見出し画像

わからないものやわからない感情には「名前」をつけると楽になると知った

なにかがあったわけじゃない。
不意に、本当に不意に涙がこぼれることがある。

10年前、突然震えてものが持てなくなることがあった。
吐きそうなもやもやが背中から襲い掛かり、この現象に名前がついていないことが怖くてたまらなかった。
病院を転々としてもわからない。
神経の病気かも・・・
内科・外科・整形外科・耳鼻科・・・

打つ手もなく、なんとなく逢うと癒されるおじいちゃん先生のいる医院に
行ってみた。そこで
「自律神経失調かも知れんから、心療内科行ってみたら?」
言ってくれたひとことで、嘘のように症状が消えた。
結局心療内科には行っていない。
「うーん、わからないですね」「もっと具体的な症状がありますか」
「血液検査では特に気になることもないですね」
「わかりません」

ひとは「わからない」もの、「知らない」ものが怖い。
知らない人も、怖い。

わかれば、知ってしまえばいいのだけれど
知ることが怖いこともある。

そうだよ、知らなくても、わからなくても、まるで知り合いみたいに名前をつけてしまえばいいんだ。その時そう思った。

以前住んでいたところで、駐車場に車を取りに行くと、いつも1羽のカラスがフェンスに止まって私を見ていた。
車を出そうとすると、その子がやってくる。
いつか落としてしまったバゲットを「くれた」と思い込んでしまった様子で
必ず2羽で来て、1羽は電線の上から私を見ている。
最初は怖かった。まっすぐに私を見て、動こうとしない。
頭をつつかれるんじゃないか、飛び掛かってくるんじゃないか・・・
いつしか半分戦闘態勢で、雨も降っていないのに傘を持って車に乗った。

ある時振り向いたら目を見て「カァッ」と鳴いた。
悪意は全くなさそうな鳴き声。
「マリア」と呼んだらもう一度「カァッ」と鳴いた。
マリア、でいいよね?
カラスはマリアに決まってるよね?と浦沢直樹の漫画のように呟く。

その日からその子はマリアになり、
「マリア」
「カァッ」と挨拶だけ交わすようになった。
それは引っ越すときまで続いた。

彼女は(雄かも知れないけど)名前をつけたことで怖い存在ではなく、友達のように接してくれた。

人の気持ちもわからないから、こわい。知らないから、こわい。
「教えて」と言うのもこわいし、まして全くわからないものを
知ろうと体当たりしていくなんて、RIZINに参戦するよりこわい。

誰かを愛おしい、と思ったとき、胸が苦しくなったり不安になる。
多少違っていても「これは恋だ」と名前を付けて決めつけたほうが
楽になる。
同じことをして、自分だけが評価されないと、悲しくなる。
それを「嫉妬」と呼んでしまえば、あぁ、そうかも、と思う。

わからないとこわいから、わからないと もやもやするから
気持ちが楽になるために、呼び名をつけていく。

でも、幾ら考えても、何に例えても、割り切れなくて、相応しい名前が見つからなくて・・・苛立ちや喜びやありとあらゆる感情が散らばって収集つかなくて、やっぱり意味なく涙が止まらないのは


そういうの、「愛」って呼ぶのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?