沢のようにリズムを作り出す側に回れることができたらいい。ナンパ師は、自分でリズムを作り出す側だった。去り際のナンパ師の後ろ姿が、田沢に見えた。

【愚痴聞き屋は怪しい団体】

ふらふらと千鳥足のおっさんとおばさんがやってきた。
ハスキー声のおばさんが『何してるの~?』と絡んでくれた。
「愚痴聞いてます。」
おば『愚痴~?面白そうじゃん~!』
おっ『ったくババアはすぐ食いつきやがる!』
二人は中学の頃の同級生。60歳だと言う。おっさんがおばさんを中学の時好きだったらしい。60歳になっても学生時代の友人、しかも異性と仲が良いなんて羨ましい。おっさんとおばさんの合い口のいい会話が止まらず30分くらいコントを見せられたような時間だった。
おばさんは『素敵~すごい素敵~』『あんたたち可愛い~』を僕たちに何十回も繰り返していて2ヵ月経った今でも脳内再生が余裕である。おじさんはみんなの会話を2秒ほど遅れて拾い上げ、そのたびに大きな声でボケをかますためなんかもう変な感じになってた。

おば『いやあでもね、最初は宗教の勧誘とか、怪しい募金かと思ったよ!』
愚痴聞き屋「まじすかぁ!」
おば『そうだよ!だってみんなそういう顔してるもん!』
愚痴聞き屋「顔って!」
僕たちはよく変な宗教とか、怪しいサークル団体とか、しつこいネットワークビジネスとかと間違われる。まぁ確かに怪しい団体なのは間違いではないのだが、そういう目で見られてしまうとなかなか街の人が近寄ってくれなくなってしまう。どうすればよいのだろう。
変な宗教とか怪しい団体のイメージとしてパッと思いつくのが、⑴人の悩みにつけ込もうとしている、⑵柔らかめの雰囲気、⑶ポジティブかつ自己啓発的、である。⑴はもう愚痴聞き屋という名前の時点でアウトである。誤魔化しようがない。なので⑵や⑶のイメージを持たれないように頑張る必要がある。次回は、厳ついサングラスをかけニコリともせず、バカとかクソっとか言って無印のビーズクッションに座りながらやろうと思います。

 【みんな人の役に立つ】

2年半付き合った彼女にフラれたらしい。
20代前半の青年3人組がやってきて、そのうちの一人が話してくれた。ちょっと鬱っぽくなり、それを彼女に相談してたら彼女が別れを切り出してきたらしい。

愚痴聞き屋を始めて2時間ちょっと。僕ら愚痴聞きメンバーがトイレをしにコンビニに寄っている間に、ビニールシートの周りには一般人が集まり、彼の悩みをみんなで聞いていた。

女の子1「私は今、数年間彼氏いないけど、超楽しくやってるよ!あなたの年齢より上だけどね(笑)」彼より年上の女の子が、笑いを誘いながら彼を励ましている。
女の子2「でもさ、鬱になった時とか、つらい時に彼女は寄り添ってあげるべきだよね~」
女の子1「そうだよね~」
兄ちゃん「いやぁ~口ではそう言うけど、女の子って現実ではシビアだからな」この前、公園で楽器を演奏してたときに会った兄ちゃんがいつの間にか居て、自分の体験談なのか、リアルな発言を咄嗟に挟む。女の子たちは黙ってしまう。
端っこで、別の女の子がちょっと前から彼の話を聞いていた。ずっと黙っていたが、ふと、「私もうつだったことがあったんだけどね、」と語り出した。

女の子3「私もうつだったことがあったんだけどね、考え方を変えて克服したんだ。うつなときって、なにもする気が起きなくて、目の前のことがなにもかもつまらなくなっちゃう。でも、自分の行動次第でそれは変えられる。ちょっと人に会いに行ってみたり、面白そうなところに足を運んでみたら、こんなふうにいい出会いがあったりして友達もできるし、面白いことは見つけることができる。そうやって動いていたら、うつは治っていったよ。」
女の子の話に彼も、周りも、僕たち愚痴聞き屋も黙って聞き入っていた。
彼は「そっか。自分次第でか、」と呟いていた。

僕たち愚痴聞き屋は、もうその場に必要なかった。愚痴聞き屋に集まってきた普通の人たちが、お互いに自分のことをさらけ出して、語り合っている。
この場で出会った、お互いに見ず知らずの関係の人たちだからこそ、こういうことができるのかもしれない。彼は女の子の名前も、何をしてる人なのかも知らない。女の子も彼を知らない。一つだけ知っていることは、彼が悩んでいることである。
心の病を抱えた人が、一番聞きたい言葉は、お医者の意見ではなく、キラキラしたカウンセリングではなく、同じ経験をした人の声ではなかろうか。彼は、自分と同じ悩みを抱えたことのある人が、確かに目の前に存在することに、何かを感じていた。そんなふうに見えた。

愚痴聞き屋の新しいあり方だと感じた。集まってきた人たちが、肩書きや立場関係なく、思ったことを話す。
愚痴聞き屋に来た人全員の愚痴に、僕らは共感してあげられることはできない。僕ら三人のこれまでの人生だけじゃ、経験していないことがたくさんある。愚痴聞き屋に来た街の人たちは、それぞれがそれぞれの人生を持っている。それぞれの人生から得た経験が、同じような悩みを持つ誰かに寄り添う力になることがある。
その機会はいつ訪れるかわからないし、訪れないかもしれない。でも僕ら愚痴聞き屋は、その機会を少しでも増やすきっかけを作り出す場でありたい。僕たちは、誰もが人の役に立つ力を持っている。

 【まとめ】

今回の愚痴聞き屋は、僕らそっちのけで集まってきた人同士が勝手に仲良くなりやがって、客同士で飲みに行った人らもいました。取材で来ていた高橋氏までもが、愚痴を言いに来た人と意気投合して友達になり、今度旅行に行くらしいです。愚痴聞き屋がきっかけとなって、つながっていく。アリだなあと、思いました。
そして愚痴聞き屋体験プロジェクトに参加してくれた赤羽氏。ずっと愚痴聞き屋の真ん中に座らせてしまったのに、誰が来ても堂々と、人を選ばず誠実に話を聞いていました。恥ずかしいから裸眼で来たと言っていましたが、その効果もあるのか、人を先入観で判断せず、その人の言葉をしっかり受け止めていました。彼にこの日の感想を聞かせてと言ったらめちゃくちゃ真面目に書いてくれました!!Wordに書いて送ってくれました!もう、彼の感想がそのままこの日の総括になっているので、ぜひ読んでみてください。というかこれだけ読んでくれれば良いです。

愚痴聞き屋 体験感想(6月23日)

信州大学教職大学院 赤羽晋治


 今回、愚痴聞き屋に体験インターン?(笑)をさせて頂いて感じたことをまとまりもなく、徒然に書き留めてみる。今回やってみて率直に感じたことは「面白かった」ということ。もともと今回参加したいと思ったきっかけは「道端で知らない人の愚痴を聞くってどんな感じなんだろう」という、私自身の興味によるものだった。そして、いざやってみるとそれはそれは恥ずかしい。大学の後輩に「先輩、何やってるんすか」と言われた場面、改めて今思い返しても恥ずかしい。でも、その中でも半分酔っ払いの絡みっぽいのも多かったが、色んな人の話を聞くことは面白かった。

 例えば、一番最初に話したナンパ歴20年の芸人さん。経歴だけでも「なんでそんなことやってるんだろう」と聞きたくなるし、話していてナンパ師の現状や「ナンパの極意」なるものを聞くことは、自分にとっては「非日常」で新鮮。また、同窓会の帰り道で、4、5年ぶりに会ったというまだ不倫ではない、という60歳になる同級生の二人。夫婦漫才か、と思うくらいめちゃくちゃ話す。そして酔っぱらってるからめちゃくちゃ上機嫌。こっちもつられてテンションあがって(あげて?)話した。途中からはお母さんかのようになりながら、自分らの身を案じてくれた。

 これらは、普段生活する中ではかかわれないような類の人で、しかも、こんな機会でもなければこんな話を聞けなかった。正直愚痴ではないけど、普段かかわれないような人と、偶然、それもほんのひと時を共にして、普通生活する中では話せない類の話ができる、これだけでも楽しい。

 また、愚痴聞き屋、という空間そのものも心地よかった。2年付き合った彼女にフラれたという24歳の男性。かなり精神的に参っていた。そこに、たまたま自分の大学・大学院の先輩が現れて、先輩たちがその男性にアドバイスをする、という形になった。偶然出会ったその男性に自分の先輩たちがアドバイスをしている、という光景が今思うと不思議。でも、なんかいい時間だったなって思う。というのも、お互いやらされてるわけではなくて、語りたいから話し、アドバイスしたいからアドバイスしているから。男性も話しに行こうと思ってその場に行ったわけでもないし、先輩たちも頼んで来てもらったわけでもない偶然。「偶然の出会い」と、「自然な会話」が生まれる場、そうしさんたちが言っていた「サードプレイス」ってこと、このことなのかな、と今になって思う。そして、その空間ってなんだか居心地がいい。事実、私自身はじめは時間がたつのが長く感じていたが、最後は「あれ、もう終わり?」と思うくらいだった。それに、途中からいた長谷川君やJunnさんも結局最後までいたのは、ほかに行く当てもなく、そしてちょうどよく行ける場所もなかったこと、そしてあの場が心地よかったからなように思う。子どもだったら「学校」と「家」以外に自分のいられる場所として子ども食堂ができている。それと同じように大人が「職場」と「家」以外にいられる場所が「コワワーキングスペース」だったり、今回の「愚痴聞き屋」の空間なのかもしれないなって思う。

 そうした別に目的もなく話すこと、そしてその空間って楽しいし、居心地がいい、と思った反面、自分個人としてはとても試練でもあった。というのも、私は人と話すこと、特に話を聞きだすことが苦手。だからこそ参加した、というところもあるが、実際やって「話を聞くって難しい」とも感じた。一人チャラそうなお兄さんが「女癖の悪さを直したい」という話をしてきた。たまたまほかの二人が別の人と話していて、自分一人で対応していたが、どう会話をつないだらいいかわからない。それは自分が何かうまい解決策を持ってるわけでもないから。でも、今考えたら「愚痴聞き屋」なんだから、話を聞きだす必要はなかった。むしろ、どんなことがあったのか、など事実を語ってもらって「どうすればいいんですかね」なんて話していればいい。そこで、先のようにたまたまいた人なんかが「それはねー」なんて話てくれたらラッキーってくらい。「なんか話引き出さなきゃ」と思った時点でダメ。仕事でも、ボランティアでもないんだから「~しなきゃ」と思う必要はない。あ、それって、最初のナンパ師が言ってたことにもつながるな。「ナンパするときは、話しかけなきゃ、と思ったらだめ。リズムでいかないと」という言葉。なんか似てるな。面白いなー。そう思うと自分の「あー、うまく話せなかったな」という愚痴がナンパ師の言葉でちょっと救われた気がする。愚痴聞き屋の効果って同じように、自然に話したことが回りまわって、誰かが「ちょっとだけ救われる」、そんくらいの効果でいいんだろうな。

ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?